死人までの抗い

ささやか

僕の抵抗

 たった一ミリほどの隙間が僕らをつないでいる。


 部屋。

 言葉にすればそれだけだが、そこには外界との断絶があり、中に閉じこめられている者にとっては物質的な絶望だ。

 ここは部屋だった。そして僕らは閉じこめられていた。絶望だ。

 なんのために。

 殺されるために。

 そう、詩織さんは教えてくれた。彼女はこの部屋に関するおおよそのことを紙に書いて教えてくれた。

 けれど僕は詩織さんの顔を見たことがない。声を聞いたこともない。何故なら僕らは別々の部屋に閉じこめられているからだ。部屋にいる者同士が情報を伝達する唯一の手段。それが紙とペン、そして一ミリの隙間なのだ。






 二つの部屋のルールは単純で、入室から一か月すると連れ出される。おそらく殺される。前の入居者がいなくなってから二日で新しい人間が入る。交換の時期は二週間ずれている。多少の前後はあるが、だいたいそういうふうに巡っている。


 部屋のある場所は、過去の入居者による考察では、おそらく日本海側、しかも北陸地方である可能性が高いらしい。これは当時発生した地震と体感震度からの予測だそうだ。


 僕らを閉じこめた犯人は、男だというのが通説になっている。確定はしていない。大半の入居者はどうやって部屋まで拉致されたのか記憶になかったが、数少ない記憶がある者の多くは男の手によるものだと記録していた。また、部屋に生理用品がないなど女性への配慮を欠いているという点も通説を補強していた。

 しかし、まれに女性だった、子どもだったという入居者もいた。そこで組織的犯行を主張した者もいたが、その組織がこの拉致監禁によりどのような利益を得ることができるのかという疑問があげられていた。また、そもそも組織という仮定自体が空想的に過ぎるという指摘もあり、組織説はあまり支持を受けていなかった。


 詩織さんは変態的嗜好を持つ男性資産家の犯行であるとの通説を支持していたが、僕は組織説を支持していた。このような蛮行を長年継続していることからすれば、やはり集団の力が働いているように思えたし、利益だって一般人には想像もできない方法があるかもしれないと考えたからだ。


 入居時の部屋は清潔に保たれており、八畳ほどの広さを有している。窓はない。唯一の出入口である扉はこちらから開けられる作りになっていない。つまり一度閉じこめられたら誰かに外から開けてもらうのを待つほかないということだ。

 食事は一日三回、扉の下部にある小窓から差し入れられる。飲料は部屋の隅にペットボトルがまとめて置かれている。また、いざとなればシャワーの水を飲めば渇きをいやすことができる。


 部屋にはベッドはもちろんトイレやシャワーなどの生活に必要な設備が揃っている。しかしテレビもパソコンもなく、持っていたスマートフォンもなくなっていた。その代わりなのか、小さな机の上に大量の白紙とペンが何故か用意されていた。

 己の部屋の外界を得る手段は存在しない。が、例外はある。部屋と部屋を隔てる防音壁。その繋ぎ目にあるたった一ミリほどの隙間。そこに紙をさしこめば、もう片方の部屋に送ることができる。紙とペンで互いの情報を伝え合うのだ。


 詩織さんは一ミリの隙間からたくさんの紙を送ってくれた。彼女自身が書いたものもあれば、過去の入居者が書いたものもあった。驚嘆すべきは、過去の入居者の手によるものが実に多く残っているということだ。無論、残すべきそれらの一部を逸失させてしまった入居者もいたようだが、それでもなお多くが僕までつながっていた。


 たとえば原田友則さんはこの部屋に関する説明をわかりやくイラスト付きで書いており、一か月の生活においてどのように設備を使うべきかだいぶ参考になった。月本哲男さんがまとめた過去の入居者の情報を真倉楓さんが綺麗な字で清書していた。僕はその情報一覧表を読んでみたが、そこに規則性は見出せなかった。


 そういう実用的なもの以外にも、いやそれ以上に娯楽として創作されたものが数多くあった。憤ることはできる。泣くことはできる。嘆くことはできる。しかし、それらを一通り終えた後、部屋に閉じこめられた僕らができることはただペンを使って紙に書くことだけだ。そのため、過去の入居者による多くの『作品』が残されていた。


 西藤和音さんが書いた「ノッチーさん短編集」は彼女独特のユーモアに満ちていて過去の入居者からも評価が高かった。野口翔也さんの「自殺志願者デッドライン」は終始陰鬱な調子であったが、正に陰鬱な状況下にある入居者にとって心の慰めとなった。創作は小説にとどまらず、マンガやイラスト、果ては楽譜なんてものまであった。人気の作品にはファンアートや評論までついているのだから面白いものだと思う。


 僕自身が創作をすることはなかったが、過去の入居者による作品はかなり楽しんで読んだ。おかしなことだと思う。人生の終わりがはっきりと迫っているのにも関わらず、非現実に親しむことに時間を費やすなんて。

 けれどもきっとそれは必要なことだった。人間は四六時中深淵をのぞきこんでいられるほど強靭な精神を持ち合わせていない。


 だけど過去の入居者の創作物よりも楽しかったのはやはり詩織さんとの交流だった。僕らはたくさんのことを伝え合った。彼女の文字は読みやすく、使う言葉もやわらかかった。僕の字は少し乱雑で読みにくかったかもしれない。でも使う言葉はそれなりに選んだつもりだ。


 年の離れた妹がいること。寺社仏閣を巡ることが趣味であること。以前の彼氏には理解されなかった上に浮気をされたのでしばらく恋人がいないこと。オムライスが好きだけれど自分では上手く作れないので練習していたこと。大学は文学部で国文科を専攻していたが、全く専攻と関係ない保険会社で働いていたこと。被害者意識が強いせいでめちゃくちゃな要求する人がいて困ったこと。色んなことを詩織さんは教えてくれた。どれも興味深く、読んでいて楽しかった。

 僕も色々なことを伝えた。もし詩織さんが楽しんでいていたなら嬉しく思う。

 

 そして時間はあっという間に過ぎ去った。詩織さんはいなくなった。

 詩織さんがいなくなった夜、僕は彼女が書いた文章を何度も読み返した。最後の言葉はありがとうだった。





 まだ隣の部屋に新しい入居者は来ていない。

 その時が来たら、僕は一ミリの隙間から紙をさしこんで、君はひとりじゃないと伝えよう。詩織さんから受け継いだたくさんのものを同じように渡してあげよう。


 二週間後、きっと僕は詩織さんと同じようにこの部屋からいなくなるのだろう。そして死ぬのだろう。

 僕には閉じこめた犯人の正体もわからないし、部屋を抜け出す術を発見することもできない。だけど、もしかしたら、僕らが残した情報をもとにして、いつか入居者がそんな偉業を成し遂げるかもしれない。少なくとも僕が次の入居者に繋げば、そういう微かな希望を紡ぐことはできる。

 僕はただの凡人で、本当になんの力も持っていない。それでも詩織さんや過去の入居者が、脈々とつないだように、僕も死人しびとになるまで抗おうと思う。 


 そろそろだろうか。

 ほんのわずかな隙間に希望をさしこんでみると、しばらくして誰かがそれを受け取った。

 僕は少しだけ笑ってしまった。

 

 

 



 

 

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死人までの抗い ささやか @sasayaka

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