この朝を守れ!

宇部 松清

何よりも最高の朝

 ピピピ……というアラームの音で目が覚める。違う、今朝はこんな気分じゃない。


「……モーニン、グロリア。グリーグの『朝』にしてくれ」


 ベッドの中で目も開けずにそう呟く。ふかふかの布団は重さなんてまるで感じないのにとても暖かい。


「かしこまりました、ミスター・サトウ」


 俺の声に答えてくれるのはAIのグロリア。俺のような富裕層が住むマンションには必ず搭載されていて、名前は各自で付けることになっている。声も数百種類から選べ、イントネーションであるとか、口癖など、主人の好みにカスタマイズすることが出来る。


 俺はお気に入りのクラシックが流れる中、ゆっくりと身体を起こした。

 

 今朝は何を食べようか。

 和食洋食中華……。やっぱり軽いものが良いかな。今日は朝イチで会議があるからな、胃が重たいと脳も鈍くなる。


「グロリア、朝食はお粥にしてくれ。小鉢に梅干しと、昆布の佃煮、それから温泉卵」

「かしこまりました、ミスター・サトウ」


 数分で注文通りの食事が用意される。味だって最高だ。三ツ星レストランの――とまではいかないけれども。


「グロリア、風呂の準備をしてくれ。熱めの湯にさっと浸かりたいんだ。そうだな、42℃で頼む」

「かしこまりました、ミスター・サトウ」

「入浴剤も忘れずにな。最近ちょっと腰が痛いんだ。座りっぱなしだからかな」


 そう言ったのだが、応答がない。

 そうだ、グロリアは名前を呼ばないと命令を認識しないのだった。


「グロリア、入浴剤も忘れずにな。最近ちょっと腰が痛いんだ。座りっぱなしだからかな」

「かしこまりました、ミスター・サトウ。腰痛改善効果のある入浴剤を投入します」


 やはり数分でその準備はなされた。腰痛に効果があるのだという緑色の湯に浸かる。風呂場に窓はないが、壁一面の防水パネルには異国の風景が映し出されていて、今日は美しい山々に囲まれた湖だった。鏡面のようなその湖には、紅葉の始まりかけた山々が映っている。


 風呂から上がると、今度はクローゼットへと向かう。もちろん裸だが、それを咎めるものはいない。カーテンもぴったり閉めているので近所の人から通報される心配もないのだ。


「グロリア、今日のシャツとネクタイを頼むよ」

「かしこまりました、ミスター・サトウ。本日はサックスブルーのシャツに、紺とピンクのネクタイでいかがでしょうか」


 クローゼットの扉がミラーモードになり、俺の全身が映る。最近腹が少し出てきたかな。仕事が終わったら、最も効率よく身体を絞れるエクササイズをグロリアに聞いてみないとな。

 などと思っているうちに、正直じっと見ていてもつまらない自分の裸体に、先ほどのコーディネートが合成された。うん、悪くない。


「オーケイ、グロリア。今日はこれにするよ。出してくれ」

「かしこまりました、ミスター・サトウ」


 すると、受け取り口からきれいにプレスされたサックスブルーのワイシャツと紺とピンクのネクタイが排出される。それをさっと身に付け、あっという間に準備は完了。

 ――え? 髪? そんなものはとっくに乾いてセット済みだ。風呂場を出て脱衣場からここまで歩く間にセンサーが濡れているところを関知し、ピンポイントで温風を当ててくれるのだ。もちろん、カラカラに乾燥させるわけではない。しっとりとした潤いを残しつつ、という絶妙な乾燥具合である。


 身仕度を終えると、次は仕事だ。そうだ、今日は会議だったな。

 パソコンの前に座り、憂鬱な気分でため息をひとつ。そして――、


「おはようございます、チーフ。それでは早速本日の議題ですが――」


 俺の手がタブレットに触れるとすぐに会議は始まる。


 いつからだろう、こんな生活になったのは。

 恐らくは、これが人々の理想の生活だったはずだ。命令するだけで何もかもが用意され、汗水垂らして働くこともない。

 けれど、これは、必ずしも人類が望んで得たものではないのだ。


 休憩時間になり、立ち上がって大きく伸びをする。そして、常にぴったりと閉じているカーテンをちらりと開けて外を見た。


 見渡す限りの闇が広がっている。

 マンションの外は、特殊な防護服なしでは数秒で死に至る世界である。人類は、もう太陽の光を浴びながら目覚めることはない。小鳥のさえずりをほんの少し煩わしく思うことさえも。人工の光と音の中で目覚め、AIとしゃべりながら毎日を生き――……



――――――――――

――――――――

――――――

――――

――

 

「パパー、起きて起きてー!!」

「起きないならー、こうだー!」

「――ふがっ!?」


 ぎゅっ、と強く鼻を摘ままれ、有無を言わさず眠りの世界から引きずり下ろされる。

 

「起きろ起きろー!」

「きゃはははは!」

「おっ、起きる起きる! ほら、起きた! いま起きたって!」


 飛び起きるようにしてベッドから下りると、我が家の悪童2人組はキャッキャと甲高い声で笑いながらリビングへと駆けていった。


「まだ6時じゃないか……」


 あと30分は寝られたはずだと思いながらも、悪い気はしない。あんな夢を見た後だから、特に。

 リビングからは妻の怒鳴り声が聞こえてくる。まぁーた何かやらかしたな、どっちだ? コウタか? ユウキか? あぁ、ユウキの泣き声が聞こえる。行かなきゃ。


「ごめんなさいね、もう少し寝てたかったでしょ」


 リビングに行くと、キッチンにいる妻の美里が申し訳なさそうな顔で問い掛けてくる。とびきり美人とは言えないが、俺にとっては最高の妻だ。


「いや、良いんだ。今日は大事な仕事の日だから」

「そうなの? 帰りは遅くなる?」

「かも……しれないな。飯は先に食べてて良いから」

「わかった。朝は? もう食べる?」

「そうだな、食べようかな」


 そう言って席に着く。わんぱく盛りの息子達はなぜそうなるのか顔中にご飯粒をつけながら飯をかっこんでいる。

 おい、ユウキ。お前さっきまであんなに泣いてたじゃないか。


 朝御飯は白飯に豆腐とネギの味噌汁、玉子焼きと――これは弁当の残りだろうな、タコの形のウィンナーに、作りおきのきんぴら。毎日ほぼ似たようなメニューだ。だけど、玉子焼きは俺の好きな甘いやつ。これがあるだけで朝から何だか良い気分になってしまうのだ。


 朝御飯を食べ、息子達に似合わないと茶化されながらスーツに着替える。行ってきますのキスなんてもうだいぶ昔になくなった。


「……行ってきます」

「パパー、いってらっしゃーいっ」

「いってらっしゃーいっ」

「気を付けてね」


 そんな言葉に力をもらい、心の中で再び「行ってきます」と言ってからドアを開ける。太陽の光がさんさんと降り注ぐ、雲ひとつない晴天である。


 そう、今日、この日なんだ。


 俺はのために100年後の世界からやって来たのだ。

 あと数時間の後に押し寄せてくる異星人達からこの地球ほしを守るために。


 光があって生命いのちが笑う、そんな最高の朝を、奪われてなるものか。

 あんな未来は俺が変えてやる。


 コウタ、ユウキ、美里。パパはこれからお前達の未来を守りに行く。


 心配するな。必ず帰って来るからな。


 そしてまた明日、お前達と最高に幸せな朝を迎えるんだ。


 明日はどんな風に起こしてくれるんだろうか。

 頬にビンタ? それとも脇腹をくすぐる? 水鉄砲で布団を濡らしたって良い。


 何にしても俺にとっては最高の目覚めさ。

 血の通ったお前達に起こされるのなら。

 

 さぁ、行くぞ。

 この朝を守るんだ。



 

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この朝を守れ! 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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