キンモクセイ

猫目 青

金木犀

 ゆらゆらと私の持つペンの中で花がゆれる。去年の秋に咲いたキンモクセイの花だ。

 星々を想わせる山吹色の花たち。その花の一つ一つが透明な硝子ペンの中に閉じ込められて、液体の中でたゆたっている。植物標本にされたキンモクセイの花は仄かに透きとおっていて、あの人の肌を想わせた。

 そう、キンモクセイの花の下にあの人はいたのだ。

 誰っと私が訪ねると、その人は頭上で咲くキンモクセイを指さして笑ってみせた。まるで自分が、花の精だと言いたげに。

 病的なまでに白い肌は夕陽に照らされて、キンモクセイのように輝いていた。どこか蒼さを含んだ眼は銀の光彩を放って、キンモクセイの原種ギンモクセイを想わせる。柳の葉のように宙に散らばる髪をなでながら、僕は独りだとその人は言った。

 その人は、少女になりかけた少年のようにも見えた。男にも女にもなることを辞めた、中世的な印象を持つ人物だった。

 キンモクセイは雄株しかなくて挿し木で増える。だから、彼はずっと独りだし、伴侶を見つけて交わることもない。花をつけても、香りを振りまき、彼の性は枯れていく。

 誘われるように、私は笑う彼の頭上に手を差し伸べ、たわわに実る花の枝の一片を折ってみせた。彼は笑みを深めて、そんな私の頬に唇を落としたのだ。

 頬から離れていく彼の唇からは、甘いキンモクセイの香りがした。

 その花を防腐液につけて、透明なボールペンの中に私は閉じ込めたのだ。そのペンで、私は彼への思いをひたすらに綴っていく。彼の性を閉じ込めたペンからは、芳醇な香りを放つ文字が生まれ、私を絶えず酔わせるのだ。

 キンモクセイの香りがしみ込んだ恋文に鼻を押しつけて、私は彼の香りに酔いしれる。あぁ、私は彼の仔を孕みたい。孕みたくて、その満たされない想いをただひたすらに綴るのだ。

 ころりと、私の手からペンが滑り落ちる。下腹部に熱を感じて、私は座っていた椅子から転げ落ちていた。床に倒れる私の体に、彼への思いを描き散らした恋文が降り注いでいく。私は下腹部に痛みを感じながらも起き上がり、床に転がる透明なペンを握りしめていた。

 私の中に何かが宿った。それを、私は生み出さなければならない。

 書くのだ。

 書いて書いてひたすらに、その孕んだ何かを吐き出さなければいけないのだ。

 私は、ただひたすらに彼への思いを綴っていく。それは、彼の姿を褒め称えた詩であったり、愛する彼を犯す卑猥な短編であったりもした。

 ただひたすらに、彼という原水を糧に私は彼への恋文を書いていく。書くたびに、支離滅裂だった文字の羅列は意味を持ち始め、それはやがて一つの物語となって私の中で形を描いていった。

 そうして、私はキンモクセイのペンで、彼を中心に添えた幻影の世界を描き続けた。

 その幻影の中で、私は彼と結ばれ、その喜びの中で私は物語という名の仔を生み落としていく。やがて私は作家となり、彼の子供たちを世に送り出す存在となっていた。

 独りであった彼の幻影を備えた仔らは街に溢れ、彼を原水にした物語は、読む人々の中にまた新たな物語を孕ませていく。彼は無限に人々を孕ませて、仔を作っていくことだろう。私は彼の触媒となり、彼の仔をこれからも生み出していくのだ。

 ――彼を愛しているから



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キンモクセイ 猫目 青 @namakemono

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