そして、ぼくは強くなる

弐刀堕楽

そして、ぼくは強くなる

「いい加減かげんなんとか言えや、クソガキ!」

「てめえが盗んだのは分かってるんだぞ!」


 ボグンッ!

 ――あごの骨が嫌な音を立てた。


 視界が一瞬ぐらりとゆらぎ、世界がひっくり返りそうになる。でも、すぐに元の体勢たいせいに戻されてしまった。

 目の前にいるのは、三人の男たちだ。彼らがぼくをなぐっている。せまい部屋の中で、固く布を巻いたこぶしを使って、ぼくのことを散々さんざんに殴っている。

 しかしぼくには何もできない。椅子にしばりつけられたまま、殴られ続けるしかなかった。


「なかなかえるじゃねえか。いつまで持つか楽しみだ」

「おい、少し休ませようぜ」一番図体ずうたいのでかい男が言う。「やりすぎたら死んじまうぞ。ペースを考えよう」

「……けっ!」


 一番チビの男がイラ立たしそうに、ぼくの胸をっ飛ばした。

 ぼくは思いっきり後ろにひっくり返った。

 頭をゴチンと床に打つ。

 そして――



 ……

 …………

 ………………


『この役立たずが!』


 また殴られる。殴られている。 

 ――昔のぼくが、殴られている。


『金を寄こせだと? それがえから盗んで来いって言ったんだろうが!』


 相手は大人の男だ。身体は随分ずいぶんと大きい。口が酒臭い。顔はみにくい。一番嫌いなタイプの顔だった。


『オラッ!』強いビンタ。ぼくの鼻から血がき出す。『今のが酒代さかだいだ。わかったらもう一度店に行って、さっさと酒を盗んでこい。手ぶらでは戻るなよ。いいな?』


 ぼくは父親をにらみつける。だけど抵抗なんてできない。向こうは身体が大きんだ。どうやったって勝ち目はなかった。

 生き残るためにはやるしかない。

 店に戻って盗むしかない。


 ………………

 …………

 ……



 バシャン!

 ――水をかけられて、ぼくは意識を取り戻した。


「休んでるひまはねえぞ、坊主ぼうず


 チビ男は、空のバケツを床に置いた。それから腰の後ろに手を回すと一本のナイフを取り出した。


「次はこいつだ」


 彼はそれをぼくの左肩に押し当てて叫んだ。


「さあ、吐け! 俺たちの金をどこに隠した!」


 ナイフがズブリと入ってくる。

 左肩に燃えるような痛みが走った。


「まだしゃべらねえつもりか? ならこうだ!」


 男が手元をぐるりとねじった。肉が穿ほじくられる感覚。刃が骨に当たってゴリゴリと音を立てた。

 ぼくは短いうめき声を上げた。吐き気がする。だが、ナイフはさらにぼくの中に侵入した。

 ズブリ、ズブリ――目の前がパチパチと明滅めいめつする。

 ああ、また意識が遠くなる。

 また意識が――



 ……

 …………

 ………………


『しっかりと押さえてろよ』


 ――また昔のぼくだ。

 今度は布で口をふさがれていた。声が出せなかった。


『先輩マズいっすよ。見つかったらどうするんすか?』

『心配すんな。浮浪児ふろうじがどうなろうと誰も気にしやしねえって。ほら、早く脱がせろよ』


 腹ばいの姿勢でねじ伏せられる。必死になって手足をバタつかせると後頭部を殴られた。顔が地面にぶつかって口の中が血の味になる。


『おい、力抜け。殺しやしねえって。すぐに終わる』


 体全体が押しつぶされる感覚。尻にするどいい痛みが走った。ぼくの中に何かが入ってくる。ズブリ、ズブリと入ってくる。

 でも、ぼくには何もできない。相手は力の強い大人だったし、権力のある警察官だった。どうやったって勝ち目はなかった。

 生き残るためにはえるしかない。

 黙って耐えて泣くしかない。


 ………………

 …………

 ……



「おい、目を覚ましたぞ」


 男たちがぼくを見下ろしていた。


「何か言う気になったか?」

「ぼくは……やってない……」


 そう弱々しくつぶやいた。それ以外に何も言えなかった。

 彼らは、ぼくがお金を盗んだと思っている。でも、ぼくはただの浮浪児だ。路上で暮らす、か弱い存在だ。

 それなのに、どうしてこんなに怖い人たちからお金を盗まなきゃならないんだ? そんなのおかしいじゃないか。


強情ごうじょうなガキだ。それにしぶとい。どうする?」

「こうなったらアレを使おう」


 一番やせた男が初めてしゃべった。

 彼は床の上の四角い箱を指さしている。


「アレは……マジで死んじまうぞ」

「仕方がないさ。死んだら金はあきらめるしかない。だが、ガキにめられっぱなしってのはダメだ。しめしがつかない。見逃せば、また同じことが起きるぞ」


 やせた男が、四角い箱のわきから二本の棒を取り出した。棒のの部分からはコードが垂れ下がっていて、箱とつながっていた。


「いいか、よく聞け」チビ男がぼくにささやいた。「これは電気ショックだ。あらゆる拷問ごうもんの中でもっともキツいやつだ。大人だってすぐに降参する。下手したら死んじまう。だから坊主。悪いことは言わない。すぐに白状はくじょうしたほうがいい」


 そして、彼はぼくの耳を引っ張った。


「それで、俺たちの金はどこだ?」

「ぼ、ぼくは……」


 言葉にまる。何を言えばいいんだろう。

 ぼくが無実だって、どう言えば伝わるんだろう。

 頭が真っ白になって、ぼくはそれ以上しゃべれなかった。


「そうか、まだ黙ってる気か……。やれ!」


 やせた男がぼくに棒を押し当てた。

 全身をかれるような痛みと衝撃しょうげき――。

 身体が硬直こうちょくし、視界が徐々じょじょに暗くなっていく。

 また気が遠くなる――



 ……

 …………

 ………………


『とうとう捕まえたぞ! 手癖てくせの悪いガキめ!』


 身体を押さえられている。周りに人垣ひとがきができていた。

 ――ああ、これは……。一番嫌な思い出だ。


『盗みを働いた者に与えられる罰を知っているな?』


 店の主人の手にはおのにぎられていた。

 嫌だ、やめてくれ。ぼくはただお腹が空いていただけなんだ。


泥棒どろぼうの手は切り落として良いと法律で決まっている。だが、てめえはろくでもねえクソだ。腕ごと切り落としてやる』


 そして無情むじょうにも、斧は振り下ろされた。

 激しい痛みと出血。

 大きな喪失感そうしつかん


『これにりたら二度と来るなよ』


 ぼくの右腕がごろりと地面に転がっている。野次馬やじうまが去った後、ぼくはそこに一人で取り残されていた。

 だけど、ぼくには何もできない。だって、皆はぼくのことを憎んでいたし、ぼくよりもお金持ちだったから。どうやったって勝ち目はなかった。

 生き残るためには失うしかない。

 黙って失ってうつむくしかない。





 だけど――





 だけど、本当にそうなのだろうか?


 ぼくには何もできないのだろうか?


『いいえ、君にもできるわ。君なら何だってできる』


 そういえば、あの人はそう言ってくれたっけ。


 ……うん。


 ……そうだよな。


 ぼくにだって――


 いや、にだってできることがあるはずだ。


 にしかできないことが……。


 ………………

 …………

 ……



「おい、何するんだ! 離せ、クソガキ!」


 やせた男が叫んでいる。


 彼の左腕がひしゃげていた。


 だが、オレは離さない。


 オレはで、彼を捕らえて離さない。


「思い……出したぞ……」口から思わず言葉がこぼれた。「自分の存在意義……精神のどころってやつを……」

「このガキ、どうやって縄を!? ぐ、ぐわあああー!!」


 ボキンッ!

 ――男の腕が折れ曲がる。


 オレは、泣きわめくそいつの顔を右手でつかんで、思いっきり力を込めた。

 メキメキという音とともに頭蓋骨ずがいこつくだけ、目玉が飛び出す。眼窩がんかのすき間から大量の血が吹き出し、男は死んだ。


「な、何なんだよ! こんな話は聞いてねえぞ!」チビ男は真っ青だ。今にも卒倒そっとうしそうな顔をしている。


 一方、図体ずうたいの大きな男は勇敢ゆうかんにも立ち向かってきた。彼は両手を固くにぎりしめて、頭上へと振り上げた。そして両方のこぶしを、オレの向かっていきおいよく振り下ろした。

 オレはそれをなんなくかわす。そして右のてのひらに残っていた血を口ですすり、彼の顔面にプッときかけてやった。男の視界が血でふさがれた。目潰めつぶし攻撃だ。

 一瞬うろたえる男――そのすきに、オレは壁をって高く飛んだ。そして上から、彼の頭を思いきりぶん殴ってやった。二人目の男も死んだ。


「や、やめろ! 来るな!」


 最後に残ったチビは、必死に部屋のドアを開けようとしていた。だが、なぜか開かない。カギがかかっているようだ。

 オレは床に落ちていたナイフを拾い上げて、彼にこう言った。


「なんかごめんな。もうちょい丁寧ていねいに相手してやりたかったんだけど、オレには、まだやらなきゃならないことが残ってるんだ。これで勘弁かんべんしてくれ」

「え、ちょっと待って!? やだちょっと、やめて――む、むぐぅッ!!」


 オレは、チビ男の口にナイフをくわえさせ、のどの奥に押し込んだ。

 そして言うまでもなく――彼は死んだ。


「さてと……」


 部屋のドアをぶん殴る。ドアが吹っ飛び、通路に出た。薄暗うすぐらい通路を進むと、明かりが見えてきた。白い部屋の明かりだった。

 真っ白い部屋の中では、一人の女性がソファに座って本を読んでいた。彼女はオレに気がつくと、微笑ほほえみながらこう言った。


「あら、随分ずいぶんと遅いお目覚めね。よく眠れたかしら?」

「ああ、ゆっくりと休ませてもらったよ」オレは床にペッとツバを吐く。「だけど、あんたもひどい人だぜ。オレにを注射して、あんなカスどもに拷問ごうもんさせるなんて」

「でも、君は精神力で薬に打ち勝った。これもいい経験よ」彼女はさらりと言う。「それに案外あんがい楽しめたんじゃないかしら?」

「まあ、少しだけな」不本意ふほんいだが、それは事実だった。「久々に昔を思い出したよ。初心に帰るってやつかな」

「そう。それはよかった」

「だが、まだりねえ。メインディッシュが残ってるぜ」


 オレは右手をにぎりしめて、こぶしを前にき出した。重たい右腕がミシミシと音を立てる。

 彼女がオレにくれた特注品の義手ぎしゅだ。見た目は普通の腕だが、恐ろしくパワーがある。オレの最高の相棒パートナー


「ハァ……。りない弟子ねえ……」彼女は本を置いて立ち上がった。「だいぶボロボロだけど……戦うの?」

「もちろんだ」

「それじゃあ、私に一つでも傷を負わせることができたら、本日の訓練は終了としましょうか。でも、できるかしら。別に無理しなくてもいいのよ?」

「へっ、言ってろババア。後悔させてやんよ」


 オレは地面をって飛び上がる。

 正直、彼女にかなわないのはわかっている。

 勝つのは、まだまだ無理だろう。


 だが、いずれオレは師匠ししょうを越えていく。


 そして、この腐敗ふはいした世界の中で――

 ぼくオレはもっと強くなる。

 強い男になってやる。

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そして、ぼくは強くなる 弐刀堕楽 @twocamels

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