生きるか死ぬかの3分の後で。

宇部 松清

『彼』の祈りの3分。

 ピ、とキッチンタイマーをセットする。

 時間は『03.00』。


 嫌な数字だ。

 否応なしにも――仕事を思い出してしまう。

 だけど、違う。もう違うんだ。俺はもうこんな時間に縛られることもない。


 タイマーをじっと見つめる。

 

 02.55、02.54、02.53……。

 左腕に着けている時計の秒針とも、テレビの上の掛け時計の秒針とも、全く同じリズムで、タイマーの数字は減っていく。そりゃ当たり前だけどさ。


 こうやってまじまじと液晶を見ていると、3分というのは案外長い。


 立て掛けてある折り畳み椅子を出し、腰を下ろす。

 目の前にあるのは、お湯を入れて3分で食べられるラーメン。それから、イチゴの形をしたキッチンタイマー。ラーメンはずっと食べそびれていた買い置きで、タイマーは昔の恋人が置いていったものだ。


 昔はいまより人がいなくて、呼ばれるのは俺しかいなかった。才能っていうのか、能力っていうのか、とにかく適性っていう厄介なものもあったし、少々特殊な訓練もしなくてはならない。だから、俺が行くしかなかった。


 だけどいまは俺以外にも戦えるやつがいる。新しいパワードスーツが開発されたからだ。かといってそいつらが俺より優秀か――と言われれば、首を傾げざるを得ないが。

 だってそうだろ? 俺は一人だった。たった一人で次から次へと襲い掛かって来る侵略者達と戦ってきたんだ。でもいまは、たくさんいる。かなり緩い試験と3ヶ月間の実技講習だけで対侵略異星人用の戦士が出来上がってしまうのだから、科学の発達とは素晴らしいものだ。

 けれど悲しいかな、活動時間までは延びなかった。3分。相変わらずこれが俺達の戦える時間だ。


 俺は――いや、俺達は敵出現の知らせを受けると胸のバッジを天高く上げて変身する。例えデートの途中でも、冠婚葬祭の真っ最中でも。だって、地球の平和と天秤にかけたら、どっちに傾く? ――だろう?


 だから、恋人なんてものが出来ても、皆、早い段階で去っていく。けれど――そうだな、キッチンタイマーこれを置いていった早苗さなえとはそれでも長かった。3年だ。付き合ったのは彼女が28の時。俺なんかと付き合わなけりゃとっくに結婚して、もしかしたら子どもなんかもいたかもしれない。風の噂では、まだ独身らしい。俺のせいだろうな。


 あぁ、長いな3分。この3分間を早苗はどんな気持ちで待っていたんだろう。

 こんなラーメンを待つ3分じゃない。もう会えないかもしれないと考えながらの3分だ。長かっただろう。

 もしまた会うことが出来たら、何度も何度もそんな3分間を味合わせてしまったことを謝ろう。そんなことで許されるとは思えないが。それでも。


 さぁ、3分だ。

 最近じゃこんなカップ麺なんて食べられなかったからな。別に『3分』というのがネックだったというわけではない。健康面の問題、というか。新型パワードスーツになってから、食事制限が厳しくなったのだ。だから俺は旧式のスーツで良いって言ったんだが。それなら完全に俺の自己管理で飲食が出来るから。それなのに、和を乱すなとか、何だとか。


 もうそんな生活が嫌だった。それだけではないけど。

 だけど、地球のため、世界の平和のため、と、身近な人を犠牲にして、自分自身の身を削り続ける生活がもう嫌になった。

 俺じゃなくても良いのなら、俺以外にもいるのなら、俺だけが耐えることもない。

 身体に悪そうなカップ麺ジャンクフードを食べ、安い発泡酒で酔いつぶれる日があったって良いはずじゃないか。


 だから、これは、俺がヒーローを辞めて、記念すべきの『3分』だ。生きるも死ぬもない、ただのんきに考え事でもしながら、本当に気を抜いて待てる『3分』。


 俺はこれからそんな『3分』を経験していくんだ。

 その中でもしまた、早苗アイツに会えたら……。










 ※ ※ ※ ※


 とぽとぽと、煮えたぎった湯が注がれ、蓋が閉められる。その上に乗せられるのは、食べる直前に入れるスープの袋。濃厚な味噌のそれは、ずしりと重く、決して蓋が持ち上がることはない。

 

 熱い湯の中で、ゆるゆると麺が解れていく。カラカラだったかやくが、息を吹き返す。


 ピ、とタイマーをセットする音が聞こえる。

 さぁ、ここから3分だ。


 カップラーメンとして生を受け、手に取られる日を心待ちにし、湯を注がれ、食べられる瞬間を待ち望んできた私である。


 しかし、大抵の場合、購入してすぐに私を開封し食すと聞いていたのだが、この彼は一向にそれをしなかった。それどころか、後生大事に、この家の守り神でもあるかのように、キッチンの吊り戸棚の中にしまってしまったのである。


「あのスーツさえなければ」

「こんな仕事いつか辞めてやる」


 そんな恨み言を聞かされ続け、寝かされ続けてきた。

 最初こそ、「良いからとっとと食えよ! 10分もあれば食い終わるから!」と苛立っていたのだが、ここまで焦らされればもう無我の境地だ。

 

 そして、いま、その時を迎えたのである。

 

 しかし、彼は知らない。

 実は私の内部に、毒物が混入されているということを。

 低賃金かつ重労働によって心を病んだ工場の青年がほんの出来心で――という体でポイズラッツ星人が混入した殺鼠剤である。もちろん、成人男性を充分死に至らしめられる量だ。


 麺から食べればギリギリセーフかもしれない。何せ、殺鼠剤はスープの方に入っているのだから。

 辞めたとはいえ、彼はヒーローなのだ。しかもその新型パワードスーツなるものに頼らずとも――星人のレベルによっては、何なら変身せずとも戦えるほどの力を持った男なのである。

 だから、もし、麺から食べてくれれば、多少腹を下す程度で済むかもしれない。


 奇妙な縁ではあるが、毎日毎日愚痴を聞かされ続け、多少の情はある。私は別にそのポイズラッツ星人に作られたわけではなく、毒を混入されただけのただのカップ麺である。が、この不運な男を可哀想に思う気持ちくらいあるのだ。


 だからどうか、麺から。

 麺から食べてくれ。

 そして異変に気付いてくれ。

 私が出来るのはもう祈ることのみだ。


 蓋の上で温められたスープの袋が取り除かれ、蓋が開かれる。

 柔らかくなった味噌が、にゅる、と投入され、それが割りばしでぐるぐるとかき混ぜられ――……






 ※ ※ ※ ※



「ふむ、こだわりの濃厚味噌スープか。楽しみだ。それじゃあまず、そのスープから……」





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生きるか死ぬかの3分の後で。 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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