弦は囁く

かみたか さち

チェロの音色は 彼女の声

 開け放した生徒会室の窓から、湿った土のにおいと耕運機のエンジン音が入る。学校の敷地と道路一本挟んだ畑では、絶賛畝作り中だ。グラウンドが広いので、そこまで大きな音ではないはずだけど、益城ますき朋花先輩の声を掻き消すには十分だった。

 

『えっと、まず、立候補者を募ることから、仕事が本格的に始まります』


 蚊の鳴くような、とはまさにこのこと。口の悪い女子が「モスキート先輩」と呼ぶのも頷ける。身長は野球部の三年にも負けないくらいなのに、俊敏さはどこにも見当たらない。厚い前髪で目元を隠し、のっぽりとした姿はダイダラボッチのようだ。

 おまけに、引継ぎノートに書かれた字も小さい。眼鏡を必要としない俺でも、顔をしかめないと読めない。


 どこにも入部届けをださなかったからと、俺を選挙管理委員に選出した担任を恨めしく思う。クラスからひとりずつ選出されるにも拘らず、部活を理由に俺に全部押し付けるA組の選管には、怒りすら覚える。


 ため息が出た。早く帰ってゲームしたい。寝て起きたら六月で、生徒会役員選挙が終わっている時空に移動しているとか都合がいいことが起こらないだろうか。


『えっと、名簿作りですが、お願いしても、いいでしょうか』


 俺は後輩なんだから、もっと堂々と喋ればいいのに。しどろもどろな先輩を睨むつもりで見上げると、俯いたために額から離れた前髪の陰から、目が見えた。

 意外にも、くっきりした二重。睫毛も濃く長い。目元美人だった。

 不本意にもドキリとする。


『今日は、これで終わりです。次は二十一日に』

「先輩」


 前髪上げたほうがいいのに。喉まで出てきた言葉を慌てて飲み込んだ。はい、と振り返ったダイダラボッチに、胸の前で両手を振って誤魔化す。


「あ、いや、なんでもないです。お疲れ様でした」


 丁度、前の廊下を誰かが通った。あぶない、あぶない。誤解を招くことを下手に聞かれたら、明日にはふたりが付き合っているという根も葉もない噂が学校中に広まってしまう。

 田舎の怖いところだ。




 梅雨空の下、生徒会役員選挙は無事終わった。鬱陶しい選管の仕事も終わる。せいせいした気持ちで、学内のポスターを剥がして回った。


 立て付けの悪い生徒会室の扉を足で開けると、益城先輩も投票用紙の余りやペンをまとめているところだった。相変わらず、長身を持て余してもたつく動きがもどかしい。


「俺がやっときます」


 締め切って蒸し暑いおんぼろ生徒会室から一刻も早くおさらばしたい。

 やや乱暴に、剥がしたポスターを置く。勢いで先輩の鞄を落としてしまった。またこれが、口のファスナーが全開で中身がぶちまけられる。

 喚きながら謝り、荷物を集める手が止まった。一枚の細長い紙に印刷された写真に目が吸い寄せられた。


『あ、それ』


 俺が見入っているのに気付き、先輩が挙動不審なくらい慌てた。


『こ、今度発表会、あるんです。そこの、教室の』

「電車から見える川沿いの家ですよね。音楽教室だったんだ」

『知ってるの?』


 ずい、と先輩が身を乗り出した。上背があるだけに、妙な圧力を感じる。


「ええ、まあ。この、ヴァイオリン弾いてる天使の像が綺麗だなって、いつも気にかかってて。帰省するときとか、見える方の席を選んで座るんで」


 こっちがしどろもどろになって、どうでもいいことまで喋ってしまった。


『もしよかったら、聞きに来て。今週末なの』


 がっつり手を握られた。顔が近い。


「先輩、習ってるんですか」

『うん。チェロを』


 前髪を透かして、綺麗な目がキラキラしている。

 気になっているのは、すらりとした裸体でヴァイオリンを弾く少女像であって。音楽には興味がないと、言えなくなってしまった。




 音楽発表会なんて、何着ていけばいいんだろう。Tシャツにデニムパンツ。申し訳程度にシャツを羽織ってきたけど、これでいいのか。

 不安を抱えながら訪れた公民館に、家族連れが三々五々集まっている。フリフリドレスの女の子が花束を持っているのを見て、手ぶらでよかったのかと不安になる。その一方で、同色無地のスウェット上下のおじさんも居て安心した。


 まあ、見渡す限り田んぼと畑に囲まれた町の音楽教室が主催する発表会だ。聞きに来るのも、身内とか友達とか。


 友達、と考えて、冷や汗が出た。慌てて観覧席に並ぶ顔を見て回る。よかった、高校で見る顔はない。

 興味のない分野の、知らない人ばかり出演する素人演奏会は最高の睡眠薬だ。ウトウトしかけたところで先輩の名前を聞いた。


 大柄な先輩が持つと、チェロも小さく見える。壇上で恭しく礼をする彼女は、前髪を上げていた。同名の他人かと思うほど、堂々としている。

 椅子に腰掛け、チェロを抱く。たおやかな手首が「棒」を弦に当てた。

 深みのある音が会場に響く。今まで全体に漂っていたアルファ波が押しやられた。

 目を瞑り、気持ち良さそうに弾いている。自己陶酔だと冷めた目でみたくても、耳は心地よく語り掛けるチェロの音色を求めていた。時折長い睫毛の瞼を重そうに持ち上げ、チェロを見つめ、口元をほころばせて頬を楽器へ寄せる。


 先輩は、チェロと語っているようだった。それに応えて、チェロは歌う。

 彼女に、大きな声など必要なかった。語りたいことはすべて、チェロが代弁してくれている。



 ひとこと、素晴らしい演奏だったと伝えたかった。けれど、委員会の仕事が終わった今、学内における先輩との接点は消えていた。

 休み明けに登校すると、いつもウザイ女子が嬉々として近付いた。


「モスキート先輩と付き合ってんの?」


 さぁっと血の気が引いた。

 小さな芽のうちに叩き潰しておかないと、二日後には俺と先輩が同棲していると町中に噂される羽目になる。


「はぁ? 付き合ってなんかないし。だいたい、あの人のどこがいいんだよ」

「発表会行ってたんでしょ」

「選管のとき、押し付けられただけだよ。あんまりに暇だったから行ったけど、やっぱり暇だったし」

「なーんだ」


 よし。撃退成功。


 だけど、後味は悪かった。保身のために、不必要なまで先輩を貶めてしまった。

 偶然廊下で擦れ違った先輩が、おびえたように小走りに去っていく。後ろ姿を見送って、苦い想いが喉に張り付いた。

 

 後悔を抱えたまま、夏休みも目前に迫った夜。


「喜べ。栄転だ。本社に決まった」


 父親が、特別に買って帰った生ビール片手にご機嫌だった。


「どうした。怖気づいたのか? こんな田舎は嫌だと、言っていただろ」


 背中を叩かれ、曖昧に笑って返した。

 まあ、悪い話ではない。憧れの都会暮らし。

 だけど、胸の中に益城先輩の悲しそうな顔がわだかまっていた。


 転校の話は、こちらから言い出すまでもなかった。


「いいよなぁ。芸能人に会ったらよろしく伝えといて」


 引越しの日取りからなにから、終業式までには、誰もが知っていた。

 なのに俺は、先輩に謝りたくても、彼女の家も連絡先も知らなかった。


 新天地へ向かう電車の窓枠で頬杖をつく。つまらない田舎の風景も、見納めかと思うと感傷的になる。

 田んぼを越えて、町に一つしかない大型店舗を過ぎて、川に差し掛かる。身を乗り出して、天使像を待った。

 俺は、息をのんだ。

 天使像の横に、益城先輩がいた。電車へ向け、選管のポスターで使う模造紙を掲げている。ペンで、大きく黒々と書かれた文字。


『発表会 ありがとう』


 窓を開けたかった。大きく手を振って、応えたかった。でも出来ないまま、先輩の姿も天使像も、背後に流れていった。




 バイト代で買ったカジュアルスーツとネクタイは、よそよそしくて体に馴染まない。手にした花束も、なんか恥ずかしい。新幹線の中で、ひたすら周りの目を気にしていた。

 だけど、会場には同じような人がたくさんいて安心した。まあ中には、格式高そうなコンサートホールに関わらず、上下無地のスウェットという強者もいて、苦笑する。


 受付で、花束を預けた。


「こちらへ、渡したい人の名前とご芳名をお願いします」


 パンフレットで、彼女の下の名前を確認する。下手なりに丁寧な字で記帳した。


 覚えてくれていなくていい。


 名の通ったオーケストラのチェロ奏者の中に先輩の名前を見つけてここまで来たのは、俺の自己満足だから。


 パンフレットの写真を改めてみる。

 先輩はしっかり前髪を上げていた。くっきりとした目が、まっすぐカメラを見つめている。胸を張り、優しくチェロを支える姿は優美で、あの天使像を思い出させた。


 今になって、気が付いた。

 あの時俺は、先輩に恋をしていたんだ。


 開演を知らせるブザーが、会場内に鳴り響いた。


〈了〉

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弦は囁く かみたか さち @kamitakasachi

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