Proost!
Win-CL
第1話
「いらっしゃい、佳菜ちゃん。もう茜ちゃんと真奈ちゃんも来てるわよ」
カランという軽快な錫の音と共に、温かい声をかけられる。カウンターの中にいる、白い髪をしたお婆ちゃんからだった。
私の家の近所には、小さな小さな猫カフェがある。《open haard》という名前で、実はカフェというほどオシャレでもない。昔からここで暮らしていた老夫婦が開いているお店だ。
「ありがと! 飲み物は……アイスココアで!」
軽く挨拶を交わしてから、お店の奥側の陽の当たらないテーブルへと向かう。そこには学校の制服を着たままの、私の友人たちが座っていた。
「別に、着替えに帰らなくてもよかったじゃない」
「制服に猫の毛が付くのが嫌なんだよね、佳菜は」
ここは猫と戯れながら、軽く食事ができる憩いの場所。同級生で幼馴染である私達三人組は、放課後になるとここへよく通っていた。
「こっちの方が気にせず抱っこできるってだけ! ねー」
私の声に反応したのか、ミオ、ラム、ランと名前を付けられている三匹が、ナーゴと鳴きながらこちらを見上げてくる。
「みんな元気にしてたかな? うりうり」
順番に撫でて、カウンターの席に着く。お店に飛び込んできた私に声をかけてくれ、今もアイスココアを用意してくれているのは――この猫カフェを経営している八重子さんだった。
「今日もみんなで相談かしら?」
「もちろんよ! 八重子さんも楽しみにしててよね!」
幼稚園も、小学校も、中学校もずっと同じ地域。このお店ができる前から、私も茜も真奈も、八重子さんにはいろいろと世話をしてもらっていた。お店がオープンしたと聞いた時も、真っ先にお祝いに来たし。毎年開店から何周年のお祝いだって、三人でしようねと決たのだ。
「一周年目はカードと花束だったよね」
「二周年目は手作りのケーキ」
「今年は……何にする?」
「前と同じじゃ味気ないしね……」
そんなことを猫を撫でながら毎日話し合う。けれど、猫を撫でているからなのか、それとも毎日という頻度の高さからなのか――来月に控えた今の時点になっても、特にこれと言った案は出ていなかった。
あれ、なんで今年だけこんなに難航してるの。
前より良いものにしようって、高望みなのかな……。
「…………」
「今年はなんとかして、バートさんが喜ぶとこ見たいね」
バートさんというのは、八重子さんの旦那様。
出身はなんとベルギー。当時は珍しい国際結婚だった。
日本語はあまり話せないらしくて、私達ももう三年も通っているけど、これといって話をしたこともない。ただ、カウンター奥の厨房で作ってくれる料理は、一流シェフ並に美味しいから嫌いじゃないけど。
そんなバートさんは、いつも表情があまり変わらない。お祝いをした一年目も、二年目も仏頂面だった。八重子さんは、『あれでも喜んでいるのよ』と言っていたのだけれど、私達は目で確認したいのだ。
「今日の朝に面白そうな話を見つけたんだけどなぁ……」
茜がグラスの氷をストローでかき混ぜながら呟いた。
今回もあまり進展なし。流石に毎日こんな感じだと困るんだけど。
「うーん、また帰って調べてみる」
「ん。それじゃあ、連絡待ってるね」
今日のカフェでの会議は――結果の出ないまま解散となった。
『あったあった! これなんだけど、どうかな?』
茜からのメールがあったのは、その日の夜だった。
リンクが貼られているようなので、そこから飛んでみると――
「んー? かっ……てんすと……?」
どうやら、ベルギーで行われているお祭りについて書かれているようだった。貼られている写真は、現地のニュース記事のようで。英語もままならない私は、後日詳しい内容について聞くことにしたのだった。
翌日の朝、学校の教室で昨日のメールについて茜に訪ねてみた。
「――で、そこで見るのを止めちゃったんだよね」
「もう、中身を要約したのを本文に書いてたじゃない!」
……あまり長い文だと、途中で読めなくなってくるんだもの。
それでも――写真の映像が気になったのは、確かなことで。
「で、このベルギーのお祭りなんだけどね――」
詳しく教えてもらえばもらうほど、それが良いアイデアに思えてきた。
「――! いいね、それ! それで決まり!」
――そうして、三周年のお祝いの日が訪れる。
入念な下準備のもと、お店は当然私達の貸し切り。
お店の扉を開けると、八重子さんが嬉しそうにカウンターの中で待っていた。
「あらあらあら、とっても可愛い猫ちゃんたちだこと。ちょっと待ってね、あの人も呼んでくるから……」
カフェの中心に一メートルほどの大きさの人形を二つ。
――白と黒。かたや華やかなドレスを纏い、かたやスラリとしたタキシード。
対照的な二つの人形には猫耳が生えており、それぞれにティアラと王冠が乗せられている。
王妃である白猫の『ミネケ・プス』。そして王様である黒猫の『シープル』。
「ほら、彼女らが祝ってくれるって言うんだから。こっちで一緒に見ましょう」
「…………」
八重子さんがバートさんを呼んできたのを確認して。
私達は、猫の被り物をしてクルリと踊る。
小さな小さな猫のパレード。
盛大でもないし、大して上手じゃないけれど。ゆらゆらと揺れる尻尾につらた三匹の猫――ミオ、ラム、ランも一緒になって、それはもう賑やかなものとなった。
『
ベルギーで三年に一度行われているという、伝統的な猫のお祭り。
茜が調べてメールで送ってきたのは、去年の祭りの様子だった。
数時間にも及ぶらしい盛大なパレード。
大きな大きな山車に、放り投げられる沢山の猫のぬいぐるみ。
一瞬で心を奪われた。『これしかない!』と確信した。
舞台は猫カフェ《open haard》。バートさんはベルギー出身だというし、ぴったりだと思ったのだ。
カードも、花束も、ケーキも。今年もやれば喜んでくれるに違いない。
けど――たまには、こういうあっと驚くこともしてみたい。
どんなものを作ればいいのかは、茜がしっかり調べてくれたし。真奈は手先が器用な上、道具も用意してくれた。私は……工程管理とそのた雑務全般。
三人で頑張ってみっちり一ヶ月。『
八重子さんとバートさんの方を伺ってみる。
「可愛いわよねぇ。ねぇ?」
「…………」
眉間のシワはすっかり取れていて、それでいて少し驚いているような。
『少し派手すぎたかな……?』と茜と真奈と顔を見合わせていると――
「あ、あれ……!?」
「あらあら。少し待っていてね」
バートさんが、ナプキンで目元を抑えながら、静かに奥へと引っ込んでいく。それを追うように、八重子さんも奥へと引っ込んでいき――そしてしばらくしたら、少し嬉しそうに笑いながら戻ってきた。
「あ、あの……バートさんは……」
「もしかして、怒っちゃった……?」
「あの人、故郷のことを思い出しちゃったんだって」
『大成功ね』と小さく笑う八重子さん。
大成功だって。思いつきで挑戦したことだけど、それでも喜んでくれた。
それも、思わず泣いてしまうぐらいに。
「よかったね、佳菜」
「頑張って用意した甲斐があったってもんじゃん」
「……うん、二人共ありがと」
――次は、六周年のときにやろうと心に決めた。次は九周年、その次は十二周年。これからは三年に一度、特別なお祭りをここでも開くのだ。バートさんの故郷の思い出を、盛大にプレゼントしよう。
バートさんが照れくさそうにして奥から出てくる。
その手には、人数分の飲み物があった。
カウンターの中から、私達一人ひとりにグラスを回し――そうして小さく『Proost』と言って、グラスを掲げる。
「ぷろーすと?」
「彼の故郷で、乾杯って意味よ」
「――――!」
こんなに嬉しいことはない。みんなでグラスを手にとって――
「Proost!」
飲み物を入れたグラスが、気持ちの良い音を立てた。
Proost! Win-CL @Win-CL
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