竹簡と兎毛筆と吃音の韓非子

kanegon

竹簡と兎毛筆と吃音の韓非子

「韓兄よ、いかがでございますか、酒のお味は? 尊敬する韓兄に飲んでいただくための一献ですから、私が持てる権力を全て使って探してきた特上の逸品ですぞ。……って、韓兄なら、臣は権力を持ってはならず利子私欲に走ってはならず王の心に従って王の路を進むべき、と窘めそうですな。いえいえ分かっていますから、言おうとしなくても結構です。韓兄が吃音によって上手く喋れず『あー』だとか『……ぅー……』だとかいった断片的な声を出すのがやっとだということは昔から承知しております通りで。

 あっと、酒が少し床にこぼれてしまいましたな。ああ、いえいえ、お気になさらずに。人生で一度飲める程度の高級な酒とはいえ、そんな少しの量をこぼしたくらいで勿体なく思うほど、この李斯、器が小さいつもりはありませんとも。

 それにしても、酒のおかげでこうして、韓兄と腹を割って話すことができて光栄です。親しく対話できるのは、いつ以来でしょうかね。やはり若かりし頃、荀先生の門下として共に学んだあの時以来かなと思うのですが。

 思い返すと懐かしさがこみ上げてきます。蘭陵にいた頃でしょうか。あの頃は私もまだ若く、荀先生に弟子入りしたばかりでした。

 当時の私は、便所の鼠と倉庫の鼠を見比べて、才による差異などというのはほとんど関係なく、住むべき場所の違いこそが決定的に境遇を左右するのではないか、と思って、自分の居場所を探していました。そこで見つけたのが荀先生であり、門下に入ったというわけです。

 荀先生の門下生の中で、兄弟子の韓非という者が、才は優れているものの非常に寡黙な変わり者だということを聞いて興味が湧き、韓兄の草堂に会いにお訪ねしたのが始まりでしたな。

 荀先生の教えは、端的に言えば、人というのは本来様々な意味で弱い生き物だ、ということ。しかし韓兄は唯々諾々と先生の教えを受け入れるだけでは留まらない器の大きさがありました。韓兄の考え方は荀先生の唱える性悪説から更に発展して、だから人々を平和に治めるためには、徳、などといった曖昧なもので恣意的にするのではなく、厳格な法によって国づくりをしなければならない、といったところまで高めたものでした。私は韓兄の考え方に共鳴し、こここそが私の正しい居場所だと思いました。

 出会ったばかりの頃はまだ韓兄が吃音持ちだということを聞いていませんでしたので、本当に何も喋らない寡黙な人で、不気味で無愛想で感じが悪いなと思ってしまったものです。今となっては笑い話ですが。

 韓兄が吃音だということを知ると、私は許せませんでした。周囲の人々を、です。韓兄は優れた才をお持ちなのに、吃音で上手く喋れず演説ができないからといって、どうして周囲の人々は韓兄を軽く見るのか。何故嘲笑するのか。吃音という目立ちやすい特徴のために表面だけを見てしまっていて、韓兄の本当に優れた思考についてどうして注目しないのか。

 それでも韓兄は文句の一つも言わずに、日々、自らの生涯の仕事として、兎毛筆を執って竹簡に一つ一つ文を書いておられました。字を書き間違えた時は小刀を使って間違えた部分を丁寧に削って書き直していた。まあ、吃音の韓兄では、文句を口に出して言う、という行為は困難でしょうけどね。でも、それはそれで良かったのですよ。そんな真実を見る目の無い有象無象のために怒りというか憤懣というか、そういった気持ちを向けて労力を費やすのが勿体ない。

 確かに、演説をできないというのは大いに不利ではありましたな。どんなに優れた考え方を持っていようとも、その考え方を人々に敷衍して知らしめるのは、なんといっても演説によるもの。竹簡に文字を綴って、という方法もあるといえばありますが、なんといっても効率は劣る。書く労力がかかる割には、読む側も時間がかかりすぎる。そもそも民草というのは文字を読めない者も多いですからな。まあその一方で、演説というのはその場限りのものでしかないですが、竹簡に文字で記せば、後からでも読むことが出来るので、後世に伝えることができるという長所もありますな。演説というのは場合によっては詭弁を弄してその場の勢いにまかせて聴衆の支持を得る、ということもあるけど、竹簡に記したものはじっくり読まれて正しいか否かを判定されてしまうものですから、長い目で見れば竹簡へ墨書する著作というのは、巧詐は拙誠に如かずを体現したものと言えるでしょう。

 演説ができない韓兄の代わりに、自分が、韓兄の優れた考え方を世に知らしめる役割を果たしたい。そのために自分はここへ導かれたのだ。そう思うと私の胸は昂ぶりました。韓兄の考え方を学ぶために、韓兄がしたためた厖大な竹簡の文書を読み漁りました。筆を使って墨書することに関しては、今となっては私もこう見えて書法名人と呼ばれるほどの書家にまでなっているのですが、あの頃読んだ韓兄の竹簡に書かれた字も、落ち着いた中に自らの考え方の正しさを確信した力強さがあって、私は好きでしたよ。あの頃韓兄が使っていたのは、兎の毛を使った筆でした。私の故郷は田舎で、兎狩りをするのが子どもの頃から好きでした。兎狩りといっても、木の切り株に兎がぶつかって死ぬのを待っていたりはしませんよ。猟犬を使って汗を流して野を駆け回って狩るのです。もちろん、肉は美味しくいただいて、毛皮は売るわけです。もしかしたら自分が狩った兎の毛が、回り回って韓兄の使う筆となって、法の考え方の記述になっているのかもしれない。人と人というものは、どこでどういうふうに繋がっているのか、想像もつかないものですな。

 韓兄、韓兄よ……。返事が無い。いや、呼びかけただけです、確認のために。返事など最初から期待していませんとも。

 若かりし頃、韓兄と過ごした時間は、私にとっては言うなれば下積みの時代でしたが、最高に楽しく充実したものでした。私よりも優れた才を持ちながらも私という者を受け入れてくれた韓兄のことを、私は好きだったのですよ。あの時間が永遠に続いていたら、どれほど良かったことか……

 誤解しないでいただきたいのですが、今でも韓兄のことが嫌いになったのではないのです。ただ、あれから随分と時が流れてしまった。情勢が変わってしまった。私は秦国に仕え、咸陽の都にて王様の天下統一を補佐する立場となった。ここまで私が栄達できたのも、荀先生の門下生として韓兄と共に学んで薫陶を受けたからです。そのご恩は一瞬たりとも忘れたことはありません。

 ……おや、鼠が出てきましたな。どこから入り込んできたものやら。あっ床に零れた酒を舐めない方が……ああ、ほら、苦しんで痙攣し始めた。まあ、そのうち死ぬでしょう。この鼠も、こんな所に出てきて高級な酒など口にせずに、一生便所の汚物だけを食らっていれば、痩せて惨めなままでも長生きだけはできたものを。

 それでは韓兄、名残惜しいですが、お別れです。あなたは優秀過ぎた。私よりも優秀だった。優秀な猟犬というのは、駄犬よりも長生きできないものです。何故なら、猟犬が優秀だとあっという間に獲物の兎を狩り尽くしてしまい、猟犬はもう用済みになってしまうのですから。

 後のことは、この弟弟子である私にお任せください。秦の王様は、韓兄の著作である五蠹と孤憤を大変気に入っておられて、その考えに基づいて法に則った国造りをしておられる。その補佐をするのは、言うなれば駄犬である私であるべきだ。優秀な猟犬のあなたではない。そう思いませんか?

 まあ、秦の王様がこの天下を統一するのも、時間の問題ではあります。そうなった時、優秀な猟犬だけではなく、駄犬も出番が無くなってしまうかもしれませんけどね。駄犬であっても些細なことで王様の逆鱗に触れて処分されるかもしれない。とはいっても、今、そんな先の未来のことを心配しても仕方ない。

 私は鼠のように居場所を探していた。そしてついに秦という国を見つけて王様に巡り会った。この居場所は、誰にも奪われるわけにはいきません。自分勝手な言い分だと言うことは重々承知しておりますが、そこのところを韓兄に理解していただきたいと思います。

 さようなら、韓兄。……私は泣いてなどいませんよ? 私は韓兄を毒殺したのです。それでいて泣くなんて、矛盾しているじゃないですか。いや、もしも私が泣いているのだとしたら、それは韓兄の命を儚んでではなく、人間と猟犬に狩られた兎と、用済みとして処分されてしまった猟犬と、そして韓兄の巻き添えで毒酒を舐めて死んでしまった鼠、といった、人間の都合で殺されてしまう動物たちを憐れんで、ですから。

 さっきも言った通り、韓兄が死んでも、韓兄が竹簡に書いた著作は残ります。恐らく、一〇〇〇年とか二〇〇〇年とか経っても、韓兄がこの時代を駆け抜けた証として後世の人々に感銘を与え続けることでしょう」

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