35. 二年かかったわ……お疲れ、ミハルちゃん




 窓の外で八ヶ岳ヤツガタケこごえている。

 何となく、そう感じた。

 空があまりに青く、山巓さんてんに降り積もった雪もまだ深い、だからだろう。


 まだ二月なのだ。



「はい、三十六度七分です。それでは」


 朝の検温を終えた看護師かんごしさんがそう言って体温計をしまう。

 ベッドの上のボクは窓から目を戻し、足早に立ち去るその背中に頭を下げた。


 彼女がいなくなると後はもう一人、病室を満喫まんきつできる。

 この個室はベッドの他、クリーム色の壁が四方に完備されていてくつろぐのに最適だ。


 嘘。

 もう寝飽きたし、大分退屈している。


 何しろこの部屋にはスマホは愚か、テレビや新聞さえ無いのだ。

 食事はドロドロの流動りゅうどうしょく

 面会は警察の人だけ、いや弁護士の人も一回来たか。

 ボクの今のあつかいはそんな感じ。


 どうしたらいいかわからないから、傷が治るまで病院に閉じ込めておく。

 、朝になってボクとマナちゃんが中庭で血だまりに沈んでいるのを見つけた大人達はそう決めたらしい。

 まあ、あの時ボクはもう死にかけだったので、これはこれで助かった。


 ただ、最近の警察の人達の話しぶりからわかるのだが、段々今回のが決まってきたらしい。

 人間関係のもつれに因る喧嘩ケンカ、それで行くそうだ。

 『テニス部でお互いの親友に関する遺恨いこんがあった』という最もらしい筋書きを作り上げられたのは、確実に警察だけの力ではないだろう。


 あんなに大変なことになったのに。

 生徒も先生も、東中トーチューのみんなで全力で無かったことにして、今回のことは全然騒ぎにならなかったようなのだ。

 やっぱりみんなが一番強い。


 別に不満はない、みんながまた安心して生活できるってことなんだから。

 ボクが望んだことでもあるんだから。


 ボクがマナちゃんにやったことや、不可抗力だけどマナちゃんがボクにやったことも、そういうていで処理されることだろう。

 法律のことなんてちっともわからないけど、刑務所か、精神病院か、そんなところ。

 東中に戻り、普通の中学生活を送ることはもう無いだろう。


 別に構わない。

 ボクは恐怖に屈せず、正しいことをしようとした。

 その結果起きることの責任を負う覚悟もしたのだから、責任は果たす。

 それだけだ。


 まあ、せめてユキやお母さん達に手紙ぐらい送ってあげたいのだが、今はここで彼女達の心の平穏へいおんを祈るばかり。


 特に宗教もなく手を合わせて頭を下げると、はらりと一本、髪の毛が落ちる。

 洗いたての白い布団に落ちたその毛は、周囲に同化するかのように白い。

 白いのはその一本だけじゃなかった。


 窓ガラスに目を向けると、そこにぼんやり映るボクの頭髪は真っ白。

 あの日、気絶する直前に見たと同じ白さだ。




 お医者さんや警察の人達は染めてるだけと思っているらしいけど、多分これは元に戻らないという確信がある。

 あの時、ボクは刺し傷以外にも全身をマナラクに侵されていたのだ。波を食らった時にそれはもうたっぷりやられて染み込んだ、マナちゃんみたいに切り離すことができないほど重度に。

 でも、ハルカちゃんがすべなく敗北したのと同じように、ボクの中のマナラクもに染め上げられたのだろう、今は何の気配も感じない。お陰で後遺症も無く生き延びられたわけだ。けど、あんまり似合ってないし、ちゃんと染め直せるのかな、とかなり心配している。



 結局、というものは本当にあった。

 ボクらに決して扱い切れない、理解もし得ないらは、いる。

 ボクはまた間違えてしまったようだ。

 他の選択も間違えていたかもしれない、と心にほんのり影が差す。



 でも、これもボクの行いの結果だ。

 受け入れよう。

 責任は果たし、反省し、次は間違えないと胸を張るだけ。

 それだけ、と今は信じるしかない。




 当てのない祈りを終えると、すぐに退屈が訪れた。

 こうなると、ボクが考えることは一つしかない。




 マナちゃん。




 あの子は今何をしているのだろうか。

 やっぱし入院中だろうけど、大人達は生きていること以外何も教えてくれない。現在の体調とか、指は繋がったのか、とかも全然だ。

 まあそりゃそうだろうだけど、お陰で妄想ばっかりする羽目になっている。


 想像の中のあの子は寂しさの中にいた。

 当たり前だ、一番の親友の為にあんなに頑張ったのに、裏切られたんだもの。

 きっとボクと同じく個室のベッドの上、一人膝を抱えて失望と孤独に凍えている。


 そんな彼女の心を温めてあげるのはボクだ。


 全てに絶望し音楽室から飛び降りたボクを助けてくれた時のように、今度はボクがあの子を助けてあげる番。マナラクの中で抱き締めた時のように、この胸の愛おしさを伝えてあげるんだ。


 ボクはなるんだ、雪と霜とで凍り付いた彼女の心を優しく溶かし、新しい花を芽吹かす日差しに。


 そうだ!



 ボクがマナちゃんのハルになる。



 責任を果たしたら、必ずあの子と再会するんだ。


 ボク達は学校で学んで、どんどん大きく強くなる。

 ボク達は恐怖に身を任せてその力を振るい、お互いを傷付けてしまう。

 でも、死ななければ生き続ける。

 傷の痛みに苦しみ、治らずに死ぬかもしれないけど、それまでは生き続ける。

 そして、その日々の内ボクらが寄り添い愛するのを誰も止められない。

 それはボク達が大きくて強いから。


 この日々は、この練習はその為にあったんだ。


 に生かされたのも、この為に違いない。



 ボクらの再会の時。

 それは遠い日じゃなく、きっとすぐのこと。

 そうに違いない。


 だって、もう二月なのだ。


 ボクは窓の外を見て、澄んだ空気に浮かぶ太陽に目を焦がす。

 ああ、なんて待ち遠しい。


 春と聞かねば、知らでありしを。

 聞けば急かるる、胸の思いを。


 この青空の下に彼女もいるのに、窓から飛び立ち探せないのがもどかしい。

 ああ、なんて愛おしい!


 いかにせよとのこの頃か!

 いかにせよとのこの頃か!




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