紙とペンと海の星 vol.1

東洋 夏

vol.1 海の星からこんにちは

 ※この文章は異文化言語研究者アム・セパア博士によるコラム「紙とペンと海の星」から抜粋したものです。当コラムは掲載元の汎銀河系自然環境専門チャンネル《ポーラー》から転載許可を得ています。


 ◆


「vol.1 海の星からこんにちは」


 エンダ・ロー(はじめまして)、皆様。

 当月からディスカバリー・コラムにアルマナイマ星の自然と文化について寄稿させていただきます。

 長らく汎銀河系の皆様とお話する機会を失っているので、もしかしたら私の文章は読みづらいかもしれません。

 私の最近の話し相手は、もっぱらアルマナイマ星の海洋放浪民セムタム族の人々です。

 彼らの文化と汎銀河系の文化は大きく異なっています。

 考え方も、食べ物も、生活環境も。

 セムタム族の暮らしは、コラムを読んでいただいている皆様には、想像もつかないでしょう。

 アルマナイマ星には、脳経接続ダイブリンクもARも、それどころか電気もありません。

 星の地表の九割近くが海だと言われています。

 セムタム族は一生のほとんどを海の上で過ごしますし、夜には灯りも無いのです。

 大人になればたった独りで、帆と櫂しか動力の無い素朴なカヌーを操り、島々の間を渡って生きていきます。

 その上、海にも陸にも彼らより強い生き物はわんさといるのです。

 どうでしょうか。

 あなたは生きていけますか?

 とっても無理?

 私も彼らの手助けが無ければ、アルマナイマ星では生きていけません。

 ですから、私の思考回路のいくつかは汎銀河系文化ではなく、セムタム族の回路に、きっと書き換わっていることでしょう。


 さて、このコラムのタイトルに「紙とペンと海の星」とつけさせていただきました。

《ポーラー》をご覧のあなたなら、ご存知かもしれません。

 アルマナイマ星では、電子機器が上手く作動しません。

 国際宇宙港の付近は比較的正常に動くエリアなのですが、海に出てしまえば、もう駄目です。

 いちばん酷かったのは、カメラが爆発したこと。

 カメラはどんなローテクのものでも、アルマナイマ星の海からは嫌われてしまうようです。

 それで、私は記録を取るのに紙とペンを使っています。

 ペンだこというものが伝説の存在ではない、ということが、私のアルマナイマ星における第一の発見でした。

 私のポケットにいつも入っているメモ帳とボールペンは、塩まみれです。

 セムタム族は何かに記録を書き記すという習慣がありません。

 彼らは立派なハウライ文字というのを持っているのですが、それを書くための紙を発明していないのです。

 誤解をしていただきたくないのは、紙がないのは彼らが野蛮で無気力だからというわけではありません。

 圧倒的に陸地が狭く、その陸地も常に潮風にさらされているような環境では、木材の量が足りません。

 それにセムタム族は、無遠慮に島の木を伐ってしまえば、自分たちの不利益になることを良く知っています。

 例えば、アルマナイマ星では急なスコール、急な嵐が日常茶飯事です。

 そんな時にはげた島しか残っていなかったら雨風を凌ぐところが無くなってしまいます。

 また、もうひとつ説明しておきたいのは、セムタム族の成人識字率が100%だということ。

 この数字には、成人と認められる為の試験で識字の問題を解かないといけない(=識字出来ないと成人になれない)というカラクリがあるのですが、それにしても彼らの文字に対する重要性の認識の度合いは非常に高いということはお分かりいただけるでしょう。

 そんなセムタム族ですので、私が聞き取った事柄をメモしていると興味津々で覗き込んできます。

 不幸ないくつかの研究者殺傷事件により、セムタム族の事を短気で敵対的な気性だと見なされる方もいらっしゃるかもしれません。

 はっきり申し上げます。

 それは間違った認識です。

 セムタム族の文化に知識を深めてから研究者の殺傷事件を見返すと、残念ながら汎銀河系の研究者の側にセムタム族への敬意が足りなかった事例ばかりだと見えてきます。

 誰だって、自分の家に見ず知らずの人が入ってきて、勝手気ままに振る舞われたら嫌でしょう。

 セムタム族は基本的に穏やかで辛抱強い民族ですが、我慢にも限界はあるのです。

 私達と同じように。


 ではもしあなたがアルマナイマ星に来るとして、セムタム族とどのように仲良くなったら良いでしょう?

 やはり、まずは挨拶です。

 セムタム語の挨拶はとても簡単なので、早速覚えておきましょう。

 まず基本は「エンダ」。

 これは、おはよう、こんにちは、こんばんは、の意味。

 どの時間でも対応できる便利な言葉です。

 セムタム族は自分の胸、心臓の上に拳を置いて挨拶をしますので、そのジェスチャーも覚えておけば完璧でしょう。

 応用編としては「エンダ・ルラ」。

 ルラは去るという意味ですので、これはセムタム語のさようならになります。

 はじめまして、の時には「エンダ・ロー」。

 ローという響きには尊敬の感情がこもっているようです。

 セムタム族は広大な海でひとりぼっちの時間を沢山過ごします。

 初めて会う人に対して丁寧に挨拶することで、物々交換や情報のやり取りを円滑に進めようという気持ちがあるのでしょう。

 エンダ・ローを使うことが出来れば、セムタム族も「おっ、面白いやつが来たぞ」と感じ、あなたに親しみを持つと思われます。

 彼らは自分たちの文化に敬意を払ってくれる相手には、とても礼儀正しく接するのです。

 ただしセムタム族はとても記憶力が良いので、二回目なのにはじめましてと言ってしまうと、へそを曲げるかもしれません。

 そんな時は、「ドクターと同じです」と弁明していただくと良いでしょう。

 右も左もわからないとき、「エンダ・ロー」が通常の挨拶だと勘違いしていた私は、たっぷりと恥をかき、冷や汗もかいたのです。

 だから私の名前を出すと、なるほど、と納得してもらえるに違いありません。

 私は少々悔しいのですけどね。


 さあ、そんなわけで、駆け足でしたがセムタム族の性質をご紹介させていただきました。

 次回からは彼らがどのようにアルマナイマ星の豊かな自然と付き合っているのか、色々なテーマでお話いたしましょう。

 それでは皆様、エンダ・ルラ!

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