最高の夢は人に優しく

静嶺 伊寿実

男が見た夢

 あれ、どこだここ。

 腹がやたら痛い。

 思考がふわふわする。


 あそこにいるのは森口もりぐちじゃねえか、なにやってんだ、こんな山の中で。ああ、俺を車から降ろそうとしてるのか。ん、俺を?

 なんでこんなことになってんだっけ。

 ああ、そうだ。俺は珍しく森口から「送って行きますよ」って言われて、森口の車に乗って、それで、そうだ、んだ。

 俺、あいつに殺されちゃったんだな。


 風景が急転する。気付けば実家にいた。二階建ての木造の古い家。懐かしいな。もう取り壊されたんだよな。

 居間には両家のばあちゃんが一緒にいる。ソファに座って、お互いを励ますように手なんかさすり合って喋ってる。なんだ、仲良くできるじゃねえか。ばあちゃん達の仲はひどいもので、陰で互いのことののしって、ろくに法事にも出なかったのに、なんだ死んだら仲良しかよ。俺の両親もばあちゃん達のことでよく喧嘩けんかしてたのに、まああの世で仲良くできてるんなら良かったよ。


 台所にいるのはおふくろだ。煮物にカレーライスにオムライスに天ぷらにお漬物にお味噌汁。俺の好きなものばっかりだ。こんなに作ってくれたっけ。俺んはわりと貧乏だったから、めったに好きなものなんて作ってくれなくて、毎日魚だった。薄いお味噌汁が不思議とうまく感じてな、豆腐とわかめの味噌汁の時には大喜びしたもんだ。


 奥の和室には親父がとこの間を背にして、家族の写真を見て笑ってる。親父、笑えたんだな。親父はいつもしかめっ面で、たまに口を開いたと思えば「出来損ない」だの「俺の立場も考えろ」だの「自分でなんとかしろ」って怖かったな。こないだあっという間に死んでしまったけど、死ぬ時まで無口でいやがって、一言くらい残して逝けって。親父、言わなきゃ伝わんないぞ。


 和室を出ると、なぜか会社にいた。スチールのものだらけの簡素で寒々しい事務所は、無駄なものなんてらないといった感じの最低限のものしかなく、社員はパイプ椅子で仕事をしていた。最初は嫌々座っていたパイプ椅子も、慣れると意外と悪くない。

 俺の視点には、俺がアップで見える。視点の俺は俺に怒られているようだ。

『なんでこんなことに時間がかかるの』

『すいませんと言う前にやれよ』

 の声が事務所いっぱいに響いている。こんなに声が大きく聞こえるもんなのか。

『お前も辞めればいいんだ』

『そんなことで休むなよ。昔はみんな風邪でも体調不良でも、仕事している内に忘れて仕事してたんだ』

『もしかして体弱いのか』

 怒声をあげるの顔が、魚眼レンズで映したように不規則にむがむ。が大きくなったり小さくなったり、目だけアップになり口だけがアップになったり、どうにも気持ちが悪い。

『そんなことくらい分かってるだろ。なんで知らないの』

 叱責される俺は、どんどん小さくなっていくのを感じる。相手の俺は大きくて、でぶでぶと太って、ツバをき散らし、歯茎を見せ、小さくなった俺を頭の上から声で殴りつけた。

 ようやくが満足したのか、ふんぞり返って事務所から出て行った。腕を左右に広げて歩く恰好はみっともない、と俺は冷めた目で見送った。

 俺は小さくなったまま、デスクに向かう。綺麗に整頓された机の上に、すっかり暗くなったパソコンがあった。パソコンの画面に映る顔は、森口だった。

 ああ、これは森口の夢なのか。俺はすぐに納得した。

 あいつに言った俺の言葉は、本当に言ったことのあるものばかりだ。でも冗談で言ったものもある。俺なりのジョークのつもりだったが、あれじゃ伝わらないな。俺は反省した。

「殺す」

 俺が、いや森口が口の中で奥歯を噛み締めながら呟いた。

「いつか絶対殺す」

 事務所を去っていく俺の背中を、穴がくほど凝視する。背中は黒い渦となって、周りの風景を巻き込み、俺の視界は黒くなった。


 黒い世界に、親父や母さんやばあちゃん達がいた。みんな無表情だ。全員の目がまるで道に散乱したゴミを見ているように、俺をさげすむ。見ているのが恐ろしくなって、俺は下を向いた。

『お前は人に優しくない』

 一斉に俺に言う。言葉は反響して、ぼうぼうと、でもはっきりと何度も同じ言葉が聞こえる。

『だから周りはお前に優しくないんだ』

 そんなこと言われても困る。優しくされたことなんて無いんだから。

『優しくない人間は孤立する』

 孤立するのは周りが着いてこないからだろ。俺は悪くない。俺は期待されたようにやって来た。結果は出てるんだ、俺は間違ってない。

『お前は優しくない』

 どうすれば優しくなれるんだよ! 俺は叫んでいた。

『自分で考えろ』

 親父は冷たい。またかよ。

 反論しようと顔を上げると、ばあちゃん達は手に手を取って立っていて、親父と母さんは手を繋いでいる。ばあちゃん達の隣には見知らぬ男性二人が、それぞればあちゃんの肩に手を置いて立っていた。これはじいちゃんか? なんだよ、みんな仲良さそうにして。

 仲良さそう? そうか。手を、触れることが大事なんだな。

 そう言えばいつから誰とも触れ合わなくなっていたんだろう、と俺は気付いた。親父が最期の時も手すら取ってやらなかったな。

 誰かに触れることってそんなに大事だったのか。触れ合いながら立つ家族を見て、俺は涙を流していた。目が熱い。

『人に優しくなれ』

 みんなの声が聞こえる。分かったよ、でももう遅いんだ。俺は殺されたんだ。優しくない結果、俺は刺された。

 黒い世界に光が差し込んだ。光は徐々に強くなって、みんなの輪郭がぼやけていく。俺の家族が消えていってしまう。待ってくれ、と思った時には俺は一人になっていた。


 目を覚ますと、見知らぬ白い天井と蛍光灯が輝いていた。

「益山さん、わかりますか、益山さん」

 誰かが俺を呼んでいた。わかるよ、と声のする方へ顔を向けた。えりの付いた白い看護服を来たナースが俺の肩を叩きながら呼びかけていた。続いて白衣を来た医者が俺の頭や顔に手をやって、意識があるか確認する。

 病院にいた。夢にしては、はっきりと細部まで見えるなと思っていたら、医者が話し出す。

「益山さん、傷について説明しますね。左のお腹を損傷してますが、処置しましたんでもう大丈夫でしょう。少し出血がひどかったですが、輸血もしましたんでね、血圧も安定してるし、このまま感染症とかにかからないか様子を見たら退院できます。まだ検査とかありますんで、このままお待ち下さい」

と、言いたいことだけ言って医者は足早に去っていった。残って点滴の準備をしてくれているナースに尋ねた。

「あの、俺助かったんですか?」

 ナースはきょとんと手を止めて、「覚えていないんですか」と逆に聞いてくる。「なにがなんだか」と答えると、ナースは手を動かしながら説明してくれた。

「益山さんは車に乗ったところを刺されたんですけど、自力で車からい出して、路上に倒れているところを通行人が見つけて通報して、運ばれたんです。這い出したのは無意識だったかもしれませんけど、ラッキーでしたよ。その場から逃げた犯人も捕まったって言うし。その内、警察の人が聞き取りに来るかもしれませんから、その時は立ち会いますね」

「ありがとうございます」と言うと、ナースは色々と道具を持って病室を出て行った。

 そうか、森口のやつ捕まっちゃったんだな。

 じゃあ最初に見た夢は、森口の描いた理想、まさに夢であって、現実じゃなかったんだ。森に捨てられていなくてよかった。

 警察が来たら、森口を釈放してもらうよう頼もう。俺の方が悪かったんです、と。そして被害届も取り下げられるなら、そうしてもらおう。

 俺が生きててよかった。俺のせいで罪人にするわけにはいかない。

 許そう。

 きっとこれが人に優しくするってことなのかな。

 俺は早く森口に会って、謝罪して握手したいと思った。胸が温かく、こんな気持ちになったのは初めてだった。

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最高の夢は人に優しく 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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