最高の夢は人に優しく
静嶺 伊寿実
男が見た夢
あれ、どこだここ。
腹がやたら痛い。
思考がふわふわする。
あそこにいるのは
なんでこんなことになってんだっけ。
ああ、そうだ。俺は珍しく森口から「送って行きますよ」って言われて、森口の車に乗って、それで、そうだ、刺されたんだ。
俺、あいつに殺されちゃったんだな。
風景が急転する。気付けば実家にいた。二階建ての木造の古い家。懐かしいな。もう取り壊されたんだよな。
居間には両家のばあちゃんが一緒にいる。ソファに座って、お互いを励ますように手なんかさすり合って喋ってる。なんだ、仲良くできるじゃねえか。ばあちゃん達の仲はひどいもので、陰で互いのこと
台所にいるのはおふくろだ。煮物にカレーライスにオムライスに天ぷらにお漬物にお味噌汁。俺の好きなものばっかりだ。こんなに作ってくれたっけ。俺ん
奥の和室には親父が
和室を出ると、なぜか会社にいた。スチールのものだらけの簡素で寒々しい事務所は、無駄なものなんて
俺の視点には、俺がアップで見える。視点の俺は俺に怒られているようだ。
『なんでこんなことに時間がかかるの』
『すいませんと言う前にやれよ』
俺の声が事務所いっぱいに響いている。こんなに声が大きく聞こえるもんなのか。
『お前も辞めればいいんだ』
『そんなことで休むなよ。昔はみんな風邪でも体調不良でも、仕事している内に忘れて仕事してたんだ』
『もしかして体弱いのか』
怒声をあげる俺の顔が、魚眼レンズで映したように不規則に
『そんなことくらい分かってるだろ。なんで知らないの』
叱責される俺は、どんどん小さくなっていくのを感じる。相手の俺は大きくて、でぶでぶと太って、ツバを
ようやく俺が満足したのか、ふんぞり返って事務所から出て行った。腕を左右に広げて歩く恰好はみっともない、と俺は冷めた目で見送った。
俺は小さくなったまま、デスクに向かう。綺麗に整頓された机の上に、すっかり暗くなったパソコンがあった。パソコンの画面に映る顔は、森口だった。
ああ、これは森口の夢なのか。俺はすぐに納得した。
あいつに言った俺の言葉は、本当に言ったことのあるものばかりだ。でも冗談で言ったものもある。俺なりのジョークのつもりだったが、あれじゃ伝わらないな。俺は反省した。
「殺す」
俺が、いや森口が口の中で奥歯を噛み締めながら呟いた。
「いつか絶対殺す」
事務所を去っていく俺の背中を、穴が
黒い世界に、親父や母さんやばあちゃん達がいた。みんな無表情だ。全員の目がまるで道に散乱したゴミを見ているように、俺を
『お前は人に優しくない』
一斉に俺に言う。言葉は反響して、ぼうぼうと、でもはっきりと何度も同じ言葉が聞こえる。
『だから周りはお前に優しくないんだ』
そんなこと言われても困る。優しくされたことなんて無いんだから。
『優しくない人間は孤立する』
孤立するのは周りが着いてこないからだろ。俺は悪くない。俺は期待されたようにやって来た。結果は出てるんだ、俺は間違ってない。
『お前は優しくない』
どうすれば優しくなれるんだよ! 俺は叫んでいた。
『自分で考えろ』
親父は冷たい。またかよ。
反論しようと顔を上げると、ばあちゃん達は手に手を取って立っていて、親父と母さんは手を繋いでいる。ばあちゃん達の隣には見知らぬ男性二人が、それぞればあちゃんの肩に手を置いて立っていた。これはじいちゃんか? なんだよ、みんな仲良さそうにして。
仲良さそう? そうか。手を、触れることが大事なんだな。
そう言えばいつから誰とも触れ合わなくなっていたんだろう、と俺は気付いた。親父が最期の時も手すら取ってやらなかったな。
誰かに触れることってそんなに大事だったのか。触れ合いながら立つ家族を見て、俺は涙を流していた。目が熱い。
『人に優しくなれ』
みんなの声が聞こえる。分かったよ、でももう遅いんだ。俺は殺されたんだ。優しくない結果、俺は刺された。
黒い世界に光が差し込んだ。光は徐々に強くなって、みんなの輪郭がぼやけていく。俺の家族が消えていってしまう。待ってくれ、と思った時には俺は一人になっていた。
目を覚ますと、見知らぬ白い天井と蛍光灯が輝いていた。
「益山さん、わかりますか、益山さん」
誰かが俺を呼んでいた。わかるよ、と声のする方へ顔を向けた。
病院にいた。夢にしては、はっきりと細部まで見えるなと思っていたら、医者が話し出す。
「益山さん、傷について説明しますね。左のお腹を損傷してますが、処置しましたんでもう大丈夫でしょう。少し出血がひどかったですが、輸血もしましたんでね、血圧も安定してるし、このまま感染症とかにかからないか様子を見たら退院できます。まだ検査とかありますんで、このままお待ち下さい」
と、言いたいことだけ言って医者は足早に去っていった。残って点滴の準備をしてくれているナースに尋ねた。
「あの、俺助かったんですか?」
ナースはきょとんと手を止めて、「覚えていないんですか」と逆に聞いてくる。「なにがなんだか」と答えると、ナースは手を動かしながら説明してくれた。
「益山さんは車に乗ったところを刺されたんですけど、自力で車から
「ありがとうございます」と言うと、ナースは色々と道具を持って病室を出て行った。
そうか、森口のやつ捕まっちゃったんだな。
じゃあ最初に見た夢は、森口の描いた理想、まさに夢であって、現実じゃなかったんだ。森に捨てられていなくてよかった。
警察が来たら、森口を釈放してもらうよう頼もう。俺の方が悪かったんです、と。そして被害届も取り下げられるなら、そうしてもらおう。
俺が生きててよかった。俺のせいで罪人にするわけにはいかない。
許そう。
きっとこれが人に優しくするってことなのかな。
俺は早く森口に会って、謝罪して握手したいと思った。胸が温かく、こんな気持ちになったのは初めてだった。
最高の夢は人に優しく 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi
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