夢幻心臓時計

沢田和早

夢幻心臓時計

 あたしは女子高生、そして異能の持ち主。心臓で時間を計測できる。


「へえ~、それは便利な能力だね。なら時計は必要ないんだね」


 ちょっと、簡単に決めつけないでちょうだい。わかるのは時刻ではないの。時間の経過だけ。そしてそれは常にわかるわけではないの。何かが終了する3分前、その時にだけ発動する特殊能力なのよ。


「あまり役に立ちそうにないなあ。どんな仕組みなんだい」


 右胸に突然心臓が出現するのよ、と言ったら驚くかもしれないわね。たぶん実体はなくて単に鼓動を感じているだけだと思うわ。

 とにかくあたしの意思とは関係なく右胸が鼓動を打ち始める。それで時間がわかるのよ。ちなみにあたしはこれを夢幻心臓と呼んでいるわ。


「鼓動で時間がわかる? どうやって」


 簡単よ。時間は振動数の逆数でしょう。例えば心拍数が毎分60回なら、1回の心拍時間は1/60分、つまり1秒。心拍数を数えれば時間の経過がわかる。水晶やセシウムみたいに高周波数ならもっと精密に時間を計測できるけど、日常生活なら1秒がわかれば問題なし、でしょ。


「でもそれなら元々ある左胸の心臓で計測できるじゃないか。それに心臓の鼓動なんて正確じゃないよ。誤差が大き過ぎる」


 だからあ~、あたしは能力者だって言っているでしょう。

 終了3分前に発生する右胸の鼓動は毎分120回と決まっているの。そしてそれは極めて正確。1秒2回のペースで確実に時を刻んでいく。あとは時計を見る必要はない。回数を数える必要もない。鼓動を感じるだけで終了までの残り時間がわかるのよ。


「う~ん、まだよくわからないなあ。そもそも終了3分前ってどういう意味。終了って何が終わるの?」


 それは色々よ。バレーの試合中ならゲームセット3分前に右胸がバクバクし始めて最後の力を振り絞れるし、学校の試験なら終了3分前に鼓動が発生して諦めの境地に入れるし、電車に乗車中なら下車駅到着3分前に能力が発動して降りる準備を開始できる。便利でしょ。


「いや、それって普通に時計を見ていればわかることじゃないか。意味ないよ」


 だから早合点はやめてって言っているでしょう。本題はここから。さっきの例は何が終了するかわかっているケースばかりだった。でもあたしの能力はそれだけではないの。右胸の鼓動は3分先に終了する何かを予見してあたしに教えてくれるのよ。


「例えば?」


 雨の中、傘を差して歩いていると右胸の鼓動が始まる。そして3分経つと雨がやむ。これは降雨の最後の3分間をあたしに知らせてくれた例。

 クラスの友人と喫茶店でお喋りしていると右胸の鼓動が始まる。3分後、友人に急用ができて先に帰ってしまう。これは遊んでいられる最後の3分間をあたしに知らせてくれた例。

 どう、凄くない? こんなことって時計を持っていたとしても絶対にできないでしょう。


「確かにそうだけど不完全だよ。だって鼓動が始まったとしても、それが何に対しての最後の3分間なのかはわからないんだから」


 そうでもないわ。現在あたしが一番意識している行なっている事柄。これに対して右胸の鼓動は反応してくれるみたい。


「そうなんだ。じゃあ、現在進行中の鼓動は、やっぱり君の恋の行方に対して反応しているわけなんだね」


 あたしはそこで空想を終わらせた。

 これまでの遣り取りは昨晩あたしが手紙に書いた文章。その手紙を、今、あたしの目の前で読んでいるのは彼。同じ高校に通うクラスメイト。

 一目惚れだった。どうしても気持ちを抑えられず手紙を書いた。もちろんあたしの能力も書いた。あたしの全てを知ったうえで彼の気持ちが知りたかったから。


『でも、叶わぬ願いだったわけね』


 あたしは心の中でつぶやいた。彼が読み始めて幾らも経たないうちに右胸の鼓動が始まっていた。

 もう彼の答えを待つまでもない。夢幻心臓が予見したのはあたしの恋の終了。初めて会った時からほのかに抱いていたこの気持ちも、残り1分ほどで終わるのね。


「……」


 彼は無言だ。今頃どの辺りを読んでいるのだろう。問答形式の秘密の告白を読み終わって、普通に恋文らしい文章に差しかかっている頃かな。


「なるほど。ボクのためにこんな手紙を書いてくれてありがとう」


 読み終わった彼は頭を上げた。断られるとわかっていてもあたしは逃げない。はっきりと彼の口からそれを聞いてあたしの恋を終わらせよう。


「君の気持はよくわかったよ。何だか信じられないな。右胸に鼓動があるなんて」

「そうね。だから誰にも言わなかった。秘密を教えたのはあなたが初めて」

「それで、今、右胸は鼓動を続けているの」

「うん」

「あの、もし差し支えなかったら、君の右胸に触ってもいいかな」

「えっ!」


 突然の申し出に左胸の鼓動までも高まり始めた。あたし以外の人に夢幻心臓の鼓動を感じられるのかな。まだ試したことはないけど、ひょっとしたらできるかもしれない。


「い、いいけど、でも……」


 躊躇するあたしには構わず彼の左手が右胸に触れた。


「どう?」

「うん、感じる。じゃあ今度はボクの右胸に触れてみて」

「あなたの?」


 彼の意図がまるでわからない。わからないまま彼に握られたあたしの左手は彼の右胸に押し当てられた。


「ウソ! どうして!」


 彼の右胸に手を当てたままあたしは叫び声を上げた。鼓動を感じたからだ。あたしと同じ毎分120回の心拍が左手を通じて伝わってくる。


「ボクも君と同じ能力を持っているんだ。でも予見するのは最後の3分間じゃない。始まりの3分間。何かが始まる3分前にボクの右胸は鼓動を開始する。手紙を読み始めた時、その鼓動が始まった。それで確信した。夢幻心臓が予見してくれたのはボクらの愛の始まりなんだと」

「そ、それって!」

「ボクも君が好きだった。永遠の愛を誓うよ」


 彼があたしを抱き締めた。左胸の心拍数が右胸と同じ毎分120回に跳ね上がる。信じられない。だってあたしの夢幻心臓は何かの終了を予見していたのよ。それなのに……


「ああ、ボクの右胸の鼓動が終わる。間もなく始まる」


 あたしの右胸の鼓動も終わろうとしている。何が終了するのだろう。この鼓動が消滅した後に待っているものは何?


「……止まった」


 信じられなかった。こんなこと、今まで一度もなかった。3分経過の直前、359回目の心拍を最後にして、あたしの右胸は鼓動を止めてしまった。


「ボクの心拍はきっちり360回で止まった。始まったんだ。でも君の最後の鼓動はもうやってくることはないと思うよ。夢幻心臓の予見というものは完璧ではないんだろうね。あるいはボクという異能を前にして狂いが生じたのかもしれない。その結果、君の夢幻心臓の周波数は限りなく0に近い無限小になってしまったんだ。でもその結果は正しいよ」

「正しい? どうして周波数無限小が正しいって言えるの」

「君の恋は終わらないからさ。時間は周波数の逆数。無限小の逆数は無限大。永遠の時。永遠に続く君とボクの恋が、今、始まったんだ」


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