11時57分のシンデレラ

koumoto

11時57分のシンデレラ

 いまは十一時五十七分。あとたった三分で、十二時になってしまう。終わりを告げる鐘が鳴ってしまう。それまでになんとかして、このぼんくら顔のクソ王子の心を射止めなければ。泥沼を這いずるようなわたしの人生を、変えるための端緒をつかまねば。

「王子、一緒に踊りませんか?」

「踊り、ね。ごめんだな。疲れるだけだから。ああ、早くこんなパーティーなんて終わらないかな。眠い……」

 わたしが愛想笑いを浮かべながら優しい猫なで声で切り出してやった誘いを、無下に断る肌つやのいいお坊ちゃん王子。

 クソいまいましい。怒りでこめかみがひくついてしまう。手近な料理皿をそのあくびしているバカ面にぶちまけてしまいたくなる。しかしまあ、あと三分では踊ってる暇もないか。よく考えろ、わたし。でも考える時間さえない。魔法の解ける時間が迫っている。あのクソババア。魔法に刻限なんか設けるな。与えておいて、取り上げようとするな。虫けらをもてあそんで楽しむような真似をするな。持てる者が持たざる者をなぶるな。


 事の発端は、王宮で行われる舞踏会の招待状だった。わたしの家にもそれが送られてくると、義理の姉どもは大騒ぎ。豚のように鼻をひくつかせて興奮している。聞けば、王子の結婚相手を探すためのパーティーだという噂まである。権勢欲の塊である姉どもが発奮しないわけがない。

 当然、わたしなどは行けるわけがなかった。両親が死んでから、お情けでこの家にもらわれてきたわたしには、そんな贅沢は許されない。つい、わたしも行ってみたいな、なんて希望を口にしてしまうと、姉どもはげらげらと笑った。みすぼらしいシンデレラ、あんたは屋根裏で蜘蛛とでも踊ってなさい、だと。むかついたので、クソ姉どものスープに蛙とトカゲの死体をぶちこんでやったが、腹立ちはおさまらなかった。

 舞踏会当夜、どう着飾ったところでサソリのような毒々しい性根は隠すべくもない浅ましい姉どもが出かけるのを見送ると、わたしは悔し涙に泣き濡れた。

 ああ、神さま神さま、なぜ、心の清いわたしにこんな仕打ちをするのですか。邪智奸佞じゃちかんねいの姉どもを優遇するのですか。善をくじいて悪をはびこらせるのですか。

「おやおや図々しい。神さまはあんたの薄汚い心をお見通しだよ。当然の扱いとしか言えないね」

 夜闇に溶け込んでいつのまにか近くに佇んでいた頭のおかしそうなババアが、そんな戯言をほざいた。なんだこいつ。

「でもあたしは神さまが嫌いだから、あんたにチャンスを与えてあげるよ。あたしの魔法で、あんたの外面だけは取り繕ってあげる」

 カボチャを持ってきなさい、ときいきい声でがなり立てる狂ったババア。わたしは狂気を間近で嘲笑うのが大好きなので、はいはいとおとなしく従ってカボチャを持ってきてやった。

 驚いたことに、ババアが杖を一振りすると、カボチャは立派な馬車へと変貌した。このババア、マジシャンなのか?

 ネズミを持ってきなさい、とまたも妙な要求を叫ぶ狂ったババア。ちょうど姉どもの食事に混入するためのネズミの死体が余っていたので、わたしはそれも持ってきてやった。

 またも驚き。ババアが杖を一振りすると、死んだネズミどもは、立派な馬と御者に早変わり。このババア、ネクロマンサーなのか?

「さあ、これで仕上げよ」

 そう言って、ババアは今度はわたしに向かって杖を一振り。すると、あら不思議、わたしは見目麗しい華やかなドレス姿になっているではないか。ちりばめられた宝石、きらびやかなガラスの靴。これなら、クソ姉どもにも、みすぼらしいシンデレラ、などとは言わせない。

 どうやらこのババアは本物の魔法使いのようだった。そんな怪しげな存在は火あぶりにしてしまうべきだと個人的には思うが、わたしに利する限りは生かしておくのもやぶさかではない。

「これで舞踏会への準備は整ったわね。さあ、心のどす黒いシンデレラ、行っておいで。ただし、魔法の効力は十二時まで。それを過ぎたら、あんたの邪悪でみすぼらしい正体が顔を出すから、覚えておいてね」

 そんなわけで、わたしはめでたく舞踏会へと赴くことができたのだが……。


 舞踏会に来ている財産と権力に飢えたぎらついた女どもは、どいつもこいつも芋くさいちんくしゃばかりで、勝った、とわたしは内心でほくそ笑んだ。

 しかし儀礼的な挨拶だのクソつまらない余興だのばかりがだらだらと続いて、肝心の王子はいっこうに姿を現さない。夜も遅くに開かれたパーティーは、すでに約束の刻限へと近づいている。わたしは苛々と待った。

 ようやく王子がおいでなさった。そして、ほらこの通り、王子はまんまとわたしのそばへと寄ってきた。だっていうのに、このクソ王子は、パーティーには気乗り薄で、女なんかもどうでもよさげ。一度惚れさせてしまえば、男なんてバカだから、みすぼらしい正体が露見してしまっても、ぼくが助けてあげる! なんて思い上がった義侠心を発揮してくれるかもしれないと、わたしは手ぐすね引いて待ち構えていたのに、これでは甲斐がない。

「王子」

 結局、なにもいい案も思い浮かばないまま、残りの三分間は過ぎ去ろうとしていた。もうわたしはやけっぱちになって、ストレートに訴えかけることにした。一世一代の、渾身の告白だ。

「王子……実はわたし、あなたのことが好きなのです。お慕い申し上げます。会ったばかりでこんな不躾なことを言うのをお許しください。でもあなたの魂の光は、ほんのわずかの時間で、わたしのこころを奪ってしまいました。わたしは、みじめで卑しい魂しか持たない、哀れな女でしかありません。ですが、あなたを想うと、こころの闇が晴れて、日向に眠る猫のような温かい気持ちになれます。こんなにも安らげたのは生まれて初めてです。どうかこんなわたしを、救ってはくれませんか? どうかわたしに、お慈悲を賜ってはくれませんか? どうかわたしを、あなたのお側に置いてくれませんか?」

「……え? なんか言った? ごめんごめん、聞いてなかった。犬のバカ面を思い出してね。ブルータスっていう名前のぼくの愛犬。きみの顔ってちょっと犬っぽくて笑えるよ。よっしゃ、そろそろこの茶番も終わりの時間だな」

 十二時の鐘が鳴った。夢のように華やかな舞踏会は終わった。わたしはキレた。

 ガラスの靴を片方脱ぐと、わたしはその即席の凶器を手に取り、王子にかけよった。研ぎ澄まされた刺客のように、わたしはガラスの靴のヒール部分で、クソ王子の片眼を突き刺した。

「死ね、なにもかも持っている傲慢な権力者め! 泥をすすって生きる貧民の怒りを思い知れ!」

 舞踏会は、血で染められた。招待客たちから悲鳴があがった。この豚のような耳障りな悲鳴は、おおかたあの醜いクソ姉どもだろう。

 ぞろぞろと王配下の近衛兵が、慌てたようにまろび出てきた。王子になんてことを! などと口々に叫んでいる。知ったことか。守るべき者を無防備にさらした、自分たちの無能を呪え。

 しかし、それを引き止めるように、待て! という声があがった。王子だった。王子はまだ生きていた。だらだらと片眼から血を流してはいるが、意外にもなかなかのタフさで、すっくと立ち上がった。

「……感動したよ。なんて純粋な殺意だろう。ぼくは、生きることに飽き果てていた。うまいものをいくら食おうが、気にくわない者の首をいくらはねようが、満たされることはなかった。でも、いまわかった。ぼくに必要だったのは恋だったんだ。愛への燃えるような情熱だったんだ。きみのその獰猛な瞳……強靱な意志……暗器を使いこなす素早い身のこなし……。すべてが最高だ。こんな女性とは出会ったことがない。こんな感覚は生まれて初めてだ。――ぼくと結婚してくれ!」

 あ、まずい。この王子、狂ってる。

 わたしは脱兎のごとく逃げ出した。近衛兵のあいだをかいくぐって、手負いの獣のような必死さでかけぬけた。

「殺すな、殺すな! 生かしたままとらえろ! 彼女はぼくのものだ! ぼくのものだぞ!」

 背後に遠く、狂った王子のそんな叫び声が響いていた。階段をおりる時に、もう片方のガラスの靴が脱げ落ちたが、わたしは裸足のままかまわずに、ましらのごとく逃げ去った……。


 そうしてわたしは、その一夜の悪夢を、なんとか逃げ延びた。ちょうど魔法が切れて、わたしの華やかな装いはかき消えてくれたので、なんとか追手の目をごまかすことができた。しかし、聞くところによると、隻眼の王子は配下をぞろぞろ引き連れて街をめぐり、「このガラスの靴がぴったり合う女性はいないか」と探しまわっているそうである。権力を持ったストーカーはおそろしい。

 ああ、神さま神さま、どうかわたしを、清らかな心を持つ可憐な少女を、邪智奸佞な姉たちからも、偏執狂の王子からも、腐り果てたこの世界からも、とこしなえにお守りください!

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