本日は五時で閉店です

古月

本日は五時で閉店です

「いやぁ、おいしかった。満足満足。ごちそうさま」


 仰々しく手を合わせた男の前から、涼子りょうこはさっさとお膳を下げた。


「お粗末様でした。それじゃあもうお店を閉めたいから、出て行ってもらえる?」

「え、五時の閉店まではまだ三分もあるのに?」

「逆よ。もう三分しかないの」


 厨房に入った涼子は流し台の水を張った洗い桶の中へ下げた食器類を放り込む。蛇口を捻ってスポンジを手に取った。


「食器洗いなんて後からでもいいだろ。ちょっとこっちに来て、俺と話をしようよ」

「あいにくとここはキャバクラじゃなくてただの定食屋なの」

「確かにキャバクラみたいな華やかさはないけどさぁ」

「ねえ、どうせならお皿まで食べてみない?」

 ぞっとするような声で涼子が言えば、男はやれやれと肩を竦める。ちっとも堪えちゃいない。


 この店は涼子の両親が経営していた。しかし母は数年前に亡くなり、父も一月ほど前に体調を崩して入院した。なんだか小難しい名前の病気で、すぐに死ぬわけでもないが治るわけでもないとのことだった。そうなるともう店を続けることはできない。それで父と相談した結果、今日この日を最後に閉店することにした。

 もともと寂れた商店街の片隅、両側をすでにシャッターを降ろして久しい空き店舗に挟まれた店だ。人の入りは以前から少なく、最終営業日に訪れた客は昼時の三名と、閉店間際になって無理やり入店してきたあの男一人だけ。


 あれは涼子より一つ上の幼馴染で、哲也てつやという。昔から度々店を訪れては、手伝いをする涼子にちょっかいをかけていた。ファミレスでもないのに食べ終わってからも長々と居座り続ける迷惑な客だ。何度お茶を有料にしてやろうかと思ったことか。


「生姜焼きがさ、美味かったんだよ」


 奴め、出て行けと言ったのが聞こえなかったのか。わざわざ水音にかき消されないように音量を上げている。


「最初にここに来た時、初めて食べたのが生姜焼きだった。それがまた美味くてさ。絶対にまた来ようと思ったんだ。俺がリピーターになったきっかけ」

「へぇ、そうだったの?」


 そんな話は初耳だ。というより、哲也が笑えもしない冗談以外を口にするところを初めて見た気がする。


「この店のメニューは大体食べつくしたけど、やっぱり生姜焼きが一番だね。あれだけ何か、味付けが違うみたいなんだよ。それが俺の舌にはピッタリで」

「あー、なるほど……」


 蛇口を閉める。たった一人分の食器などあっという間に洗い終えてしまった。両手の水気を拭き取りながらまた表に出た。ちらりと壁の時計に目をやる。午後四時五十八分。まだ一分しか経っていない。


「だから今日は絶対、最後にもう一回だけ生姜焼きを食おうと思っていたんだよ。いやぁ、いつも通りの味で安心した。あれがもう今後食えないと思うと寂しいけどさ」

「ああうん、それなんだけどね? 実はあれ、私の担当なのよね」


 哲也がきょとんとした。

「担当? どういう意味?」

「父さんと母さんと私で、作る料理を分担していたの。で、生姜焼きはずっと前から私の担当。父さんはもう長いこと作っちゃいないわ」

「あれ、涼子が作ってたの? そもそも料理できたの?」

 一瞬芽生えかけた殺意を涼子はうまく宥めることに成功した。

「定食屋の娘ナメんな。大体ここしばらくの調理は全部私がやったの、知らなかった?」

「え、親父さんが奥にいるんだとばっかり」

「入院中だって言ったでしょ。厨房に立てるわけないじゃない」


 あー、と哲也は何やら気恥ずかし気に頬を掻き、それから改めて涼子を見据えて、

「おいしかった。うん、めっちゃ美味かった」

「わざわざ言い直さなくてよろしい。そんなに好きなら、また作ってあげるから」

「――え」

「え?」


 二人同時に凍り付く。顔を見合わせ、さっと視線を外す。

 今のは涼子の失言だった。また次の来店時に作ってやる程度の意味合いだったのだが、店は今日限りで閉店だ。

「それはつまり……?」

「誤解しないで! 他意はないんだから」

「お、おう。もちろんわかってるよ!」


 妙な沈黙が流れた。また時計を見る。閉店まであと一分。


「……それで、さ。涼子はこれからどうするのさ」

 こいつまだ話を続ける気か。涼子はこれでもかと言わんばかりの蔑み顔を哲也に向けた。

「まずは勉強。それから何か、使えそうな資格を取ってみる。それでいい会社に入って、父さんの治療費を稼がなきゃ。とりあえず卒業までの学費はあるし」

「いやそうじゃなくて」


 顔の前で手を振る哲也。

「そういう、先々の話じゃなくて。店を閉めた後の、今日の話」

「今日の?」

 きょとんとする涼子。


「店を閉めて、父さんの具合を見に行って、あとは家に帰るだけだけど」

「病院って、歩いてすぐの中央病院だよな?」

 頷く。それがいったいどうしたのだ?


「それならさ。お見舞いが終わったら、俺と一緒にちょっと出掛けないか? まだ早い時間だし、晩飯まだだろ?」

「今さっき生姜焼きを平らげたのは誰?」

「あれはちょっと遅めの昼飯だから。俺も晩飯はまだ食ってない」

 男の胃袋はどんな構造をしているのだろうか。涼子は不思議に思った。いや、それよりも。


「冗談はやめてよ。さっきのは私の言い間違い。勘違いしないでよね」

「わかってるよ。そのうえで、俺は訊いているんだ」


 カチリ、時計の針が動いた。次いで電子オルゴールの「夕焼け小焼け」が再生され始める。


「……五時になった。閉店よ。店を出て」

「おい、答えを聞いてねぇぞ」

「だから、店を出て。……先に待ってて」


 涼子は哲也の湯飲みと急須を手に取り、奥に引っ込んだ。一度大きく息を吸って、吐く。


「……もう料理の練習なんか、しなくていいと思ったのにな」


 つぶやき、手にしたそれらを洗い桶に放り込む。沈んだ湯飲みがゴツンと音を立てた。


(了)

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