願いを叶える666の法則

くろまりも

願いを叶える666の法則

 悪魔。呼び出しに応じ、召喚者の願いを叶える存在。その力は常軌を逸し、人智を凌駕するが、代償として大いなる苦痛の末に魂を奪われるという。

 それを知ってなお、悪魔を呼び出そうとする少女がここにいた。彼女……マルクトは、銀のナイフで指を軽く斬り、床に描かれた魔方陣に一滴垂らす。

「お願い、来て……」

 悪魔の召喚に挑戦したのはこれが初めてではなかった。幾百もの試行を繰り返したが、これまで召喚に成功したことは一度もない。心が折れそうになったことも数えきれないほどあるが、それでも叶えたい願いの為に、マルクトは何度でも立ち上がった。

 しかし、今夜のそれは様子が違っていた。彼女の血が、落ちた場所から血脈のように魔方陣に広がり、赤く不気味な光を放つ。

 驚きで目を見開くマルクトの前で、魔方陣から異形が出現する。黒ヤギの頭にタキシード。まるで絵本に登場しそうな悪魔の姿をしたその怪物は、見た目にそぐわぬバリトンの美しい声を出す。

「我が名はケテル。我を召喚し、身の丈に合わぬ願いを叶えようとする愚か者はそなたか?」

 月を思わせる美しい瞳に見つめられ、マルクトは高鳴る胸を抑えながら頷く。それを確認したケテルが手をかざすと、宙から紙の束が出現した。

「えー、それでは契約の前にいくつか確認させていただきます。まずはお名前とご年齢、ご職業を教えてください」

「……え?あっ、えっと、マルクトです。年齢は17歳で、高校三年生です」

 突然始まったバイトの面接のような質問に、マルクトは反射的に答えてしまう。それを聞いた悪魔は、やれやれといった感じで首を振る。

「まったく、こういう人が多くて困るんですよねぇ。悪魔との契約は十八歳になってから。常識でしょうが」

「そ、そんな、お酒は二十歳になってからみたいなこと言われても……」

「人間の魂は十八歳になるまで成熟しないので、十八歳になる前に魂を奪ってはいけないルールになっているのです。それでは、私はこれで」

 呆然となるマルクトを無視して、悪魔は魔方陣に沈んでいった。


~完~


「い、いや、ちょっと待って!まだ終わらないで!」

「ぐえっ!?ちょっ、く、苦しい!!」

 ケテルの首にチョークスイーパーをかけて、彼が魔方陣の中に戻っていくのを力づくで阻止する。悪魔にプロレス技をかけてくる女子高生がいるとは思わず、油断していたマルクトはがっちりと技をキメられてしまう。

「あと一カ月で十八歳になるから!それまでちょっとだけ待って!ねっ、いいでしょ!?」

「わ、わかりました。わかりましたから、離し、て。い、意識が……」

 言質を取ったうえで彼を魔方陣から離れたところまで引きずり出し、マルクトはようやくケテルを解放する。半ば白目を剥きかけていたケテルは、自由になった途端に咳き込んだ。

「こ、こんな強引な召喚者は初めてですよ」

「だって、また召喚に成功するとは限らないし、ここで帰すわけにはいかないじゃない。でも、素直に従ってくれてよかった。抵抗するつもりなら、秘蔵の悪魔祓いセットで強引に説得するつもりだったから……」

「あなたが悪魔か。……まぁ、いいです。一か月後に十八歳になるというなら、それまでに書類だけでも揃えておきましょう」

「書類?」

 頭に疑問符を浮かべるマルクトの前に、山のような書類の束が出現する。床が抜けるんじゃないかと思うほどの紙の量にポカンとなるマルクトに、ケテルは書類の一つ一つを丁寧に説明していく。

「こちらは契約書になります。666項目の契約事項すべてに目を通し、それぞれにサインと印鑑をお願いします。他、履歴書、卒業証明書、住民票など、必要書類を揃えてください。また、期日までに『なぜ悪魔に頼るのか』に関する小論文を十万字以上で――」

「ちょ、ちょっと待って!なんでこんなものが必要なの!?魔法的な感じであっさり終わるものじゃないの!?」

「昔、悪魔と召喚者の間で契約問題が多発した関係で、制約が厳しくなったのですよ。規則ですので、必要書類がすべて揃うまで契約はできません」

 気の遠くなりそうな作業に、マルクトは顔を引きつらせながら、へなへなと床にへたり込む。

「こ、これやるだけで死にそうな気がするんだけど……」

「悪魔との契約なんて、そんなものです。ほら、代償として大いなる苦痛を伴うって聞いたことありません?」

「大いなる苦痛って、こういう類のものなの!?」

 そこから、マルクトの試練が始まった。


◆◆◆


「し、死ぬ……」

 げっそりとした様子で机に突っ伏すマルクトの隣で、ケテルが書類のチェックをしている。ただ、ケテルの表情はどこか不服そうだった。

「で、でも、それで最後の一枚だよ、ね?」

「えぇ。正直、ここまでがんばるとは思っていませんでしたよ。……あっ、ここの字、きちんと跳ねてないので書き直してください」

「……うぁい」

 ケテルに指摘された部分を、マルクトは馬鹿正直に修正し始める。理不尽とも言えるような作業内容だったが、彼女はどこか嬉しそうに見えた。

「……そうまでして、あなたはどんな願いを叶えたいのですか?」

 ぽつりと呟くような質問に、マルクトは少し手を止めて山羊男の目を見つめる。

「そういうケテルは、私が願いを叶えることを嫌がってるみたいに見える」

 これだけずっとやっていれば、バカでも気づく。ケテルがこじつけのような指摘をして作業を増やし、彼女が願いを叶えるのを邪魔しようとしていることに。

 じっと見つめるマルクトから目をそらし、ケテルは感情がこもらぬよう努めた声で答える。

「規則には従います。悪魔とはそういうものですから。ですから、あなたがその書類を書き終え、十八歳を迎えることができたら、私はあなたの願いを叶えましょう」

 それ以上何も言わなかったので、マルクトは止めていた手を進める。しばらく、二人の間にペンが走る音だけが響いた。


「私は一度、悪魔の規則を破ったことがあります」

 不意に、ケテルが話し始めた。

「召喚者は小さな子どもでした。召喚は偶然が重なって起きたもので、その子が意図的に私を呼んだわけではありません。当然、十八歳未満なので契約してはいけない規則でした」

 過去を思い出すように、どこか遠くを見ながらケテルは話を続けた。悪魔の語りに、マルクトも再び手を止めて耳を傾ける。

「ですが、私は規則を破って、その子の願いを叶えた」

「……それは、なぜ?」

「その子が死にかけていたからです。本物の悪魔である私が言うのもなんですが、その子の両親こそ悪魔と呼べる存在でした。自分たちの子どもを虐待し、部屋に閉じ込めていた」

 思い出すだけでも気分が悪くなるといった様子で、ケテルは苦々しい表情で吐き捨てるように言った。

「悪魔にだって慈悲はあるんです。自分の願いを叶えるために悪魔を呼び出すような強欲者が命を落とすのは自業自得だからいい。だが、成長すれば輝く魂になるであろう命が無残に散らされることは許せなかった」

 人間の魂を己の糧とする悪魔。だが、それは人間が好きなことと反することではない。彼は邪悪な人間を憎み、それ以外の人間を愛した。それゆえ、子どもを救いたいと思った。

「だから、私は規則を破り、契約を交わさずにその子を救った。……でも、それは無駄だったのです」

「どういうこと?」

「後で知ったことなのですが、召喚者の願いを叶えた時点で契約を交わしたことになるのです」

 悪魔と契約した者は魂を奪われる。契約の内容に関わらず、そのルールは変わらない。ケテルは子どもの命を救ったが、それは同時にその子の魂を奪うことと同義だ。

「私がやったことは無駄だったのです。私はその子を救うつもりで、その子を殺してしまった。私は願いを叶えるべきではなかった」

 ケテルは辛そうに顔を歪ませ、マルクトに懇願するような目を向ける。

「だから、お願いです。私にあなたの願いを叶えさせないでください。私はあなたのことが嫌いではないのです」

「…………」

 マルクトはそれに答えず、黙って書類を差し出す。非の打ちどころのない内容だ。規則に縛られる悪魔であるケテルは、それを受け取るしかなかった。

「……ねぇ、魂を奪われた人間ってどうなるの?」

「魂を回収した悪魔の奴隷となります。契約完了で、その人間の魂は開放状態になり、悪魔なら誰でも回収できる状態になります」

「あなたが救った子の魂は回収したの?」

「開放状態になっても、十八歳になる前に魂を奪ってはいけないというルールは変わりません。なので、私が回収することはできませんでした。きっと、別の悪魔が回収しているでしょう」

 ケテルは溜息を一つ吐き、決心した表情でマルクトに問いかけた。

「では、マルクト。悪魔に魂を売り、あなたはどんな願いを叶える?」


 いよいよだ。マルクトは目を閉じ、胸に手を当てて深呼吸する。自分の覚悟に微塵の揺れもないことを感じながら彼女は目を開けて言葉を紡ぐ。

「十年前、私はある悪魔さんに命を救われました」

 その告白に、ケテルは驚愕で目を見開いた。

「その悪魔さんに伝えてください。『助けてくれてありがとう』『あなたがやったことは無駄なんかじゃなかった』って」

 悪魔を見つめる少女の顔。ケテルは確かに彼女の面影に覚えがあった。十年前、自分が規則を破って救った少女。当時は栄養失調で痩せており、服装もみすぼらしいものだったので今の今まで気づかなかった。

 マルクトは瞳を潤ませ、頬を真っ赤にしながらケテルに願いを告げる。

「魂でもいい。奴隷でもいい。私をあなたのそばに置いてください」

「……悪魔とともに過ごす時間は長い。人間であるあなたには想像がつかないほど。それでもあなたは、私に魂を捧げるというのですか?」

「えぇ、魂を捧げるのなんて怖くないわ。だって、私は――」


 マルクトは十年間想い続けた悪魔ひとに向かって満面の笑みを浮かべる。


「とっくの昔に、あなたに魂を奪われているのだもの」

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