名探偵剣崎改と過ごす最後の三分間

吾妻燕

名探偵剣崎改と過ごす最後の三分間

「映画で『ラスト何分、アナタは絶対に騙される』って謳い文句があるだろう。アレ、いつも納得いかないんだよね。『騙されなかったら、どう責任取ってくれるの』って話じゃん。こっちは騙される覚悟で……いや、覚悟どころかから貴重な時間を割いて足を運び、二千円近くの料金を払ってるのにさあ。結局裏切りなんかなくて、読み通りの展開で終わったら『テメェ巫山戯てんのか!?』って感じじゃん。最早、詐欺だよ。『騙す騙す詐欺』! ……僕、勝てると思うんだ。裁判を起こしたら、膨大な賠償金は要求できなくても映画鑑賞代ぐらいは確実に取り戻せる筈。ねえ、百合リン。君はどう思う?」

「イカれてると思う、所長の頭が」

 百合子は、上司兼『剣崎探偵事務所』所長である剣崎改の発言をバッサリと斬り捨てた。あと三分後には死んでしまうというのに、何を言っているんだ。いい加減にしてくれ。

「あの、剣崎さん。失礼を承知でお訊ねします。現状、理解できてますか?」

「理解しているに決まってるだろう。

 今、僕達は招かれた『絡繰り屋敷』のど真ん中で背中合わせに拘束されていて、しかも後ろ手にロープで縛られている。山奥の所為で役立たずのガラクタ板に成り下がったスマホを含め、粗方の所持品は、屋敷に到着した時点で家主の霧島藤次郎に回収された。

 その霧島は、僕達が到着した一時間後に首を吊って死亡。死因は恐らく窒息死。だが、索条痕から見て自殺ではなく、絞殺。首吊りは自殺を偽装する為の演出だった。更に、メイドの天宮さん、原さん、坂東さんが各々焼死、圧死、失血死を遂げる。そして僕が三階の『開かずの間』に閉じ込められている間に、僕達と同じ招待客だったジャーナリストの城之内さんが撲殺、絡繰り研究家の南條さんが刺殺された」

 剣崎は驚くほど早口で語った。

 百合子には彼が何を言っているのか、全てを正確に聴き取ることは出来なかった。が、世間では名探偵と称され、警察関係者からも謎の信頼を得ている男の言葉に間違いはないという信用があるのも確かだった。だから「そうだね?」と確認の言葉を投げられれば、百合子の頭は自然と上下に動く。

「最終的に百合リン、君一人が、この屋敷で唯一の生存者となってしまった。けれど、君は屋敷を去ることは出来なかった。僕の生存が不明だったのも立ち去れない理由の一つだが、そもそも屋敷までの道が土砂崩れで塞がれているからね。百合リンは文字通り、袋の鼠だったわけだ」

 屋敷へ通ずる一本道が原因不明の土砂崩れで封鎖されたのは、霧島の遺体が発見される直前のことだった。前日まで激しく降り続いていた雨が原因か、はたまた別の力が働いたのか、山を揺るがす轟音に驚いて外に出てみれば、車一台がやっと通れる細道が土砂に埋まっていたのである。

 これは大変だ! と家主に緊急事態を伝えるべく書斎に駆け込んだら、照る照る坊主宜しく梁からぶら下がった老体を発見させられたのだ。突然の死体発見イベントに、百合子は胃の残留物を逆流させた。

『剣崎探偵事務所』に就職してからこちら、非現実的な場面には何度も遭遇した。が、死体発見イベントのエンカウント率は低かった。初めて目にした首吊り遺体に、百合子は恐怖による涙を流した。

 剣崎曰く、正確には死んだ後に吊るされたらしいけれど。百合子には、そんなことは些事だった。遺体は遺体である。

「独りぼっちになった百合リンは焦った。せめて目に見えぬ殺人鬼に対抗するべく、回収された荷物を探そうとした。君はいつ何時襲われても良いように、ハサミやカッター、尖らせた鉛筆に三角定規まで持ち歩いているからね。……一体何処のガハラさんかな?」

「変な発言は止めてください」

「分かった。確かに時間は惜しいからね。じゃあ、諸々吹っ飛ばして『絡繰り屋敷』殺人事件の犯人に話を移そう。

 犯人は死んだはずの霧島藤次郎だった。

 奴は所謂、快楽殺人鬼だったんだ。上手いことやるよねえ。『絡繰り屋敷』を餌にして、絡繰り好きや謎解きマニアを誘き寄せた。自らが起こした完全犯罪さえ利用して、ジャーナリストや探偵まで招くことに成功した。そして、僕達以外を全員亡き者にした。いやあ、本当よくやるよ。あの爺さん。やべえな。お手伝いさんにまで手を出しちゃうんだもん。よっぽど逃げ切る自信があるんだろうね」

「感心してる場合ですか! 私達、もうすぐ殺されちゃうんですよ!? ここで! 霧島さんに!!」

 百合子は泣きそうだった。否、今すぐ泣き喚いてしまいたかった。

 百合子は死にたくなかった。こんな訳の分からない不気味な屋敷で最期を迎えたくなかった。直ちに屋敷を訪れる前の生活に戻りたい。事務所に置いてあるスズランの鉢に水をやって、黒猫の黒太を撫で撫でして、比較的平和な依頼を引き受ける日常に戻りたかった。

「三分間だけ待ってやろう。それまでに、別れの挨拶を済ませるんだな」と嗤った男の顔が、脳内に蘇る。迎えてくれた時は穏やかな老紳士だと思ったのに。仮面を剥いだら、とんだサイコキラーだった。もう人間なんて信じられない。

 溢れそうなほど涙を溜めた百合子に、剣崎は「安心したまえ」と言う。背後から聴こえた声は不思議なほど穏やかだった。

「僕達は死なないよ、生きて脱出するんだ」

「……本当ですか?」

「勿論。既に手は打ってある」

 流石、剣崎改! 名探偵の名は伊達じゃなかった!

 拘束されていなければ、賞賛の拍手を贈っていただろう。それこそ、手の平が真っ赤に腫れるほど打ち鳴らしていたに違いない。

 百合子の「どうやって脱出するんです?」の問いに、剣崎は穏やかな声音のまま「簡単だよ」と笑った。


「まず、霧島藤次郎を殺す」


一瞬だけ、確実に時が止まった。

「…………は? 何て?」

「百合リン日本語通じなくなっちゃったの? 困ったな。じゃあ、ここ出たらクビね」

「いや、通じてるから戸惑ってんだよ! え、殺すって言った? 嘘でしょ?」

「嘘じゃない。目的を達成する為には、まず障害物を排除しないと」

「……手は打ったって、一体──」

 一体、何をした。

 訊こうとした瞬間、大きな物が倒れる音がした。そして地獄の底から轟くような、低く恐ろしい音が百合子の耳に届く。

「ああ、やっと効いたのか」

 背後の男がゴソゴソと身動ぎしながら、やれやれという風に呟いた。効いたって、何のことだ。

「百合リンは、スズランの毒の強さが如何程のものか知っているかい? なんと、青酸カリの十五倍も強烈なんだ。しかも、水に生けて置くだけで簡単に溶け出してくれる。これほどお手軽な毒物はないよ」

 知っている。事務所にスズランの鉢を持ち込んだのは、百合子自身だ。亡き祖母の好きな花で、子供の頃から大事にしていたものだった。

「黒太に危険が及ぶ」と渋る剣崎に、様々な条件を提示してお願いした苦労が思い出される。あの時にも散々、スズランの危険性を語られたのだ。花粉さえ害を齎すのだと。

「僕は霧島が犯人だと分かっていたし、何より彼に対し怒りを抱いていた。あのジジイ、『開かずの間』で僕に何をしようとしていたと思う? 毒殺しようとしたんだよ。僕は珍しく怒った。よし、目には目を。毒には毒をだ!」

「せめて『唯一の女性所員である姫影百合子の命を脅かしたから』が怒りの原因であって欲しかった」

「君の命を危険に晒したのは、同行させた僕の落ち度だよ。彼ではない」

 背中に、ぶつんと衝撃を受ける。手首を締め付ける痛みがなくなって、血流が急激に改善されるのを感じた。

 振り返った先には、当たり前だが剣崎改が立っていた。ブーツの底に仕込んでいたらしい、細身のナイフを片手に微笑んでいる。凄惨な連続殺人事件の舞台上でなければ見蕩れていただろう、完璧に美しい微笑みだった。

 剣崎は百合子の腕を引き上げて立たせながら、「僕は推理した」と語り続ける。

「彼が屋敷の何処に触れるのか。僕はに、スズランの毒水を塗布した。処方されている薬のシート、愛用しているバカラのグラスの縁、廊下を歩く際に必ず手を添える壁……如何したの、百合リン。ブサイクな顔をして。あっ、もしかして『開かずの間』から君の前に現れるまでに、何もしていないと思っていたのかい?」

 そんなことはなかった。剣崎改は名探偵だ。彼の脳内なんて凡人には理解できない。百合子は剣崎を時々「地球に迷い込んだ、人間の生態に詳しい宇宙人」だと思っていた。喩え理解不能でも、人間社会の秩序と法と倫理と常識を持ち合わせている。快楽殺人鬼を捕縛して、部下である人間を必ず助けてくれる筈だと期待していた。

 百合子は、目の前の宇宙人が初めて怖くなった。今になって「簡単に殺す決断が下せるタイプの宇宙人」だと知ったのだ。対霧島以上の恐怖を感じて当然だった。

 いつの間にか、地獄からの低音は止んでいる。剣崎の微笑みが、新しい玩具で遊ぶ子供のような無邪気なものに変化する。

「さあ、百合リン。この屋敷で寛ぐ最後の三分間は終わったよ。次は、屋敷から脱出する三分間を始めようか」


(了)

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