紙とペンと暗黒大魔神ヴァルギリウス・グース

コサジ少将

私の物語



 どうしてこうなった。


 売れっ子小説家、東尾次郎としては凡庸な書き出しだとは思う。しかし真っ先に出た気持ちがこれなのだから仕方ない。おそらく百人が百人、私と同じ状況に置かれれば同じ台詞を呟くだろう。



 若者の街などと称された渋谷はほぼ全域が廃墟と化していた。そしてその中央に座するは巨大な人影。暗黒大魔神ヴァルギリウス・グース。別の世界から来た上位支配者だとか、宇宙生命だとか、冥府の神だとか、色々と噂は飛び交った。



 確かなのは、目にした者の脳裏にの名が瞬時に流れ込んできたということと、人類ではおそらく太刀打ちできないだろうという本能的理解だ。



――恐ろしいことに、私はそんな大魔神様の掌の上にいる。比喩でも何でもない。文字通り本当に巨大な掌の上にいる。彼がその気になれば成す術もなく握り潰されてしまうだろう。もう一度言う。どうしてこうなった?



 私は大魔神に蹂躙される大都会の映像を片田舎の仕事場のテレビでぼんやりと眺めていたはずだ。しかし、瞬き一つするかしないかのうちに掌の上。大魔神様とやらには従来の物理法則なんて意味をなさないのか。



 「一体何の用だ。私はさっさと風呂に入って寝たいんだが。」



 半ばやけっぱちに投げかける。どうやら私は自分で思うより肝が据わっていたようだ。それともあまりの非現実的な展開に脳が理解を拒んだか。



 「グフフ、この状況でその台詞とはなかなかに面白いじゃあないか。」



 それはおそらく日本語ではなかっただろう。しかし不思議と理解できた。



「儂が何者かだとか、そんなくだらないことを聞かない点も誉めてやろう。実際、聞かれても困るしな。儂は存在としか言いようがないのだ。」



 魔神は意外にも饒舌に自身のことを語った。魔神は気が付いた時からであり、気の向くまま様々な世界に行き、その世界を蹂躙し、飽きたらまた別の世界に行くという事を繰り返してきたそうだ。身体も思考も自然とその世界基準に近づくらしい。



 「そんな魔神様が、私に一体何の用だというんだ。」



 「理解も早い、いいぞいいぞ。ちゃんとした会話が成立する生物のいる世界は久しぶりだ。いい加減、山や谷を壊すだけの遊びはつまらないと思っていたんだ。」



 ひどく恐ろしいフレーズが飛び交っている気がするが意図的に無視をする。



 「ここら辺の生物をたいらげて、魂を吸収して、お前らの概念もいただいたんだがな、この世界ではこういう言葉があるらしいじゃあないか。『』。どうやって戦うんだ?剣より強い?証拠を見せてくれ。」



 何故私なのだ?疑問を口にするより先に魔神が告げる。



 「このあたりの奴らを搾り取るときに、ペンが強い奴は誰か聞いたら、結構な奴らがお前の名前を挙げたぞ。」



 確かに最近代表作が映画化された。ライトノベルのシリーズも複数持っているし、いくつかはアニメ化もされた。他の場所で聞いたら結果は違ったかもしれないが、どうやらこの渋谷において、文筆業の代表者として挙げられるのは私だったらしい。



 …どうしてこんなことに、という困惑は消え去った。巻き込まれたことへの絶望もない。あるのは、自分でも驚くほどの怒り。顔も知らない誰かが私の作品を読んでくれていて、その誰かをこいつは絞り殺したのだ。



 「さあどうだ、強さを見せろ。ペンはお強いんだろう?儂がもういいと言うまで書き続けてみろ。紙もペンもくれてやる。」



 大魔神様とやらの顔を見た私は理解した。こいつは私で遊んでいる。巨大な顔面には隠しきれない侮蔑と愉悦の表情が浮かんでいる。おそらく『ペンは剣より強し』の本来の意味などとっくに知っているのだろう。その上で突拍子もない問いかけで右往左往するさまを楽しみたいだけだ。



 蟻の巣穴に水を流し込むかのようなただの遊び。その遊びに私の読者は巻き込まれ、私自身の命も握られている。腕が熱い。胸の鼓動が痛いほど高鳴る。純然たる怒りが体を駆け巡る。



◆◆◆



 勢いよくペンを走らせる。大魔神の趣味嗜好、文化理解がどの程度か分からないのでまずはシンプルなアクション作品。



 大魔神と同じくらいの巨大な戦士同士が、互いの誇りをかけて戦い合う。駆け引き無用の真正面からの血潮たぎる戦い。あっという間に書き上げたそれを、大魔神は瞬時に読み上げる。



「なかなか面白い。いいぞいいぞ。」



 賞賛の言葉ではあるがどこか空虚だ。子供の背伸びに拍手をするような褒め方。ならば次だ、次の物語だ。私はどんどんと書き進める。魂とやらを吸収した影響か、思ったより文化理解の隔絶は無いようだ。どんどんと物語をペンで紡いでいく。



宇宙のどこかにある黄金惑星を相棒のロボと目指すスペースオペラを。


ジャングルの奥地にある古代遺跡を巡る、伊達男対旧軍組織のサバイバルを。


金塊を輸送する大陸横断鉄道内でおきた密室殺人事件を。


落ちぶれて年老いた元ボクシング世界チャンピオンの裏路地からの逆転劇を。



 紙とペンさえあれば、無限に物語を生み出せる。世界を形作ることができる。どんどんと物語を書き、大魔神の反応を見る。ブラフや駆け引きなどするつもりは毛頭ないのか、大魔神は表情を隠さない。誤魔化さない。



 それ故に反応が分かりやすく好みが見極めやすい。どうやら魔人様はでかい図体をしておきながら、アクションものより情緒を描いた作品の方がお好みのようだ。よりエモーショナルに、より心情深く、人の心の機微を書いていく。



数十年前に死に別れた彼のことが忘れられない老婆に起きた小さな奇跡を。


聖夜の贈り物を待つ少年の家に忍び込んだ泥棒の話を。


ふとした瞬間の彼女の笑顔の理由を求め続ける男の話を。


宝くじで得た資金で、恩人に最高の料理を振るうコックの話を。



 厚さ0.08ミリの紙の上に、只管に世界を構築していく。ぶっ通しで何時間、いや、何日書き続けているのだろう。これだけ書き続けているのは、命が惜しいから?目に物を見せてやりたいから?正解は自分でもわかるわけがない。



 ただ、大魔神の口数がどんどんと少なくなっていき、私の物語に没頭しているのは間違いなかった。



 そこで私は連作短編を書いてやった。街を行きかう人々それぞれの小さな、だけど確かな幸せの話。平凡な願い、小さな夢、ささやかな努力、どこにでもいる優しい人々、いつでもありうる小さな不幸。それらがタペストリーのように織りなす街の姿。



 そんなか細くもキラキラと輝く日常は、ある日突然ぶち壊される。天からの災厄により、確かな幸せ平凡な願い小さな夢ささやかな努力、何もかもが灰燼に帰した。誰もそのことを顧みない。廃墟と化した街があるだけだ。



 突然の展開に、魔神はえ、と一つ声をこぼす。そうして自分の足元にある街のがれき、自ら廃墟にした周囲の世界を初めて顧みた。次は私を見てきた。長時間そばにいたが、魔神はそこで初めてちゃんと私を見たように思う。



 「何故」だとか「やめろ」だとか言おうとでもしたのだろうか。このころにはもう大分魔神は人間味を増してきた。だからこそ、プライド、意地というようなものが芽生えたか。結局その台詞は口に出さず、少し寂しげに視線を落とすだけだった。



 嗚呼、腕が痛い。太陽は何回昇った?何回沈んだ?目は乾ききっているし、節々が悲鳴を上げている。



 だけど、まだ書ける。私だけの、私にしか書けない世界を、紙とペンで構築することができる。この世界は私だけのものだ。…『私だけの世界』を構築することがと知ったら、この魔神はどう思うのだろうな。



思考がバラバラになってきた。もう腕を少し動かすだけでも激痛が走る。




それでも、まだ、 。 。 




 なればこそ、書く。読む。伝える。腕が浅黒くなってきた。呼吸も荒い。だが、そんなこと知ったことではないと、物語を紡ぎ続ける。魔神への怒りは、あの寂しげな顔を見た時に消え失せた。あるのはただ、書きたいという欲求のみ。



 長編を書く力がもうないならば、短編だ。それが出来ないなら詩だ。シェイクスピア風のソネット、十四行詩なんてどうだろう。十四行で愛を語れる。十四行も辛くなってきた。だったら漢詩だ。五言絶句だ。二十字の中に世界がある。それが無理なら俳句だ。十七文字だ。



 …十七文字を書く体力もほとんどなくなってきた。ペンを持つことは出来ているが、辛うじて握っているだけだ。意識を一瞬失っていたのだろうか。紙を必死に握りしめていた。頑張ったつもりだったが、どうやらもう限界が近いようだ。



 仕方ないので私は、最後に書いた自由律俳句に一文字加えた。 ~完~ と。



 これが遺作になるのかなとか、それにふさわしい作品になったかなとか色々と頭に浮かんできたが、それもすぐに消えて、意識は薄もやに包まれていった。嗚呼、もう少し書きたかった。



◆◆◆



 気が付くと私は、いつもの片田舎の仕事場にいた。担当からの催促の電話がやかましく響いている。



 「先生!?普段ならすぐ出るのに今日はどうしたんですか!?」



 「…君も仕事狂いだねえ。大魔神に日本が蹂躙されている時くらい家族のそばにいたらいいのに。」



 「大魔神?…先生、お疲れですか…?ちょっと仕事の間隔空けましょうか?」



 …あれは夢だったのだろうか?担当の心配をのらりくらりと躱しながら電話を切る。ふと、仕事机に目をやる。そこには、大魔神との体験が決して夢ではない証跡が残されていた。戯れに街を廃墟と化し、瞬時に私を呼び寄せる大魔神にとって、復元なんてお手の物なのだろう。



 仕事机の上にはくしゃくしゃの紙が一枚。慣れないペンで必死に書いたのだろうか。たどたどしくも懸命な文字がそこには広がっていた。




 つづき まてます たのしみです あなたのふあん

 あんこくだいまじん ばるぎりうすぐす!!



~完~



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