吉原の遊女、かごめの童唄

森羅解羅

吉原の遊女・かごめの唄

*軽い残酷描写あります*





かーごめ、かーごめ。かごのなーかの鳥ーは、いついつ出会う。夜明けの晩に、鶴と亀がすべった。後ろの正面だーあれ?


どこからともなく唄が聞こえてきた。

それは幼き日に聴いた童歌わらべうた

私は混沌こんとんとした闇の中にいたはずなのに、その唄に吸い寄せられるように、顔の感覚、手の先、指、足先さえも息を吹き返したかのように神経が伝わってくるのを感じた。

身体の感覚が戻っている。

混沌とした意識の中で私はぼんやりと、けれど確信を持って感じていた。

私は何もない、ただ無だけの空間にいたはずだったのに、鼻をくすぐる微香、朧げに入ってくる光。安らかな場所から、意識が現世へと近づいていく。私は感覚を思い出すと反射的に、手の先に触れた布にすがりついた。

(いやだ。あんな場所へ戻りたくない。願いなんて叶わない、酷い場所なんていやだ。このまま、この場所にいたいのに!)

女は叫んだ。心の中で、大きく声を張り上げて、腹の底からこの暗闇の世界全体に響くようにと大声で叫び、手を振り上げ、もがきながら抵抗した。

だが、女の抵抗も虚しく終わった。

気がつけば、女は光を浴びて畳の上で横たわっていたのである。

無の境地から、女は現世へと呼び覚まされていた。



江戸時代――。

遊女たちが多く暮らす、ここ吉原。

遊女たちが暮らす屋敷の庭には、広くはないが大きな木も幾つか植えられており、木々の下にはいろんな花々も植えられていた。客として昼に来た客人をもてなすため、そして遊女を扱う店の風格を彩るために遊女を扱う店の庭は、その店の主人の風流なセンスが光る場所でもあった。

そんな吉原にあったある店では曼珠沙華が植えられており、その花々が満開の時は二階の窓から下へと眺める景色は見事なものだった。

そして、その庭で、赤い着物をきた、遊女として客の前に出るのはまだ早い、禿かむろという幼い子供2人が、童歌わらべうたを歌っていた。

「かーごめ、かごーめ、かーごの中の、鳥ーは、」と、唄いながら着物の袖から出る小さな手で手毬てまりをついていた。

「ちょいと、そこの禿かむろ!!!」

突然の大声に先ほどまで笑い合っていた子供2人は、ビクゥッとなって、即座に唄と手毬をつくことをやめた。二人とも顔を強張らせて、身体全身で身を縮こまらせて後ろを振り返った。

後ろには、一人の女が腰巻を付けただけの下着姿で、屋敷の柱にもたれながら立っている。女は視線を庭にいる禿二人をとらえたまま放さなかった。

「さっき唄っていた歌、籠目かごめだろう?」

女はしなやかに言う。

「は、はい」

今にも泣き出しそうに、眼に涙を浮かべて禿が答えた。

すると女は、ドンッと、屋敷の柱を拳で殴っていた。

「そんな歌唄うんじゃないよ!!歌唄ってる暇があるんなら、芸の一つくらいさっさと覚えなあ!!!」

女の大声に禿二人はビクッと、眼に涙を流しながら手毬を抱えて庭の奥へと逃げだした。

「たく、逃げ足だけ上手くなりやがって」

女はそう言って、禿達が逃げていった庭の奥を睨んでいると、座敷からしゃがれた声が聞こえてきた。

「お蘭や。また、禿に厳しく何か言ったのか?子供の泣き声がここまで聞こえたぞ」

この女の名は、お蘭、と言った。そしてお蘭に声をかけた老人は、楼主ろうしゅというこの店の主人であった。目尻を下げ、笑っているかのような不気味な笑い方をする男であった。

「ちょいと叱ってやったのさ、縁起でもない歌を歌ってたんでね」

「お蘭、そう目くじらを立てるな。まだ子供だ。唄の意味まではわからなかったんだろう。それに、お前もはやく化粧の準備しに行け。客が、もう来るぞ」

「わーてますよ」

女は言いながら腰巻をひらひらと揺らしながら、この場を離れた。

お蘭は小さい村で生まれ、人買いに売られたのであった。

そして、各地を訪ね歩く人買いが最終的に行く場所ー。

それが吉原であった。


             ♢


(はああ、座敷に出たくねえな)

お蘭は、自分の部屋で化粧を行っていた。

(ああ、上手くいかないね。今日は筆がのらなくて、眉が変になっちまった。やっぱり最悪な起き方しちまったからかねえ)

お蘭は鏡の前で化粧した自分の顔を見ながら、吉原へと来た幼き頃が頭に浮かんだ。

『お蘭、あんた、この人と一緒に旅に行くんだよ』

そう言って、母さんから告げられた時。

あの時に私の時間は止まったんだ。

『いやだ、やだ、なんでもする、ごはん食べれなくてもいいから、ここにいるー!』

当時幼かった私は、泣き叫んで母親に訴えた。

人買いで連れられて行った娘は、家族と離れ離れになり、酷い場所に行かされる、そう幼いお蘭でも人買いの噂は耳にしていた。そして、家族と未来永劫会えることはないという噂が事実であれば、母の温もりを欲していた幼いお蘭にとって、地獄。そして人買いの男は地獄からの使者でしかなかった。

お蘭の阿鼻教厳たる叫びも虚しく、両親の決め事は変わってくれることはなく、必死の願いも通じなかった。そんな絶望の淵に突き落とされた私は畑へと走り、脱走を試みた。

だが、虚しくもすぐに大人たちに捕まえられ、縄で縛られ小屋に放り込まれた。逃げられるはずもなかった。

そのあとのことは、ろくに覚えてやしなかった。

けれど、故郷を離れる出発の時、村の子供達が唄う籠目だけは不思議と耳に覚えている。

『かーごめーかーごめ。かーごの中ーの鳥はー、いつ、いーつ出会う?』

「ち、おれへのあてつけか?おい、さっさと歩け。道は遠いんだからな」

人買いの男はそう言いいながら、籠目の歌を嫌っていた。

幼い私には何故童謡である籠目の唄をこの男が嫌うのか、わからなかった。

長い年月を経て、もう故郷の風景や実の両親の顔すらも忘れかけていたのに、そのことを鮮明に私は覚えていた。

そのことを、先輩遊女に会話の拍子に話したことがあった。

「おまえ、それは、かごめの歌が遊女のことを言ってるような歌だからだよ」

先輩遊女は私に、そう教えてくれた。

「姑と嫁の歌じゃないの?」

私は食いつくように聞いた。

「それもあるけど、かごの中の鳥はーっていう部分が、遊女そっくりなのさ。吉原はかご。そして私達遊女は出られない鳥ってわけさ」

籠目の歌。それは、人買いに買われた子供の未来を示唆した歌。

(私は二度とあの歌を思い出したくなかったのに、あの禿かむろ達!!)

お蘭は、忌々しいとばかりにバンと化粧筆を鏡台の上へと置いた。

鏡には、すっかり少女から大人の、女の顔へと変化した顔があった。

だが、その女の顔は醜い形相で、お世辞にも綺麗とはいえなかった。


                ♢


お蘭は今日も座敷へとあがっていた。親に売られ、人買いに売られたお蘭が流れ着いたここ吉原では、男に買われ、己の身体を差し出して自由になるためのお金を自分で稼ぐしか方法はなかった。それだけでなく、よほどのことがない限り、こうして座敷に上がることを店側から強要され、働くしかなかった。風邪で寝込んでいようが、構わず商品として出されるのだ。

そんな吉原では遊女は、いつも好みの男でもない人間と会話をしなければならず、お蘭にとって心身共に疲れるのだが、今日は違っていた。

今回は間男まぶしんが来たのだ。

遊女と客の偽かけの恋じゃない、遊女がほれ込む客のことを間男まぶと言った。

真剣な恋は遊女の中では羨ましがられた。私は新と楽しい会話をした後に、心が動くままお互いを求めあった。

そして、営みが終わったあと、新は布団でそのまま寝ていた。

愛してる男が安らかに寝ている寝顔を見ながら、私は江戸の景色を一人しずかに眺めているのが好きだった。誰にも邪魔されずに静かな時間を過ごせるからだ。

他の遊女たちは二階から下の庭園を眺めることもあるらしい。

庭にある満開の曼殊沙華を二階の部屋から見下ろすのも、なかなか趣があって、綺麗だと、みんな口々に褒めていた。

けれど、私は庭を見るのは大嫌いだった。

木は、逃げだした遊女を縄でつるし上げ、拷問されるのに使われた。

曼殊沙華は、花弁が輪生状で赤く、見事だが、この花の別名は彼岸花。死者の世界にあるという川のほとりに咲いている花と、言い伝えがある。

更にこの花には毒があり、食べると”死”しかない。

実際、この吉原にきた私を可愛がってくれた先輩遊女は、本気の恋をして間男まぶと吉原を抜け出そうとした。

けれど店の楼主の手下共に捕らえられ、失敗した。

この庭の木で吊るされ、何時間にも及ぶ酷い拷問を受けた。

そして翌朝になって店の人間が様子を見てみれば、先輩遊女は曼殊沙華を食べて変わり果てた姿で死んでいたという。

「拷問に耐えられなかったんだろうな。自殺したんだ」

皆は口々にそう言っていた。

だから、平屋が多い中の、二階のここからの景色が一番だった。

下をみたら地獄。あれは、優雅に客に魅せているが、遊女を地獄への落とす入り口なのだ。

そして、地獄がそばにある私達遊女という鳥は、ずっとこのままこの吉原というかごの中で生きていくしかないんだと、心のどこかでもう一人の幼い自分が囁くのも常だった。

この日も、そんな日々に過ぎないと思っていた。

だが、今宵こよいはこの窓から見える左の江戸の景色が異様に柑橘色に明るかった。

(・・・・あれは何だい?)

江戸は眠らない都。やがてザワザワとした騒音に、嫌な予感がした。そして、すぐさま部屋で寝ていた新をたたき起こした。

江戸では、木造家屋が軒を連ねる場所。火事となったら木造家屋が次つぎと燃え移り、火は瞬く間に江戸中を焼き尽くすのだ。当時としての江戸は屈指の人口密度で人が大勢暮らしていたから、逃げようとする人々で橋を渡る際に、ごった返して逃げ遅れた人も数えきれないほどいる。

火事は一瞬で江戸の町を焼けつくすのである。

お蘭にたたき起こされた新は裸のまま窓の外を見た。お蘭も火事だという方向を指さして言う。さっき見た見た時よりも赤く、炎があがっていた。

「間違いない……ありゃあ、火事だ……」

ようやく見張り番の人が「カーン、カーン」と鐘を鳴らしながら大声で「火事だー火事だー」と言って叫んでいる。

お蘭と新は素早く着物を着て、逃げる準備をした。すると新がお蘭の腕を掴んで言った。

「お蘭、ここを出る絶好のチャンスだ。俺と一緒に逃げよう」

お蘭が腕を掴まれ、振り向いた新の顔は真剣だった。眼には茫然と写る自分がそこにはあった。

「ああ、そんな言葉をアンタから聞けるなんて、嬉しい。わっちはお前さんについて行くよ。けど、ちょっと待っててほしいんだ。江戸の水の先の小高い丘で待っておくれ」

心配して一緒に逃げようという新だったが、「大丈夫だよ」と言うお蘭の言う気丈さに折れ、とうとう「お蘭の言うとうりにする」と言ってくれた。


かーごめ、かーごめ。かごのなーかの鳥ーは、いついつ出会う。


二人は廊下に出るやいなや、大声で「火事だー火事だー。逃げろー」と言って、店中をドタドタと叫びまわった。

火事の一声で、次々と部屋から起きだしてくる客と遊女。客は我先にと玄関から飛び出して行ったが、店に雇われの遊女たちはそうもいかなかった。

楼主が遊女たちの行動を規制したからであった。

「お、お前たち、吉原の大門からは出るな!中で待機してろ!」

「そうは言っても、火事だよ。いつ風向きが変わってここまでくるか、わかりゃあしないじゃないか!!」

逃げようとする遊女に、出るなと説得する楼主とその妻、内儀ないぎ

そのわきでは、次々と店から適当に着物を着たまま逃げる客の男共。

新が店から出たのを確認したお蘭は、ひと悶着もんちゃくしている楼主に言った。

「わかったよ、そこまで言うなら大門の中で待ってようじゃないか」

「「「お蘭姉さん!!」」」

お蘭の後輩にあたる遊女たちが驚きの声をあげた。

「へ、へ、お蘭の太夫が言うんだ、さあ、お前たちはさっさと大門の前に集まれ。逃げたら卑怯な手を使ってでも捕まえに行くからな!!逃げるなんて考えるんじゃねえぞ!」

お蘭の思わぬ助け舟に便乗する楼主。

仕方なく、店の遊女たちは吉原の大門までという条件で店の外へと、鏡や調度品やら高価なものを包んだ風呂敷を持って次々と走っていった。

「楼主、内儀。二階にも金を渡しそびれた男の荷物があるよ。それを取りに行ったほうがいいよ」

「なに、客のツケは払ってもらわないと、再建ができねえ!」

そう言って二階へと上る楼主と内儀。案内として二人の後を追うお蘭。お蘭の大夫の着物の袖には、刀が煌めいていた。お蘭が火事の騒ぎに便乗して店で長年飾られていた刀を自分の懐に隠し持った物だった。

(はやく、はやく駆け上れ。そうすればすべてが終わる)

この店の二人からしたら金が一番だった。新しい童女を買うにも金がいる。自分たちが暮らすためなら、人買いからお金を出してでも買って生計を立てている二人なのだ。お蘭は長年一緒に屋根の下で生活してきたにも関わらず、そんな二人を忌み嫌っていたのだ。



かーごめ、かーごめ。かごのなーかの鳥ーは、いついつ出会う。夜明けの晩に、鶴と亀がすべった。

後ろの正面だーあれ?


「こっちだよ」

楼主がお蘭の案内で言われた部屋へと身体をひねらしたとき、大きな音と共に楼主の背中から血しぶきが上がった。

「あ、あんたー!!お、お蘭!楼主ろうしゅに何すんのさ!」

妻の内儀ないぎが震えながら叫んでいた。

お蘭は楼主ろうしゅを背後から刀で切っていた。血しぶきを受けて着物は血まみれになったが、そんなものを気に止めることなくお蘭は続けて妻の内儀ないぎも表情変えずに刀の切っ先を向けていた。

「殺された遊女の仇だよ」

「ぎゃああ」

お蘭から逃げようと背を向けた内儀ないぎは、刀で肉を切り裂かれ、恐怖の眼をしたまま手すりに倒れて息絶えていった。

店の中央に位置する大階段には、血塗られた遺体の、無残な二人の姿が残ったのだった。

血の付いた着物を脱ぎすて、お蘭はすぐさま屋敷から出た。

すでに道はごった返していて、多くの人がいたが、できる限りの力で走った。お蘭は太夫の衣装が足かせになると思って脱げれる着物を脱いでまた走って、走って、走って、そして、ようやく新が待つ小高い丘へと到着した。そこには既に着いていた新がいて、お互いの無事を喜んだ。

お蘭達は、江戸の大火から逃げた大勢の人と一緒に、江戸が焼かれるのを静かに見て夜を明かした。

丘から見下ろしてると、炎で埋め尽くされた市街地にも多くの人の声が聞こえてきたし、まだ逃げ遅れた人がいるのだろう、焼けつくす大火の中から叫ぶ人の声がする。

それを子守歌のように聞きながら、いつの間にかお蘭たちは寝ていた。

暫くすると、どこか遠くで鳥の声が聞こえてきた。

お蘭はゆっくりと眼を開けた。

すると瞬時に眩しい陽射しが眼に入ってきた。

(夜が明けたのかい・・・?)

そして、次に見たのはあたり一面変わり果てた江戸の姿だった。

長屋や町に植えてあった木々を火は焼き尽くしていて、残っているのは屋根を支えていたであろう家屋の柱ぐらいしか残っていない。昨日まで栄えていた江戸の町は、一夜にして黒い焼け野原となったのだ。吉原があった場所も、奉行所も、沢山の江戸が焼け落ちていた。そんな焼け野原に黒く変色した物体があった。

それは焼け焦げた人間であり、逃げ遅れた人の変わり果てた姿だった。町には至る所に逃げ遅れた人々の遺体が累々と転がっていた。

丘を見る限りでも、広い範囲で火事が起こったのがわかる。きっと、今回の火災での死者は多いことだろう。生き別れた人も大勢いるに違いない。そんな悲運を嘆く人は多いだろうが、私は過去と決別した焼け野原が眩しかった。

(これで……。これで、わたしは自由だ。好きな男と一緒に暮らしていいんだ。人並みに生きていけるんだ)

そう思うと、暖かい陽射しを身体に浴びながら、お蘭は子供のように丘で泣いていた。



お蘭と新達が逃げたこの日の大火は、市街地、大名屋敷、果ては江戸城の天守閣さえも焼き尽くした、明暦めいれいの大火と呼ばれた。死者は3万から10万人とされ、のちにいう江戸の三大大火である。

そして、お蘭という遊女の行方を誰一人知る者はいなかった。





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