ホームベース上の攻防 ~(守備)9回裏1死2・3塁~
くら智一
9回裏1死2・3塁1点リード
拓斗はキャッチャーマスクを外した。甲子園決勝の舞台。拓斗のチームは先攻で1点リードながら9回裏ランナー2・3塁。優勝まであと2アウトと迫ったものの、対戦相手の連打から同点あるいは逆転へと繋がるピンチを迎えた。
立ち上がってマウンドへ走る。拓斗のチームメイト、内野手から外野手まですべてのフィールドプレイヤーが1箇所へ集まってきた。
これまで初優勝を目指す地元「県」の代表として、公立高校ながら僅差での接戦を勝ち抜いてきた。派手な選手はいない。強豪校から奪った数少ない点数を守り抜いた。拓斗はキャプテンとして
特にエースピッチャーとしてひとりで投げ抜いてきた小柄な
対戦相手の高校はプロ予備軍と呼ばれるほど投打にわたって筋骨隆々、巨躯のスター選手を揃えている。
勝利まであと一歩と迫りながら追い詰められたのは、三好の制球に乱れが生じたからだ。9回裏、対戦相手のクリーンナップを迎え、初球、2球目とボールが先行した後、4番主砲の重戦車に外野前へ運ばれ、同じカウントから5番の怪物高校生、身長2メートルの投手兼強打者に二塁打を放たれた。いずれもストライクゾーンの四隅に決まっていた速球が中央に甘く入り、狙い打たれた。
「あと2アウトだぞ、死力を尽くそう。9回まで抑えられたんだから自信持って行こうぜ! 三好……、あと数球で終わりだ。頼むぞ」
拓斗はチームメイトに
2年生の伝令役が運んできたメッセージは次の通りだ。
満塁策はとらない。
相手はスクイズを仕掛けてくるだろうから、その裏を突け。
――以上だった。
二塁ランナーの怪物2メートルは陸上日本一ですら敵わない脚力を誇る。ヒットが出れば、三塁ランナーのみでなく、この2メートルまでホームへ生還し、逆転サヨナラ負けの可能性がある。
それ以上に警戒しなければいけないのがスクイズ――。走者がピッチャーの投球と同時にスタートし、打者のバントでボールを転がして1点を取る堅実な戦法だ。
三塁の重戦車が突入してきてタッチしようとした拓斗が落球したら、ボールを拾う間に俊足の2メートルがサヨナラとなる2点目を取る可能性もある。
唯一、満塁ならば、フォースアウトが適用される。相手がバントした球の転がりが悪いとき、捕球した拓斗がホームベースを踏むだけで三塁ランナーをアウトにできるのみならず、一塁に送球してダブルプレーで一気にゲームを終わらすことさえできる。
拓斗たちの監督が選んだのは、最も困難な道のりだった。拓斗は伝令を聞くなり、ベンチを睨みつけた。監督は高齢だが、しわの深い顔が今は目も鼻もしわに隠れてしまいそうなほど苦悶に満ちた表情をしていた。
9回裏のセオリーである満塁策を取らなければ、フォースアウトからダブルプレーの危険性がなくなるためスクイズしやすくなる。敢えて相手を誘い込めと言うのだ。
一塁を埋めないのは、満塁にして粘られた挙げ句、四球で押し出し同点という最悪のケースを避けるためだろう。拓斗はのっぴきならない状況に歯噛みした。
「……わかった。スクイズを空振りさせて三塁にいる重戦車――堂島をまずアウトにしよう。大きくボールを外させるから、三好は暴投にだけ気をつけてくれ」
キャッチャーミットで口元を隠しながら、疲労
「絶対に優勝するぞっ!」「おぉ!」
審判の合図とともに、ピッチャーのマウンドに集まっていたナインが守備位置へ戻っていく。
拓斗はホームベースを踏み越えると逆を向き、キャッチャーマスクをかぶって腰を低く構えた。
「プレイっ!」
右打ちのバッターボックスに立つのは、相手チームが代打で用意した選手だ。バントが得意なのは間違いない。唯一自分たちに有利なのは、三塁ランナーの重戦車がチームの主砲で、延長戦に備えているのか足の速い選手に交代していないことだ。
19メートル先、マウンド上の
三好の一球目――打者から大きく外れるボール。拓斗が立ち上がって2、3歩右へ移動しながら高めのボールをキャッチする。バッターにも走者にもスクイズの気配はない。拓斗が目を見張ったのは二塁ランナーの2メートルの動きだ。リードの大きさ、いったん二塁へ戻る動きともに別次元のスケールだ。
二球目――同じく大きく外れるボール。拓斗は同じくウエストされたボールを捕球した。この2球でわかったことはひとつ、もう三好の球に力は全く感じられない。制球も定まらない。監督の判断は正しかった。
三球目――もう外すわけにはいかない。ストライクを取りにいく。むしろ相手チームにはバットを振って欲しかった。三好にはスクイズに不向きな三塁側、重戦車が突っ込んでくるバッターインコース側を指示した。
ところが投じた一球は
同時に周囲の世界が激変する――!
二塁ランナーの2メートル、三塁ランナーの重戦車ともに前傾姿勢となって、サバンナの肉食獣のように駆け出した。
「スクイズだっ!」
拓斗が叫ぶより前にバッターはバントの姿勢をとり、アウトコースに投じたボールを手に持った金属バットに当てていた。
乾いた音と共に転がり出す白球。焦げ茶色をした甲子園の黒土を転がりだしたボールは一塁線上に……
違う場所に転がった。三好の投げた速球がわずかに変化したようだ。拓斗は白球の行方を追った。
一塁線より投手寄りだった。三好は疲労が嘘のような強靭な足腰でボールに飛びついた。だが、三好は左利き。グローブは逆側だ。
三好は何を思ったのか素手で白球を掴んだ。硬球の堅さを知らぬ彼ではあるまい。腕は痺れ、投げることすらままならないかもしれない。だが、三好の覚悟は自分がもう投げられないことを悟っているかのようだった。
綺麗なボールがホームベース上――いやホームベースから三塁、その先はるか左翼までを白線で結ぶ「三塁線」上に投げられた。
拓斗の目の端には重戦車が映っていた。ボールを捕る前に重戦車の行く手を阻んでは「走塁妨害」でセーフになってしまう。ホームベースからわずかに逸れたボールを追った拓斗は、なんとかキャッチャーミットに球を収めた。重戦車を仕留める絶好の場所だ。
重戦車がもっと足の速い選手だったらギリギリのタイミングで走塁妨害をとられたかもしれない。だが、一瞬でも早く捕球した以上は下手なことをすれば拓斗への守備妨害を重戦車が負うことになる。
だが、恐ろしい光景が拓斗の目に入った。三塁ベースを円の弧を描くように通り過ぎた2メートルが三塁線を円で囲むように迫っていた。
もし、重戦車をタッチするため三塁線上に残っていたら、外側から迫る長身の怪物がホームに到達してしまうだろう。拓斗はわずかに重戦車が速度を緩めていることに気づいた。遅ればせながらスライディングする体勢に入っていた。わずかに重戦車が早く、刹那の後に2メートルが回りこむようにホームへ突入する、未来の映像が拓斗の頭をよぎった。自分の運動能力では2人をタッチすることはできない。
単純なスクイズではない。幾重にも張り巡らされた戦略。デザインされた動き、超人たちのチームプレイ。拓斗は覚悟を決めた。
――ホームベースに土煙が上がる。
相手チームのベンチから歓喜が沸き起こった。重戦車のスライディングは拓斗にアウトを取られたが、2メートルは鮮やかにホームベースの隅をかすめるタッチをしながら地面へ横向きとなって滑り抜けた。
拓斗は重戦車のスライディングに左ひざをついてブロックし、鋭いスパイクの片方を右足の側面で、闘牛のようなひざを胸のプロテクターで防いでいた。
……だが、2人をタッチすることはできなかった。
「アウト、アウト。ゲームセット!」
審判が大声で宣告した。
両チームのベンチは元より球場まで騒然となった――。
サイレンの鳴る中、審判団が一箇所に集まり、審議を始めた。試合終了でなければサイレンは鳴らない。結局、止まったのはサイレンの方だった。主審がマイクを持ってホームベースへ戻ってきた。
「関係者および観客の皆様、お待たせいたしました。審議の結果、最後のスクイズについてはダブルプレーとの結論に至りました。試合は1対0で終了し、先攻チームの勝利となります」
どよめく球場の中、主審は説明した。拓斗が重戦車をタッチしたのは、
拓斗が重戦車をブロックしたことで走塁妨害が適用されなかったのは、2013年のアマチュア内規改正によって、危険なスライディングへ対策が取られたからだ。野手の捕球後はランナー側に回避義務が発生する。
試合終了を告げるサイレンが再度高らかに鳴り始める。審議で幕を閉じる前代未聞の甲子園大会は、拓斗のチームが優勝を飾った。
<了>
ホームベース上の攻防 ~(守備)9回裏1死2・3塁~ くら智一 @kura_tomokazu
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