エピローグ:蛇に足はいらない




 窓から吹き込む風を浴びながら、チカはYouTubeで動画を見ている。


 左手に掴むGalaxyの5.1インチの画面に目を凝らし、赤色のグミホン安物のイヤホンから流れる音に合わせて首を少し振っていた。短い二つ結びの髪をピコピコ揺らし、のみならず、ふんふんと鼻歌で曲のメロディを再現する。

 動画は、違法アップロードされたアニメのEDエンディングパートだった。


 朝の二年四組の教室にいるのは、わずかな生徒のみ。

 それも黙して勉強するばかりで、窓の寒風やグミホンから漏れる音声、鼻歌を咎める者はいなかった。


 やがて一人、生徒が入ってくる。

 足と色素の薄い髪が長い女子だ。


「おはよう」


 彼女が誰にともなく挨拶すると、チカ以外の生徒は会釈えしゃくなどの反応をする。

 イトウというその生徒は、元々クラスでも中心に近い位置にいたが、マナやミハルが退場した現在は更に重要な立場にあると見なされていた。


 彼女はコートを脱いで軽く畳み、教室後ろのロッカーに押し込む。

 また、教科書とノート、文房具を出してからカバンもロッカーに入れた。


 腰を上げる。自分の机に向かおうと振り向いた。

 歩き出そうとした、その時。


「あれ?」


 と、立ち止まって方向を変える。

 その場からほど近い、窓際のチカの席に行き、その目の前に回り込んだ。


 笑顔で話しかける。





「うわあ、、スマホ持ってたんだ!」





 チカは驚いてバッと顔を上げた。


「あ、ごめんね、びっくりした?」


 イトウはそう言いながらまた笑う。

 いそいそとグミホンを外そうとするが、焦って指先を何度も滑らせるチカの姿が可笑しかったのだ。

 小柄でチマチマ動き回る姿は存外可愛らしい。

 着崩きくずした染みだらけのブレザーはいただけなかったが。


「知らなかったなあ、いつから?」


「持っとったよお! ずっと前から、持っとったで!」


 チカの返事はいつも通りのやたらな大声。

 しかも、明らかにイントネーションのおかしい関西弁。

 これは笑ってはいけない、とイトウは口元を隠した。


「へー、何見てるの?」


 チカの目がキラリと光る。


「一月から始まったアニメでなあ、めーっちゃ面白いのがあるんや! イトウさんも知っとるかな、ツイッターだともうバッチンバッチンにバズっとるんやで! 『けものフレンズ』ってなあ、女の子になった動物がぎょうさん出るんやけど、主人公は何の特徴も無くてぇ、でも、考察班ってのがいてなあ!」


「そ、そうなんだね、面白そう。私も見てみようかな」


 イトウはアニメに全く興味がない。

 そんなの見てくれから幾らでも想像がつくだろうに。


 チカは誰に対しても自分のしたい話しかしようとしなかった。自然、一部を除き誰からも話しかけられなくなる。それは適切な状態だと彼女は考えていた。


 イトウはソコツネクラスタでは無かったが、目の前の彼女がつい最近まで異常な状況にあったことはもちろん把握している。手を差し伸べたりはしなかったが、行き過ぎているとは感じていた。

 “家庭の事情”とやらでいなくなった時は『ついに退場したか』と思ったが、あの一件でクラスタも解散、いつの間にか戻ってきて、ちょうどいいタイミング。


「そうだ! ソコツネさん、せっかくだしLINE交換しようよ!」


 だから、今からやるのはバランス調整。


「ええの? よろしく頼むわ!」


「前から興味があったんだよね、アニメとか漫画とか私わからないし」


 QRコードを交わし合い、難なく連絡先を交換すると、イトウは改めて彼女に向き直った。


「友達になろ? 私のことはアサカでいいよ!」


「ええー! 恥ずかしいわ……でも、そんならウチのこともチカって呼んでええで」


「あはは、よろしくね」


 そんな風に名前で呼び合う日はまず来ない。

 この連絡先はクラスの行事や問題事の調停などに使うだけだ。

 イトウにとって友達とは『物理的・心理的にとどこおりなく生活を送る際に必要な人員』ぐらいの意味だった。


 用事が済んだし立ち去ろうかとイトウが思うと、ちょうど傍の窓から風が吹き、寒さで背筋がピキンと張る。


「その窓、閉めていい?」


「ええよ、寒いし」


「本当だよね、誰が開けたんだろ」


 アルミサッシをピシャリと言わして閉めたイトウに、チカはニヤニヤ笑って答える。


「誰が開けたんやろうなあ!」


 本当に会話の下手な子だな、という感想。それから微かにゆで卵に似た臭いを嗅ぎ取りながら、イトウは自分の席に着いた。




 チカは一人に戻ると、グミホンを耳に着け直し、Galaxyの画面に目を戻す。

 YouTubeのタブを閉じ、を再開した。


 また数分して、教室に男子生徒が二人やってくる。

 タナカとハラダだ。


 特に太っているタナカの姿はわかりやすく、作業に没頭していたチカもたまさかに気付き、手を振る。


「オウ! おはよう、お前ら!」


 しかし、二人は顔をしかめて立ち尽くすのみ。

 チカは怪訝そうに首を傾げた。


「最近どしたん? 部活も出ないし。百合のハナシしようや! またも教えたるで!」


 と、言っても二人は警戒の表情を崩さず、結局踵を返して教室を出ていく。

 納得いかないチカはふてくされて、眉間に皺を寄せる。


「なんや、ノリ悪いわー」


 気を取り直して作業に戻り、すぐにそれは完成した。


 ご褒美としてもう一度さっきの動画を見て、次にツイッターを開く。

 TLタイムラインをざっと見て、お目当てのモノを見つけた。



ソコツネさん㊙情報@sokotsunemaruhi

ソコツネさんの舌はよく見ると小さいヒルで構成されている。



 中庭で目論見もくろみごと砕け散った後も、ソコツネさん㊙情報は更新を止めなかった。

 一日に十数回、精力的に気色悪いツイートを生産。

 もうRTリツイートしたりいいねをつけたりする者はいなかったが、それが彼女の最後の抵抗なのだろう。


 チカは張り詰めた面持ち。

 上を見て、息を少し吸い吐きしてから、Galaxyに向き直る。

 それから画面をタップし、そのツイートにリプライをした。



うーみん@wuming0512

返信先: @sokotsunemaruhiさん

モロズミミハルとフジモリマナってソコツネさんに殺されたらしいですよ



 そのツイートには画像が一枚添付てんぷされている。

 スマホで撮影されたらしきその薄暗い写真には、それでもくっきりとテニスコートに倒れたミハルとマナが写っていた。


 二人は血の気が引いて真っ青で、意識が無く、確かに死んでいるようにも見える。

 ミハルは腹から血を流し、マナの指の無い右手、その切り落とされた指先まで、完全に判別できた。よく見えるように丁寧に加工されていた。

 ついでに下部に明朝体で『二〇一七年一月某日 長野ナガノケン某市 東中で』とキャプションが添えられている。


 投稿して十秒。

 最初のRT。

 ソコツネクラスタでも東中生でもないが、諏訪地方に住み、この手の話題を好んで㊙情報を観察していた悪趣味なアカウント。

 次はその二秒後、二つ同時。

 ♡はその頃にはもう15を越えていた。


 その頃にはうーみんのアカウントはソコツネ㊙情報からブロックされている。

 もう彼女にできるのはそれだけ。

 しかし、この勢いは止まらない。

 止まるわけがない。


 RTも♡もぐんぐんと上昇していく。

 五分と経たずにソコツネクラスタが機能していた頃の最高記録、172と236を突破。

 それは㊙情報を監視していた者たちから地方住民クラスタを越え、長野県全体のアカウントへ広まる。ついにはローカルなネットワークから、ツイッター中にいる猟奇趣味やネットの揉め事に敏感な野次馬の層にまでリーチし拡散していった。


 SHRが始まる前にRT数が1000を超える。


 チカはようやく緊張が解けた様子で、息を吐いた。


 そして、誰からも名前で呼ばれ無い無名の少女は唇をにんまり歪めて笑う。



「へへ、面白オモロ







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホラーの練習 しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる @hailingwang

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ