34. グロ注意




 ――ハルカちゃんはボクを思いっきり突き飛ばす。


 ボクは受け身も取れずに机の一つにぶつかった。

 物理法則の為すがまま、ずり落ちて転がる。


「お前っ!!」


 彼女は叫ぶのもそこそこに、唇を何度もぬぐい、唾を吐き出した。

 それでも顔を真っ赤にして苦しみ始める。


 マナちゃんの体にアレルギーなんてない。

 けど、いつか夏の休憩中、ハルカちゃんが小さい頃ピーナッツを食べて、死ぬほど苦しんだと話していたのをボクはよく覚えていた。

 それからしばらく後の合宿で、みんなで手作りのお菓子を持ち寄った時、摘まんだお菓子にピーナッツが入っていると気付いた途端投げ捨てたことも。

 その時の心底恐怖した表情も、目に浮かんだ涙も。


 相手の体質とトラウマを利用した卑劣な所業しょぎょう

 後悔はない、してはいけないと思った。


 彼女は首を掻きむしり、膝をついて、ついにその時が来る。


「ああっ、ダメっ、ダメッ!!」


 マナちゃんの身体に何かがダブって見え、すぐにそれはハルカちゃんだとわかる。

 しかし、それはシルエットだった。

 真っ黒。墨汁をかけたより真っ黒なのだ。

 彼女はマナラクの力を掴んだまま、本体マナちゃんから逃げようとしている。


 シルエットが離れていくにつれ、マナちゃんの指先がプルプルと震え出した。

 苦しみ呻く。


「ハ、ハルカ……」


 


「マナちゃん! みんなを帰してあげて!」


 ボクは精一杯声を張り上げると、次の瞬間、周囲に座っていたみんなが消える。

 一人残らず、音も立てずに。


「マナ、何をしているのっ!?」


 吠えたのはハルカちゃんだ。

 その勢いのまま立ち上がり、完全にシルエットがマナちゃんから離れる。

 今、二人を繋ぐのはがっちり指を組み合わせた右手だけだった。


「ハルカ…………みんなを守るはずじゃ……無かったの……?」


 親友の手に支えられ、ようやく座位を保つマナちゃんは息も絶え絶え。

 しかし、その眼は疑念を浮かべ黒々と光っている。


「それに……普通に生きて、中学生やってる……って、どういうこと?」


 ハルカちゃんとマナちゃんの間に不信の種は元からあった。

 少し水を掛ければ、すぐく。


 そんな簡単なことにも気付けない程、ハルカちゃんは焦っていた。


「今はそんな場合じゃないの! ああ気持ち悪い! マナ、早く口を洗ってきて!」


「答えて……ハルカ……どういつもりなの……!」


「くっ」


 返答に窮するハルカちゃんを見て、マナちゃんは動こうとしない。


 親友二人は、ボクとユキがたまにそうしていたように真っすぐ見つめ合い、お互いの心中を測り合った。


 しばらくして、ハルカちゃんが目を――真っ黒だけど何となくわかる――反らす。


「……もういい……」


 もう完全にマナちゃんの心が離れているのを察したのだろう、その言葉には深い失望があった。


 それからの変化はあっという間に起きる。


 ザザッ、ザザッ!


 何かが軋む大きな音。

 シルエットの輪郭、そのエッジが急速にあらくなる。



、こんなの!」



 と、叫ぶと同時にグニャリとシルエットが歪み、保育園児の作る粘土人形みたいに不格好ぶかっこうな形になった。


「もうハルカ一人でいい! !」


 ブクブクとシルエットは更に形を崩しながら肥大していく。

 マナちゃんと繋いだ手だけが小さいまま、ニューンと伸びて本体と繋がっていた。


 シルエットが校舎に近い程の背の丈になった時、新たな変化が起きる。


「あ」


 と、何か靴で小石を踏んだ時のような声を出し、ハルカちゃんの動きが止まった。


「ああっ、ウワアッ!」


 明らかな動揺と共に、彼女の体は人形ひとがたさえ失い、何かドロドロした小山みたいになった。

 その後は体の一部をブルブル伸縮しんしゅくするだけ。辺りの机がぶっ飛んで大きな騒音になる。


 力を独り占めにしようと無茶をし過ぎた結果だ。




 ボクはようやく立ち上がって、マナちゃんの元に近寄る。

 彼女は机から落ちた時と同じように仰向けに倒れていた。


「……もう最悪……全部ミハルちゃんのせいだから……」


 ボクを見るなり悪態あくたいを付いてくるので、思わず笑ってしまう。


「そうだよ、ボクのせい」


 これまでも、これからのことも。


 ボクは彼女の右側に膝を付いて座った。


「ボク、結構悪い子になっちゃったんだ」


 マナちゃんは鼻先で笑い飛ばす。


「ミハルちゃんぐらいで悪いんなら……マナ地獄墜ち確定じゃん……」


 マナちゃんの右手と、ハルカちゃんのを見る。

 マナちゃんの白い指と黒いマナラクは複雑に絡み、べっとりと癒着ゆちゃくしていた。


「地獄の基準って厳しいらしいから、意外と友達みんないると思うよ?」


 軽口を叩きながら、指と繋がるマナラクの、なるべく細い所を包丁で突く。

 キンッと硬質な音。

 包丁は跳ね返って、手がジーンと痺れる。


 やっぱりダメか。


「ま、安心してよ。地獄行ってもボクが守ってあげるから」


「……ミハルちゃんが? 今だってヘナチョコじゃん……」


「そんなことないよ!」


 吹き出す彼女にボクは右手を曲げて存在しない力こぶを作ってみせる。

 一層ウケたようで、彼女は左手の甲で口を覆った。


「でも本当にボク、強くなったんだよ?」


「……そうみたいだね」


 優しげな呟き。

 初めて彼女にちゃんと認めてもらえた気がした。


「背も伸びたしね」


「それは盛り過ぎ」


「違うよ!」


 彼女の右手の指先とマナラクの癒着部の間を撫でながら喋る。


「ボク達は学校で学んで、どんどん大きく強くなるんだ。マナちゃんだってこの一年で大きく強くなって、こんな大きなこと仕出かしたんじゃないか。ボクだってそうだよ、一日会わなきゃ別人だ」


「そういうことにしとこうか」


 喋りながら、それぞれの指の、繋ぎ目近くの関節部をよく確かめた。

 ボクは手を離し、包丁を握りしめる。

 関節を狙うと簡単に切れるのは、調理実習で学んだこと。


 深呼吸。


「……ちょっと待って、何する気?」


 何かを感じたマナちゃんが問う。



 彼女の眼を見ようとして、少し意識が遠のいた。


 ぐぇあ……とならないように頭をブンブン振ってから、答える。



「これからマナラクとマナちゃんを切り離す――指ごと」


「嘘でしょ?」


 既に白いマナちゃんの顔がさらに白くなった。


「他に無いんだ。マナラクはマナちゃんの体を捧げることで成り立っていた。おハナシは捨てられたけど、まだ君の体の中には残ってるから、どうしても一部は犠牲にしないと辻褄つじつまが合わない……んだと思う。どっちにしろ、ハルカちゃんが力を持ってった今だけがチャンスなんだ」


 言いながら、また気絶しそうになる。

 刺されたせいじゃない。


『貴方は勘違いしている。貴方がすぐ気絶してしまうのは』


 うーみんさんの言葉が脳裏を過る。


 そうだ。

 ボクが気絶するのは、自分が傷付くのが怖いからではなかった。


「ちょっと待ってよ、そんな適当な理屈で……本当に正しいの?」


、でもこれ以外に思いつかない」


 ボクが怖かったのは、他人を傷付けること。


「他に、方法が……!」


「考えている間にハルカちゃんが力を自分の物にするかもしれない。ボクも刺されてるし、マナラクに全身浸食されているから、いつ動けなくなってもおかしくない。これ以外に無いんだ」


 本当はずっと前から、わかっていた。

 自分の弱さの陰に隠し、眼を背けていた自分の強さ。

 自分が関わることで、誰かを傷付けてしまうことが怖くて気絶してきた。


「止めて……ミハルちゃん、お願い……こんなの……!」


 マナちゃんは左手を伸ばしボクを押し除けようとするが、うまく行かない。


 汗で滑らないよう包丁を強く握りしめる。


 この力。

 どんどん大きく強くなっていく力が自分のモノだと受け入れ、行使する覚悟を決める。


「マナちゃん。ボクね、決めたんだ」


 それは正しいこと。


「大事なモノは誰かを傷付けてでも守らなきゃいけないって」


 右手も引っ張って引き抜こうとしているがそんなの無駄だ。

 やがて、彼女はすすり泣きを始める。


「こんなの……間違ってる……」




 包丁の刃を人差し指の第二関節に当て、プツリと血の玉が湧いた。

 絶叫ぜっきょう











 ボク達は学校で学んで、どんどん大きく強くなる。


 小学生の頃、道徳の時間に部落差別について習った。

 すぐにいじめられっ子のあだ名がエタになった。


 ボク達は学校で学んで、どんどん大きく強くなる。


 中学生に上がってキャリアの概念がいねんを知り、職場体験に行った。

 父親が介護士や清掃員の子が馬鹿にされるようになった。


 ボク達は学校で学んで、どんどん大きく強くなる。


 どんどん、どんどん、大きく強くなっていく。


 先生は前に言っていた。

 『仲間と仲良くして助け合って、間違いがあればお互い正し合う、そのやり方を学ぶのが学校だ』と。


 それなのに毎日、誰かを傷付ける方法ばかり上手くなっていく。

 毎日、大きくなった肩で大好きな誰かを突き飛ばせるようになっていく。

 毎日、強くなった足で愛する誰かの大切なものを踏み潰せるようになっていく。


 怖くて堪らない。


 ボク達、何になろうとしているの?

 ボク達、毎日何の練習をさせられているの?




 ホラー恐怖の練習。




 怖い、怖い、怖い。


 この練習の先、学校を出て社会に出て、その先で何をしてしまうのか。


 そんなことをしてしまうぐらいなら、いっそ――。






 ずっとそう思っていた。

 マナちゃんを愛おしいと思うまでは。












 切り離した五つの肉片を地面にまとめていると、急にそれらが浮かび出す。

 顔を上げると、指はくっついたままのマナラクに引っ張られて、本体の方に飛んで行った。


 その行き先を目で追うと、空中にハルカちゃんのシルエットが浮かんでいた。

 さっきまでの醜い姿ではなく、元の少女の形。


 漆黒の口元がギパリと裂け、更に黒い口中から魅力的な声が飛び出す。


「アハハハ! やった! ついにやった!!」


 そう高らかに笑うのに合わせて、校舎中のガラスが砕け散った。

 どうも完全にマナラクの力をコントロールできるようになったみたい。


「オモシロイ! オモシロイヨ、ミハルちゃん!!」


 ボクは、散々叫んでもがいて気を失ったマナちゃんと、じっとり赤く染まった自分のコートを見る。

 抱えて逃げるのは絶対無理。


 これは…………どうするか。


 悩み始めたその時だった。



「……お前!」


 不意にハルカちゃんが上を見て鋭く叫ぶ。

 これまでボクに向けてきたのとは比にならないような憎悪だ。



 そして、瞬間、空に白い光が現れ、こちらに降り注ぐ――







 同刻。

 マタイ塚で。


「どうしてそれを早く言わなかったの!?」


 ユキエは初めてトッコに怒鳴られて面食らった。

 周りの男達――コイトとかいう青年が戻ってきて説得中――も思わずこちらを見てくるような剣幕。


 別に変なことを話したつもりはなかった。

 これまで勢いに任せて伝えてなかった細かい事情、テニス部であったこと、輪ゴムの妖怪や、後はソコツネクラスタのことを掻い摘んで説明しただけ。


 それなのにトッコは顔面を青くしたり赤くしたりして、最終的にガタガタ震え出した。


「アイツラ、何てことを……!」


「ど、どうしたの、トッコ?」


「全部、!」


「え?」


 自分の肩を抱えて彼女は、途切れ途切れに喋り出す。


「塚の力も、ア、アイツラのやろうとしたことも、わ、私の使う術も、ぜ、全部のモノ!」


「な、なに、どういうこと? わかるように言ってよ!」


「わ、わかることなんてない! 全部デタラメなの! のやることなすこと、全部デタラメ! あれ程の力を持ちながら、マタイ塚にほとんど全部置いていきやがった! アイツラの計画も、本当はの力を使って、に喧嘩を売る為のモノ! 爪に関する術や呪いも全部が気まぐれで作った!」


「落ち着いて、トッコ! って誰!?」


「笑ってた……」


 半狂乱のトッコはユキエの肩に縋りついた。


「小学校の頃、私達を……戦うしかない状況に追いやって、泣きながら爪を剥がすのを見て、はゲラゲラ笑ってた……。散々もてあそんだあと、玉小タマショーのみんなは私以外全員記憶を消された……今度も全部メチャクチャにされる!」


 幼馴染ならどうしただろうか、ユキエは掛ける言葉が見つからない。


「モ、モロズミさんもた、タダじゃすまない……!」


 それを最後にわっと泣き出すトッコをただ抱き留めた。







だ……」


 不意にマナちゃんの呟き。

 鼻を突く強烈なに意識を取り戻したようだ。


 冬に消臭されていた空間が、今や温泉地と勘違いしそうなほど硫黄臭い。

 それはボクらの目の前に現れたモノから漂ってくる。


 突然やってきた白い光は地面に降り立つと、またたく間に人形ひとがたを取った。

 ボクらに背を向ける形だけど、その姿を見ればすぐにそれが何なのかわかる。


 、ここで来たか。

 ずっとこの辺りに張り付いていたのだろう、最高のタイミングを狙って。

 本当はこうなる前に逃げ出すつもりだったのに。


「オマエ……! やっと現れたな!」


 真っ黒のハルカちゃんはを睨み、唸るように言った。

 それだけで仰け反りそうになるほどの圧力を感じる。

 しかし、は全く動じない。


「やっぱり……そうだったんだ、ハルカ……」


 左手で目を覆いながらマナちゃんが独りごちる。


「そもそもハルカが飛び降りたのも、頑固で言うことを聞かないヤマダから、いつも一人ぼっちのにターゲットを変えたからだったもんね……」


「お前ノセいで……!」


 ハルカちゃんは憎しみと怒りをにぶつける。

 それは実際に無数の黒いくいとなって放たれた。


 は避けもせずただ立つだけ。

 だが、高速で飛び出した杭達はまさに突き刺さろうとする寸前で霧散むさんした。

 音も無く、易々やすやすと。


「自分が生きてるのか死んでるノカわかラナクなって!」


 ハルカちゃんはそれを見て更に憎悪と赫怒かくどに狂い。


「何しててもオモシロク無くナッた……!」


 両手を大きく上げ、大きな蛇のような形に変わり果てた。


「ハルカは、私ハ……オマエを……!」


 目もうろこも無い、巨大な口だけがあって、一回りで中庭全体を渡せるぐらい大きい大きいサイズ。


「お前ヲ倒シて私の死を取り戻ス!!」


 そんな大蛇があぎとを振り乱し、に襲い掛かった。


 しかし。



 音も無く。

 音も無く、ハルカちゃんは砕け散った。


 それはの頭上に牙が掛かった間際のこと。

 まばたきする間も無かった。


 後には黒い粒子が飛び散るだけ。



 マナラクも、塚の力も、これで全てが無に帰した。



「ハルカは、に勝ちたいだけだったんだね……」


 諦観ていかんに満ちたマナちゃんの声。

 ボクが抱き上げても、一切抵抗しない。



 はくるりと背を向け、こちらを見た。

 そして、やってくる。


 万策ばんさくきた。

 マナちゃんを隠すように抱え込み、ボクはに話しかける。



「君にそんなことする義理は無いのはよくわかってる……本当にごめん……でも」



 できるのはもういのちいだけ。



「お願い……マナちゃんだけは見逃して……」



 頭を下げ、必死で祈っていると、いつまでも何も起きなかった。

 ボクは恐る恐る顔を上げる。


 しゃがみ込むの顔が目の前にあった。



 目も鼻も耳も無い、真っ白。

 ツラは真っ白で、何も無い。



 何故真っ白なのか。

 その意味がわかって、ボクは。







 ぐぇあ。




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