執事の勤め(掌編)
文目みち
執事の勤め
幼き頃から財閥である
香純様は幼き頃から美しく、ご両親から蝶よ花よと育てられ、その愛情を多く受け取り立派なお嬢様となられました。
始めは煙たがっていた習い事も、通い続ける内にその天賦の才を目覚めさせ、誰よりも輝かしい成績を収められました。当然ご両親は喜ばれましたが、当の本人はさも当然のかのごとく凜々しいたち振る舞う。そのお姿は多くの人の憧れの的でした。
何もかも完璧に熟してしまう香純様は、月の前の灯火のような私にさえも優しく接してくださる人柄をお持ちでありました。
香純様が小学をご卒業になられる頃の思い出が蘇ります。
香純様が通う小学では、卒業生全員に卒業論文の課題がありました。テーマは将来の目標。
その日は香純様に呼ばれ、香純様の部屋に伺ったところ、机に向かい文章を綴っていた香純様が私に向かって言いました。
――白銀は、文集には何て書いたのかしら?
――私ですか。私は父のような立派な執事となり、これからも黒金家を支えられるようにと書いた覚えがあります。
――ありきたりね。
少々冷たいお言葉でしたが、その後にこう続けて香純様は言いました。
――でも、白銀なら問題ないんじゃない。
香純様らしいお褒めの言葉として私は受け取り、大変嬉しく思いました。そして、私は聞きました。
――香純様は、何と書かれるのですか?
――秘密よ。
――それは気になりますね。少しばかり教えては頂けませんか?
――嫌よ。じゃあ逆に聞くわ。白銀は私にどんな人になってほしい?
その問いに、私は即答しました。
――それはもう、ここ黒金家の一人娘として御父上から引き継ぎ、さらなる繁栄をもたらす立派な当主になられる。きっとご両親もそう思っておられますよ。
誠意を持って答えたつもりでした。しかし、香純様は私の言葉を聞いた途端、筆を進めていた紙を無造作に丸め私に向かって投げつけたのです。虚をつかれた私は、しばらく蝋人形のように固まったまま動けず、呆然と立ち尽くしていました。
香純様はそのまま椅子から立ち上がりベッドへと潜り込みます。それから少しして私は床に転がった紙を広いあげ、いかがしたものかと悩みました。
見てはいけないとわかっていても、当時の私もまだ若かった。香純様が途中まで書かれた文章に興味を抱き、了承を得ぬままその紙を広げてみてしまいました。
そこには、歪んだ文字でこう書かれていました。
『黒金から卒業したい。』
その一文を目にした時、胸の奥が苦しくなったのを覚えています。
黒金家をたった一人で支える。そのプレッシャーは誰よりも感じていたのでしょう。私はそれに気づかず、大変失礼な言葉を口にした。その後悔が当時の私の胸を締め付けたのです。
かける言葉が見つからない。私はその場で泣き崩れました。初めて人前で涙を流したのです。私の両親からの厳しい叱責には、涙ひとつ見せず耐えてきた私でしたが、その時はなぜか耐えきれず涙が溢れました。
するとその様子を見た香純様が私に近づき、優しいお言葉をかけてくださいました。
――あなたも泣くのね。……良かった。わたしの前ならいつでも泣いても良いわよ。
あの時の「良かった」という言葉。当時の私にはその真意を推し量ることはできませんでした。
しかし、今ならわかります。
あの時が、きっと私と香純様の心の距離が近づいた一歩目立ったのかもしれません……。
「おはようございます」
「……おはよう」
香純様の朝は決まって午前7時。毎朝起こして差し上げるのも私の勤め。
「よく眠れましたか?」
「そうね。夢をみたわ」
「夢、ですか」
「ええ、小さい頃の夢。懐かしかったわ」
「そうですか。それは私もみたかったです」
「教えてあげないわよ。わたしの夢ですもの。ねえ、そんなことよりいつものは?」
いつもの。それはある時をきっかけに始まった習慣。
「香純様。私はあなたを心から愛しています」
「私もよ。純一」
いつしか香純様にとって最高の目覚めを与えることが、私の一番の勤めとなりました。そして、その最高は毎日積み重ね、これからも積み重ねていくことでしょう。ここ白銀家の当主として。
執事の勤め(掌編) 文目みち @jumonji
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