いつかの約束を守るために

白石 幸知

第1話

「──面白いアニメだったな……」

 大学の長期休暇の間、小説を描き続けていた僕は、休憩がてら撮りためていた深夜アニメを消化した。これが一度見始めるとなかなか抜けられず、結局ワンクール全部見切ってしまった。

「やっちゃったなあ。これだと新人賞の締め切り間に合わないよ……」

 六畳のワンルーム、テレビからノートパソコンに向き直った僕は、再び原稿の作業に戻った。作業机の上には、国語辞典や類語辞典、文章の参考にした小説の文庫本など、本を並べていたり、充電中のスマホ、アニメを見ながらすすっていたホットココアの入ったマグカップが広げられている。

「ま、それでも書かないといけないのですが、ね」

 再びカチャカチャとキーボードを叩く。気分転換した後だったからか、進みは良く、パソコンの画面に点滅するカーソルの動きは滑らかだった。

 まあ、大学生の一人暮らしでそんないい家に住めるはずもなく、薄い壁越しからはテレビの音や、宅飲みをしているのだろう大学生の集まりのどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。……たまにエッロイ音声が伝ってくることがあるから、今日はまだマシ。まあ、本物か映像かなんて僕は知らないけど。知りたくもないけど。

 別に雑音が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだし、その方が集中できる。例外もあるけどね。

 一時間くらい原稿をやっていると、机の上のスマホが着信を知らせた。僕は手際よく電話に出る。

「や、司。どうした? こんな夜中に」

 電話口からは、かつての高校の友達の疲れた声が流れてきた。

「よお……洸。悪いな、こんな夜中に。……絵がなかなか描けなくてよ……間に合わないかもしれないんだよ」

「ああ、そういえば即売会で本出すんだっけ、司のサークル」

 電話の相手の司は、高校の文芸部の仲間で、絵を描いている。絵なんて素人な僕が言うのもあれだけど、かなり上手い。いわゆる「綺麗な絵」を描く人で、司の描くキャラクターは皆透明感に溢れている。僕とは別の大学に行ったけど、そこでもまだ活動は続けている。

「ああ。ちょっと詰まってきたから、気分転換しようと思って。明日、洸は暇?」

 完全に声が死んでいる司は、僕に予定を尋ねてきた。どこかに行くのだろうか。

「うん、暇だよ。っていうか、明日って、今日のことだよね? 一応。もう零時またいでいるから確認するけど」

「……そうだな、今日だ。いや、秋葉原で漫画の展覧会やってるんだ。日常の祭典の。そのチケット間違って二枚買ってさ……あれだったら洸もどうかなーって」

「まじ? ……行く、行くわ。僕も原稿一段落つかせて行く」

 一瞬パソコン画面の左下の文字数をチラ見して、即答で返事をした。いや、好きな出版社の漫画の展覧会見に行くかと言われて行かない筋合いはないでしょ。チケット買いそびれたんだよなあ……。

「オッケ―。……じゃあ、今日の朝八時半に秋葉原駅の電気街口で。じゃあ、俺は寝る……」

「あ、ああ。おやすみ」

 電話が切れた。今の時間と、待ち合わせの時間を照らし合わせ、何時に寝ないといけないかの見当を立てる。

 僕の家から秋葉原までは大体三十分で行けるから、七時には起きないといけないな。……なら四時前には寝ないと。

 じゃあ、あと一時間ちょいか。

 電話を挟んだことで、一旦集中が切れてしまった。僕は、机の引き出しにしまっている一枚のイラストを手に取る。

 それは、僕と司が高三のときに作ったライトノベルのキャラクターだった。文芸部の部誌にも載せて、まあまあの反響を得た作品だ。

 たった一枚の紙に、ペンで彩られた一つの世界観。

 司が描いた女の子は何も口にしていないのに、どこか伝わってくる心情。名残惜しそうに落ち葉を見つめる目線は、どことなく別れを想起させて。中途半端に伸ばしかけた右手は、彼女の赤く染まった表情と照らし合わせると手を繋ぎたかったのかなとすら思えてくる。

 僕が文章で描いた女の子とはいえ、どこか悔しく感じたのは、今でも覚えている。

「だって、僕こんなに可愛く描いてないよ。司」

 凄いなあ……これだけで、多くのことを伝えてくれるのだから。

 なんて僕は司と会うたび飲みに行くたびそう言うのだけど、司いわく「まだまだ」だそうで、しかも「俺に言わせれば文章だけで人を描けるお前の方が羨ましい」と言われる始末だ。

 隣の芝生は青いって奴かな。ないものねだりなんだ、僕たちは。

「さて……」

 僕は引き出しにそのイラストを戻し、今度は設定やプロットをまとめた手書きのノートを開く。パラパラとめくっていくと、メモリーツリーのように羅列した設定がペンで書きこまれていて、そういえばここのところ活かさないと、と再認識させてくれる。

 まあ、これも言ってみれば紙から生まれる一つの世界観ってわけで。

 僕も、司みたいに、読む人を動かせるような世界観を作りたいな……。

 マグカップに残っているホットココアを一口飲み込む。

「さ、頑張らないと、そろそろ動かさないとだめだね」

 僕はノートを中にある青色の便箋の上に置き、引き出しにしまう。

 ──洸君も、真っ白な世界から、読む人を惹きつけるような、そんな世界を作る人になって欲しいです。

 いつか貰った、誰かからの手紙。

 そうだ。僕は君との約束を守らないといけないんだから。

「よし、頑張らないと」

 まだしばらく、夜は続きそうだ。

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