ダイイングメッセージの男

ユメしばい

ママの味噌汁

 俺はいま死にかけている。


 暗い路地裏の片隅でうつ伏せになり、誰にも知られることなく、息を引き取ろうとしている。


 理由は、営業帰りの途中、通り魔に刺されてしまったのだ。


 前から気になっていた未開拓の道。近道発見に至る好奇心。

 いつも通りの道を行けばよかったのに、なんで今日に限ってこの道を選択してしまったのか。

 まさに、朝、行きがけにいつもと違うことをして忘れ物をしてしまうアレに似ている。


 後悔してもすでに遅い。

 だが、変装はしていたものの、犯人の特徴はハッキリと覚えている。

 決めた。

 幾ばくかの残された時間で、犯人逮捕の手掛かりを記してやる。


 ……紙。


 しまった。残すも何も紙がない。


 アタッシュケースを奪っていった男のことを思い出す。


 クッ、どうする俺。

 いやまてよ、さっき駅前でもらったサラ金のポケットティッシュがあるではないか!


 最後の力を振り絞ってスーツのポケットからティッシュを取り出す。


 書きづらいがこの際仕方がない。

 要はメッセージを残すことができればいいのだ。よし、さっそく――


 ……ペン。


 しまった。残すも何も書くものがないではないか。


 クソッ、ピンチ再び。どうする俺。


 刺された部分が生暖かい。

 きっと血のせいだ。

 こうしている間にも一刻一刻と寿命が尽きようとして、


 いやまてよ、さっきクライアント先でもらった社名入りのペンを胸ポケットにしまったではないか!


 残された余力に感謝しながら、胸ポケットから増田生命と銘打たれたペンを取り出す。


 安物だがこの際仕方がない。

 要はメッセージが書ければなんでもいいのだ。よし、さっそく――


  ……て、犯人どんなやつだったっけ。


 しまった。色々やっているうちにど忘れしてしまった。

 帽子のいろ何色だっけ。サングラスしてたっけ。服は、身長は……。


 ダメだ。まったく思い出せない。

 ポケティ配ってたカワイイお姉ちゃんの顔しか思い出せない。


 今思えば前からそうだった。なんで俺は物覚えが悪いのだろう。

 学生の頃、全然試験勉強しなかったというやつに限って俺よりいい点数を取っていたアレを思い出す。

 クソ、なんで俺は、そっちの部類に生まれてこなかったのだろう。でなけりゃ今ごろ――、


 ヤバイ。なんだか急激に睡魔が襲ってきた。死がそこまでやってきているのだろうか。


 今思えば、せめて死ぬ前に部屋に隠していたエロ本だけは処分しておきたかった。

 母子家庭の狭いアパート暮らし。襖一枚隔ててお袋の部屋。

 絶対に発見されてしまうこと間違いなし。

 死んだあと、近親相姦とか熟女の専門誌を見てお袋はいったい何を思うのだろう。


 いやだ、いやすぎる。死んだあとのことなんてどうでもいいが、それだけはプライドが許さない。発見したお袋の顔を思い浮かべるだけでうあああああああっ!


 それが切っ掛けとなったのか、お袋との日々の暮らしが思い起こされる。


 お袋、俺はもう死ぬ。最後まで親不孝な俺でごめんな。

 もしも今願いが叶えられるとしたら、最後にお袋の料理が食べたい。

 お袋の味噌汁は最高だった。それがもう飲めなくなるなんて、


 目の奥から熱いものがこみ上げてくる。


「うえええん、ままあああああ、しぬのこわいよおおおお」


「大丈夫ですか?」


「まま?」


 首だけで跳ね起きる。


 ママ、ではなかった。

 妙齢の婦人警察官だった。

 

 昔学校で、担任の女教師にママと言って、みんなに笑われたことが今でもトラウマだ。

 あの時自分を戒めたはずだったのに。なんでこんな時に限ってソレが? 最悪だ!


 無駄な抵抗とは思いつつ、慌てて顔を引き締める。

 幸いなことに、婦人警官はスルーしてくれた。


「今しがた怪しい人物を確保しまして、所持品を調べたところ、血痕がついた刃物が確認されたので周囲を調べていたんです。ひょっとして被害に遭われたのは」


「そ、そうです。さっき通り魔にお腹を刺されて」


 婦人警官はそれだけを聞くとすぐさま無線で救急車の手配をとった。


「ゆっくり体を起こしますので、怪我の箇所を見せてください」


 叫びたくなるのを堪えながら仰向けにされ、上半身を晒すかたちとなる。


「よかった。このお腹に張り付けていたホッカイロが邪魔して、傷は深くないようです。病院で治療を受けたあと事情聴取させてもらってもかまいませんか?」


 ファアアアア!? 俺思い込み激しすぎいいいい!


「あ、はい」


「それと、このティッシュに書かれている、味噌汁ってなんでしょう?」


「はい? ああ、たしか倒れる前からそこにありましたよ」


「……そうですか。私はてっきりダイイングメッセージでも書かれたのかと」


 そここそスルーすべきではありませんか婦人警官殿おおお!


「ははは、冗談はよしてください。僕だったら、今わの際に残すとしたらもっとマシなことを書きますよ。たとえば、犯人は赤色の帽子を目深に被ってサングラスをしており、服は黒のジャケットに青いジーンズ、身長はおよそ170センチ。どうですかな? 女刑事さん」


 て今完璧に思い出しちゃってるよね俺えええええ!


「そ、そうですよね。一応念のため、容疑者の所持品という線で調べますので押収させて――、」


 そのティッシュを取ろうとする警官の腕をつかみ、


さーせんすみません。僕が書きました」


 医者の診断は、深さ1センチ全治1週間という結果に終わり、事件は解決した。

 大事をとって次の日は休みをとり、その次の日から普通に出勤した。

 スーツの内ポケットには、万一のことを考え、メモ用紙とペンを常備している。

 エロ本は、いまだベッドの下に隠したままだが。

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