最終話 0100110111100100001は逃げた

 空井は仕事を続けた。深夜になると、島村が用意したマンションにいつも通り出かけていった。

 僕はそんな空井に苛立った。その苛立が自分の仕事にも影響した。会社ではプログラミングのミスが増え、ささいな意見の食い違いにカッとなって、越谷チーフや高慢なスーパバイザーの神山遼子と喧嘩した。いままでおとなしくやっていた僕が、急に反抗し始めたので、会社の皆は驚いた。

 空井は、ノートパソコンを一台買って来て、昼間、工具で中を開けてあちこちいじりまわしていた。秋葉原あたりで買い集めた部品を組み込んで、独自にグレードアップしているようだった。マシンが出来上がると、空井はそれを持って、昼の間外出した。何をやっているのか気にはなったが、それよりも、仕事を止めようとしない空井をどうしたものかと、そればかり考えていた。

 一週間ほど経ったある日、島村から電話があった。

「空井はいるか」息せき切った声の調子は普通ではなかった。空井、と呼び捨てになっているのも、いつもの島村ではなかった。

「昨日の夜、いつも通りでかけて行きましたよ。どうかしましたか?」

「何か聞いてないのか」島村は尋問口調で言った。

 僕はムッとしてしばらく黙っていた。

「うちの省内のデータが、全て消された。今、システムは麻痺しているんだ」島村は、怒りをあらわにして言った。「こんなことができるのは空井しかいない。空井は今どこにいる」

「ほんとうですか?」僕は口をぽかんと開けた。その口が、やがて、笑いで歪んだ。「あー、あいつは、まだ帰ってきませんよ。ゆうべ、夜中にそっちに行ったきり、まだ帰ってませんよ」

「だが、昨日は来ていないぞ!」

「はあ、そうですか」……だからどうだって言うんだ。「帰ってきたら、折り返し電話でもさせましょうか?」僕はのんびりと言った。

「その必要はない。こちらから連絡する」

 電話は切れた。

 僕は受話器を持ったまま、くつくつと笑った。

 その時、部屋の奥で携帯が鳴った。僕は机の上にあった携帯を取った。

 空井だった。

「俺だよ。島村さん、何だって?」

「あ、空井さん? 何をやったんです? 外務省のシステムが麻痺してるって言ってましたけど」

「それだけ? 他には何か言ってたか?」

「あと、空井さんの居場所を聞かれましたけど」

「他には?」

「他には何も……」

「そうか、まあ、一分十三秒の通話時間なら、そんなもんだろうな」

 空井はどこかから、電話局のシステムに入って監視していたのだ。

「今、どこにいるんです?」

「空港」

「空港……で、何してるんです? まさか……」逃げるためか?

「愛を追いかける。松岡……、短いつき合いだったな。いろいろとありがとう。お前の口座に百万、振り込んどいたから使ってくれ。まあ、きれいな金とは言えないが、足はつかないようになっている。気に入らなかったら捨ててくれてかまわない」

「まさか、その金は……」

「俺も、愛と同類になったってことだよ。追われる身になった。だがな、もう腹を据えたよ。愛が人生を捨てたのなら、俺も人生を捨てる。俺のこの腕で、金になることなら何でもやってやるさ。銀行だろうが、クレジットカードだろうが、国家機密だろうが、何でもな」空井は、ふっ、と皮肉っぽく笑った。「……おかしなもんだな。人生を捨てたところから、二人の人生が始まるっていうわけだ」

「二度と戻らない気なんですか」

「それはわからない……おい、あんまり時間がないんだ。今、俺のパスポートは有効だが、外務省の連中が空港に乗り込んできたらアウトだ。その前に出国しないと……。じゃあな。どこかからメールするよ。これから、世界を騒がすハッキングがあったら、全部俺の仕業だと思ってくれ、ははは……」

 そこで電話は切れた。

 空井の笑い声を聞いたのは、一年ぶりだった。

「外務省のバカめ。世界一のハッカーを作りやがった」

 僕は空井の部屋に行き、カーテンを開けた。夏の青い空に、白く丸い雲が浮いていた。空井の乗った飛行機が飛んでいく様が、目に浮かぶようだった。押さえきれない疼きが体の中から込み上げ、僕は身震いした。


 僕は会社を辞めた。会社の金を愛人に注ぎ込む社長にも、下請けプロダクションと癒着して甘い汁を吸う越谷チーフにも、社員をいじめて辞めさせるという幼稚なやり方にも、とうの昔にうんざりしていた。

 空井がいなくなって、またガランとしたマンションの部屋で、僕は求人情報誌をめくった。才能を活かす、自由な職場! プログラミングで、未来に羽ばたこう……空虚な言葉を読み流した。どんなに才能があっても、自由になどなれないのは、十分に分かってる。

 ふいに、空井がうらやましくなった。今、世界であいつほど自由な人間はいない。

 僕は情報誌を閉じ、空井の部屋に入った。デスクにはノートパソコンが残っていた。自作したウルトラスペックのマシンは、空井が自分で持って行ったが、それまで使っていた古い方は残していったのだ。

 スイッチを入れて起動させた。

 このマシンでも、あちこちのサーバーに侵入していたはずだ。解析すれば、空井がどうやって入っていたのかが分かる。

 ……あわてて就職しなくたっていい。空井がくれた百万円で、しばらく食いつなぐことができる。その間に、もっと裏の技を勉強しよう。

 空井ほどにはなれないが、空井の弟子として恥ずかしくないくらいにはなってやる。そして、空井が世界的なハッキングをやらかした時に、それをトレースして、空井にメールを送りつけてやるんだ。……さぞかしビックリするだろうな。「こんにちは、お元気ですか」とね。

 そう考えると、僕はわくわくして来た。


(了)


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0100110111100100001は逃げた ブリモヤシ @burimoyashi

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