あなたが夢を見るのなら

てこ/ひかり

ある日の夢

 ここのところ毎晩、同じ夢を見る。


 自分ぼくが殺される夢だ。

 ぼくは夢の中で、通ってる中学や家の辺りを彷徨い歩いていて、毎晩同じ奴に殺される。毎晩だ。夢の中の街は、所々煙のような白い靄がかかっていたり、形がぼんやりとしていてはっきりしない。だが、ぼくを襲う『殺人鬼』の姿だけは毎回くっきりと眼に焼きついている。ぼくの身長よりも倍はデカイ大男が、ガスマスクのようなものをすっぽりと頭に被って、両手に巨大な斧を持って追いかけてくる。まるで出来損ないのB級映画みたいなシュチュエーションだが、自分が殺される側だとなると、中々精神的にキツいものがある。


 その日の晩も、ぼくは一人ぼんやりとした街の中を歩いていた。

 夢で見る街は白く霞みがかっていて、昼とも夜とも言えない明るさで包まれていた。

 夢の中では、毎回いつもぼく一人で、通行人などは一人も出てこない。

 文字通り世界に一人だけになったかのような静寂の中で、ぼくはこの街を歩くのが好きだった。


 だけど毎回、静けさを突き破って邪魔してくるのが、例のガスマスクの大男だった。

 今夜もぼくが、ひんやりとした空気に目を細めていると、目の前の生垣から突如巨大な人影が飛び出してきた。

「うわぁっ!?」

 ぼくは自分でも間抜けな声を響かせて、慌てて踵を返して坂道を下り始めた。


 捕まったら、また殺されてしまう。毎回のことだった。ぼくは行く当てもなく右に左に、闇雲に狭い路地を曲がり続けた。道を通り過ぎるその度に、はっきりとしない街並みは陽炎のように揺れ、白い煙の中へとかき消されて行った。

「はあ……はあ……ッ!」

 どれくらい走っただろうか。夢の中の世界はひどく体が重く、まるで水中を泳いでいるかのようだった。対してマスクの大男は決して速度を緩めることなく、ぼくがどんなに遠くに走っても、あっと言う間にぼくの目の前に回り込んできた。どうにも彼には、ぼくの行き先が分かっているようなのだ。これも毎回のことだ。やがて行き止まりに追い詰められ、とうとうぼくは息を切らし地べたに膝をついた。

 地べたにポタポタと汗を落とすぼくの後ろで、ジャリッ、と砂を踏む音が聞こえてきた。

 

 ぼくは縮こまって頭を抱えた。 

 いくら夢の中とは言え、死ぬのは毎回気持ちのいいものではなかった。


 大男がゆっくりと近づいてきた。ぼくは視界の端で、男が両手に持った斧を頭上へと掲げるのを捉えた。銀色に輝く刃の先が、ぼくの首筋目掛けて振り下ろされようとしたその瞬間、ぼくはぎゅっと目を閉じた。

 …………。

 …………。

 …………。

 ……ところがその日、ぼくはいつまで経っても殺されなかった。

 それどころか、突然大男は獣のような呻き声を上げた。

 ぼくはそっと目を開けて見た。

 するとそこには、胸から血を流し、苦しそうに地面を転がるガスマスクの男の姿があった。さらに悶える男とぼくの間には、同い年くらいの、見知らぬ制服姿の少女が立っていた。

「……ごめん。傷つけちゃったね」

 彼女は申し訳なさそうにそう呟いて、そしてぼくの方を振り返った。

「急いで! 逃げなさい!」

「……!」

 綺麗に切り分けられたおかっぱ頭の、日本人形のような顔立ちの少女だった。ぼくは名も知らぬ少女の右手に握られていた、返り血で真っ赤に濡れた日本刀に釘付けになりながらも、慌てて起き上がり元来た道を走り始めた。


 それが、ぼくと制服の少女……ワタリとの初めての出会いだった。


□□□


 それからというもの、ぼくは殺される夢を見ることもなくなった。

 毎晩大男が出るたびに、刀を持った少女がやって来て、追い払ってくれるようになったのだ。


 彼女は名前を教えてくれなかったが、自分のことを『ワタリ』と名乗った。

 『ワタリ』というのは漢字で書くと『渡り』で、文字通り夢の世界を渡って暮らしている人々のことを言うらしい。彼女たち『ワタリ』は他人の夢に入り込むことができて、そこで困ってる人を助けたり、夢を守る手伝いをしているのだという。そんな夢みたいな話は聞いたこともないと思ったが、現にここが夢の世界である以上、信じないわけにも行かなかった。


 ぼくはそれから毎晩、夢の世界で彼女に逢うのが楽しみになった。

 ワタリと一緒に、毎晩誰もいない霧の街を二人で練り歩いた。ワタリもまたぼくの夢の街を気に入ってくれたらしく、いつも興味深げに街並みを眺めていた。ぼくにはそれが妙に誇らしかった。白みがかった夢の世界に、急に色がついたような気がした。

「ワタリはいくつなの?」

「私たちに年齢はないの。 ……人間とは、また違う生き物だから」

「みんなが起きてる間はどこにいるの?」

「どこにもいないわ。寝ている間にだけ、存在してるの」

 ぼくたちはそんな他愛もない話をしながら、いつも街をぶらぶらと歩いて過ごした。


「あ」

 しばらくして、ワタリは声を上げ立ち止まった。目の前の角から、いつものように突然大男がぬっと姿を現した。ぼくは体に電気が走ったみたいにその場で固まった。彼女は背中に括り付けていた刀を鞘から抜くと、ゆっくりと刃の切っ先をガスマスクの男に向けた。ぼくはゴクリと唾を飲み込んだ。

「いい子だから、下がりなさい」

「…………」

 だけど、大男は何も言わずに、斧を構えてぼくらの方へと向かって来た。これも毎回のことだった。問答無用で、男はいつもぼくを殺しに来るのだ。

「行きましょう」

 ぼくは黙って頷いた。ワタリはぼくの手を取って走り出した。


□□□


「しっ。静かにして」

 茂みの中で、すぐそばを彷徨く大男の姿を睨みながら、ワタリはぼくに人差し指を口の前で立てた。視界の端で、斧がぎらりと光るのが見えた。ぼくはワタリの隣でブルっと体を震わせた。

「あいつは一体何者なんだろう?」

 ぼくは男に聞こえないようにそっと呟いた。

「なんでいっつも、ぼくを殺そうとするんだ?」

 するとワタリがぼくを振り返った。

「分からないの?」

「え?」

 ぼくはキョトンと首をかしげた。ワタリはぼくを少し哀しそうな目で覗き込んだ。

「あなたは夢を見ているのよ」

「うん……だから?」

「あの男はね……なの」

 ぼくはぼんやりと、ワタリの唇が動くのを見ていた。

「現実の世界の、本当のあなたの姿。幼い頃、中学時代の自分の姿……つまりあなたの姿を夢に見て……それを振り払おうと、こうして毎晩あなたに襲い掛かっているのよ」

 ぼくは、しばらく彼女の言葉が飲み込めなかった。そんな夢みたいな話は聞いたこともないと思ったが、現にここが夢の世界である以上、信じないわけにも行かなかった。


□□□


「つまりこの世界は……あの斧野郎の夢の中?」

「ええ」

「ぼくは……夢の中で作り出された存在ってこと?」

「そうなるわね」

 ワタリが静かに頷いた。

「じゃあなんでぼくは、昔のぼくのことを殺そうとするわけ?」

「知らないけど……過去を捨てたい人なんていっぱいいるじゃない。後悔してるんじゃないの? 昔の自分を捨ててしまえば、少しでも楽になれるとか思ってるんじゃないかしら」

 彼女がそう言い終わるか終わらないかのうちに、突然草むらの陰から大男がにゅっと顔を突き出して来た。

「きゃあっ!?」

 ワタリが尻餅をついた。男には、いつもぼくの場所が分かっている……当然だった。ここはぼくの夢じゃなく、彼の夢の世界だったのだ。異端者イレギュラーは彼ではなく、ぼくの方だった。現実の世界の、本当のぼくは中学生でもなんでもなく、彼のような大人だったのだ。

 そして彼はなぜか、ぼくのことを……中学時代の自分のことを、毛嫌いしていた。一体何があったのか知らないが……『黒歴史』とかなんとか言って、昔の自分を塗り潰したい人は大勢いるという。『ぼく』もきっと、そうだったのだろう。男が斧を振り被った。

 気がつくとぼくはワタリの前に立ち、男の前に立ちふさがっていた。

 男がピクリと肩を動かした。ぼくは、ぼくの行動に驚きつつも、彼女の前で両手を開いた。

「ダメよ!」

 ワタリが腰を抜かしたままぼくに叫んだ。ぼくはワタリを振り返った。初めて逢った時、彼女が大男を傷つけて謝っていたのは……彼こそがこの夢の主人格だったからだ。

「いいんだ」

 ぼくはワタリにほほ笑みかけた。

 その時ぼくは本当に、別に殺されてもいいと思った。黒歴史だかなんだか知らないが、自分を苦しめるぐらいの過去なら、捨てた方がマシだとそう思ったのだ。それで今のぼくが安らげるなら、そっちの方がいい。再び大男が動き出し、ワタリの叫ぶ声が聞こえた。ぼくはそっと目を瞑った。

 …………。

 …………。

 …………。

 ……ところが、いつまで経ってもぼくは殺されなかった。

 ぼくがそっと目を開けると、大男はなぜか斧を投げ出し、ふらふらと霧の街の中へと歩き出していた。ぼくらは呆然とその後ろ姿を見つめた。

「どうしたんだろう?」

「……分からないわ。もう過去自分を殺さなくても、いいと思ったのかしら?」

「…………」

 ワタリが不思議そうに首をひねった。ぼくにも分からなかった。大人になったぼくの考えることなんて、ぼくには分からない。彼もまた、ぼくのことはよく覚えてないだろうと思った。あるいはさっき、昔の自分と向かい合って何かを思い出したのかもしれない。ぼくは、どうかそれがいいものであることを……自分ぼくを殺すようなものではないことを祈った。そうしているうちに、男は霧の中へと消えていった。


□□□


「じゃあね。私、もう行くわ」

 それからワタリは制服についていた土を払って、改めてぼくにそう告げた。

「自分の”夢”に困ってる人は、他にもいるだろうから」

「また逢える?」

「さあ、多分ね。あなたがまた、夢を見るのなら」

 彼女はバイクに跨ると、ぼくに笑いかけた。ぼくも笑った。それから彼女はエンジン音を響かせ、白い霧の中へと消えていった。ワタリと別れたぼくは、大人になったぼくが、どうか向こうで心地いい目覚めを迎えてくれることを祈りつつ、再び夢の中で坂道を登り始めるのだった。

 


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