33. ラストバトルのテンションってわかんね~~




 戻ってきた東中トーチューは一目で何か違う迫力があった。

 深夜の学校はただでさえ暗くて不気味なものだが、そこに何だか文化祭の日みたいな賑やかな活気が加わっていて、ただただ異常な雰囲気。


 だから、入口の、校舎や駐車場に至る太い道の前で、コイトさんとは別れることにした。


「コイトさん、ありがとうございました。お金も後で返しますね」


 頭を下げてジムニーを降りると、何故か彼まで降りてくる。


「一人で行くだ?」


 と、なまって聞いてきた、その気遣いにもう一度頭を下げた。


「ありがとうございます。東中は関係者以外立ち入り禁止なので」


 彼は少しの間、指を組んでモジモジしていたが、結局首を振る。


「俺も卒業生なんだけどな……ま、役に立ててよかったよ」


 と、しみじみ呟き、車に戻ろうとする背中に声を掛けた。


「じゃ、次は塚に戻って他の人達と警察へ行き、何しようとして何したか、余罪ヨザイなどあれば自白してきてください」


「え」


「当たり前でしょ。塚に放り込んだのは悪かったですけど、ボクは貴方に抱き着かれてすごく怖い思いしたんですからね。まあ全部未遂みすいで証拠もあんまり無いし、追い返されるだけかもしれませんが」


「え、えー、でも……」


 しょんぼりと眉を下げ、さっきよりも更に長い間モジモジしたが、結局コイトさんはガックリ肩を落とす。


「わかったよ……」


 と、答えて車に入り、発進させた。



 彼は本当に塚に戻り警察に行けるのだろうか、少し考える。

 行けるといいなと思いながら、雪をどっさり載せて走るジムニーを見送った。







 昇降口は、開いている。

 施錠せじょうどころか、昼間と同じように扉が開け放たれていた。


 別にコソコソする必要はない。

 正面から入る。


 人気ひとけ

 見られている感覚があった。

 でも、蛇達は一匹もいない。


 目に付いた下駄箱の一つを開ける。

 履き古したスニーカーが入っていた。

 他の生徒の下駄箱も幾つか開けてみたけど、やはり外履きがある。

 わかった、この異常な空気の理由が。


 みんな、まだ下校していない。


 直感でスマホの灯りを前の方、中庭のテニスコートへ続くガラス戸に向ける。


 思った通り、そこにみんながいた。


 雪の残るコンクリートの上に所狭しと並んだ机と椅子。向きはバラバラ。

 みんなは背筋を伸ばして席に着いていた。生徒も、先生も全員。

 全員、プルプル凍えながら、でもそれ以上動くことはできないようだ。


 コートの中央には、シャープな形のジャングルジムみたいになった山積みの机。

 その四、五メートルはある頂上に誰かがいる。

 間違いなく、マナちゃん――に憑りついたハルカちゃんだ。


 不意に全校の蛍光灯――廊下も教室も――が点く。

 いきなりきらびやかになったので、目が痛い。

 でも、慣れてくるとテニスコートの様子が良く見えた。


 舞台を整えてくれた、ということだろう。


 逃げも隠れもせずガラス戸を開け、中に入った。




「感謝してるよ、ミハルちゃんには」


 机の頂上に直に座るハルカちゃんは、言葉と逆に実に不機嫌な口ぶり。


 彼女が右手を掲げると、その辺りに黒い泥みたいな塊が現れる。

 その塊からは、マタイ塚に溜まっていたのと同じ禍々しい感じを覚えた。

 塊は不定形にドロドロ揺れながら増量していき、やがてドロリと零れるように地面に落ちて、プルプル揺れている。


 これは、マナラク。

 マナラクはもう蛇の形を取るのを止めたんだ。


「蛇に足はいらない。ハルカのも、御柱や生贄なんて、そんなまだるっこしいハナシはいらない。があって、みんなはその言いなり。それで十分面白いってわかったから。ありがとうね」


なんてないし、面白がってるのはハルカちゃんだけだよ」


 ボクの指摘してきに、ハルカちゃんの憑りつくマナちゃんの顔が一層憎しみに歪む。


「自分のしていることがわかってるの? 情けなくて何にもできないミハルちゃん達に、正しいことができるわけない。だからハルカが面白くして導いてあげてるのに」


「ボクは情けなくて何にもできないかもしれないけど、ハルカちゃんが間違ってることはわかるよ。だから正すんだ、真実によって」


 地面のマナラクは徐々にサイドに広がっていき、小波となってこちらに押し寄せてきた。


「真実? そんな人の数だけあるものに頼っても、何の力にもならない!」


「いいや、人の数だけあるから何よりも強いんだ」


「ふっ、何それ? 現実に目を背け、親友を見捨てた卑怯者が何を言ってるの!」


 嘲笑するハルカちゃん。

 ボクも笑みで返した。


「そうだね、ボクは間違えた。大人達の言ったようにみんなが傷付かないようにしたくて、あの時何もしないことを選んだ。でもそれは本当は怖さの前にくずおれただけで、結局大事なモノも、みんなも傷付けた。その後も、誰も正解を教えてくれなくて、間違え続けた。でも、やっとわかった。自分で気付かなきゃいけないことだったんだ、は」


 そう言いながら、包丁を持ち上げ、ハルカちゃんに差し向ける。

 すると、眼前に迫るマナラクが急激に丈を伸ばした。

 人一人平然と飲み込むぐらいになってボクに襲い掛かる。


 ボクは真っ向から立ち向かった。


「――大事なモノは誰かを傷付けてでも守らなきゃいけないって!」



 バシャー!!



「うわーっ!!」


 波をもろに被って、ボクはひっくり返った。

 コンクリートを転がりながら、マナラクにもみくちゃにされる。

 わっ、鼻に、鼻に入った!!


「ゲホゲホッ!!」


 全身に黒い悪いモノが侵入してくる。

 ドクドクとそれらが脈を打つのを感じた。

 痛みというよりはそれらで肌が引っ張られるようなおぞましさがある。


 でも、それほど苦しくはない。

 波の勢いが弱まったところで手を付いて立ち上がる。


「オエッ、オエッ……ハルカちゃん! 誰かを思い通りにする為に力を振るうのは良くないことだよ!」


 彼女は無言で舌打ちをした。

 だが、その顔に意外さは一切ない。

 今のでボクがやられるなんてあっちも思っていなかっただろう。


 当然だ、塚でボクがやったことは向こうに筒抜つつぬけ。

 こちらの手の内はバレている。

 蛇や力で支配した人みたいなの攻撃なんてボクには効かない。だから、こうやって不定形にしてぶつけるのが、彼女にできるマナラクの精一杯の使い方。

 それだってこの程度にしかならない。

 長期的にはともかく、今ボクを止めることはできないのだ。


 かと言って、別にボクも何か強いビームとかが出せるわけではない。

 ハルカちゃんも当然そのつもりで用意してきただろう。

 つまり、目に見える何かでドンパチやる段階はもう終わり。



 ここからは真実と虚偽きょぎの戦いだ。



「恐怖に屈し、親友を見捨て、間違い続けてきたミハルちゃんが、どの面下げて正義ぶるの。また怖気づいて周りに流されるだけでしょう?」


 ハルカちゃんは足を組み替え、再びボクを嘲け笑う。


「違うよ!」


 ボクはそう叫びながら、手近な机に上った。


「本当にそうなのか、教えてあげる! 今から――」


 その瞬間。

 ザッと音を立て中庭中の人間の首がこちらに向けられる。



 ボクは、みんながボクを見ているのを見た。



 突然首を動かされて驚き、


 『早く終わりにしてくれ』と寒さに震え、


 『お前が余計なことをしたから』と怒り、


 『早くお前も俺達と同じ目に遭え』と憎しみ、


 『いや、もっと惨めで無様に苦しむ羽目になれ』と期待し、


 みんながボクを見ていた。



 顔を上げると、ハルカちゃんが“圧”のある笑顔をボクに向けている。



「わかる? みんな、ミハルちゃんに迷惑してるよ」




 ――怖い。




 ボクは深呼吸を一度。

 右手の包丁の柄をギュッと握りしめた。



「――今からそっちに行くね!」


 走り出す。


 ほとんど隙間なく並んだ机から机を飛ぶようにまたいで渡った。


 知っている子も、知らない子も、先生達も、みんなボクを迷惑そうに見上げている。

 でも気にならない。

 それより机から落っこちないか、そっちの方が心配だった。


 ハルカちゃんはまた舌打ち。

 でも、何もせず、フラフラ立ち上がってボクが来るのを待ち受ける。


 数十秒で彼女の座る机のジャングルジムに辿り着いた。

 これを登るのは骨が折れそう。

 よし、なら崩すか。


 ジャングルジムの一番端の机をまず蹴り飛ばす。

 それから間の机も幾つも引き抜いた。すごく力が要ったけど、火事場の馬鹿力というんだろうか、案外簡単。

 ダメ押しにもう一度蹴ると、グラグラと揺れ、机達は崩れ出した。


 頂上の彼女がフラリと頭から落ちていく――。



 ガシャゴシャガシャア!!



 ものすごい音がして、机が辺り一面に転がっていく。

 何個かみんなに当たったりしているけど、怪我している子はいないようだ。



 一人を除いて。



 ボクの目の前に一人の女子生徒が仰向けに倒れていた。

 薄暗いけど、頭の一部が奇妙に凹み、髪がじっとり湿っているのがわかる。

 血だ。どんどん雪を赤く染めていく。

 彼女の首もおかしかった。変な角度に曲がっている。

 その目は見開かれたままうつろで、目蓋はピクリともしない。


 駆け寄って包丁をその場に置き、その子を抱き起こす。

 よく見なくてもマナちゃんだった。


「ミハルちゃんのせいだね」


 どこかから声。


「ミハルちゃんがまた間違えた」


 ボクを責める。


「ミハルちゃんが考え無しにやったせいで、マナが死んじゃった」


 抱える彼女の身体はとても冷たい。

 死人の冷たさだ。


「どうやって責任を取るの?」


 クスクス……。




 笑い声。


 みんなの視線。


 だらりと弛緩しかんしたマナちゃんの重さ。




 ――怖い。




 ボクはフーと息を吐き、口を開く。


「マナラクの本体のマナちゃんを、ハルカちゃんが死なせるわけないよ」


 そう言うや否や、マナちゃんの頭と首は復元されて元通り。

 いつもの悪戯っぽい目をこちらに向けてきた。




「それはどうかな?」




 彼女は跳ねるように身を起こし、ボクが傍らに置いた包丁を取り上げる。

 右手で握り、その切っ先は自分の左の手首へ直進した。


 あっ














「当たりでしたー」




 ハルカちゃんは倒れ伏したボクをわらい、包丁を投げ捨てる。


 咄嗟に刃と手首の間に身を入れ、下腹をサクサク三度刺された。

 コートの隙間を狙われて、痛みはタナカの時の比じゃない。


 愚かな選択をした自覚はある。

 自分の言ったことを信じるべきだった。

 このまま何も為せず死ぬかもしれない、そんな想像が頭を過って離れない。




 ――怖い。




 でも、

 ユキの時には怖くてできなかったこと。

 今度は間違えなかった。


 だから、まだ負けじゃない。



 お腹を抑えながら立ち上がる。

 血と言うより、熱さが、温度が零れ落ちていく感覚がして抑えずにはいられなかった。



「も、もう……ひどいじゃないか」


「まだやるのぉ」


 ハルカちゃんは笑みを浮かべたままだけど、内心焦っているはず。


「やるよ。まだ真実を伝えてない」


 みんなの目、罪悪感、痛み。

 ボクを恐怖に屈させようとして、どれも上手く行かなかった。


「真実? だから、そんなものに何の意味があるのと言うの?」


 彼女は高らかに問う。

 ボクが失血で気絶するまで時間稼ぎをする方針かな。



 ハルカちゃんがボクを直接殺すことはできない。

 恐怖で屈服させることがマナラクの意義。

 ただでさえ諏訪信仰というハナシを失っているのだ。そこから意義を失ったら本当に力をコントロールできなくなるだろう。


 もう手も足も出なくて、使えるのは口だけ。

 ボクを排除するのに今彼女は必死。

 そこに付け入る隙が生まれる。



「人が言葉にした真実なんて意味はないの。ハルカ達には理解し得ないらの存在だけが、そこから感じられる恐怖だけが確かなもの」


「いいや。異次元の穴、名前を奪う塚、呪い、妖怪……らなんてのは、まだ幼いボクらが知らなかったからビビってるだけ。知ってさえしまえば、その恐ろしさに屈しさえしなければ、どうとでもできる。クラスタのみんながその使い方を試して、学んで、喧嘩に使ったようにね。ハルカちゃん幽霊だってそうだよ」


「何が言いたいの?」


「ハルカちゃん、君はまだ死んでいない」


 彼女のニヤケ面に初めて動揺が走った。


「teilor、アルガ先生が調べてたんだ。大怪我はしたけど、今は遠くで普通に中学生やってるって。別に後遺症もなく、友達も多いって。どうやってるのかは知らない、まあ多分が君自身の力なんだろうけど……幽霊のフリをしているだけだ」


「だから何だって言うの!?」


 歯を振り乱して恫喝どうかつするハルカちゃんを無視して、周りに叫ぶ。


「ハルカちゃんは死んでない!」


「止めなさい!」


「マナラクの力も自分のモノじゃない! ただの人間がになったフリをしているだけだ! つまんない仕組みで、怖くもない!」


「黙れ!」


 少しの静になり。

 やがて、衣擦れの音。

 みんなが困惑して、身動みじろぎしているのだ。

 それはマナラクの拘束が解け始めているという意味。


 怒鳴って息を荒くしていたハルカちゃんは、しかし、すぐに笑顔を取り戻す。


「なーんてね」


 フフッと鼻を掻いた。


「そんな誇らしげに言っても、この程度。ほとんどの連中には今の会話の意味はわからないもの」


「そうだね」


 ボクは素直に肯定する。

 今の曝露ばくろの目的はそこじゃない。


「それで、次はどうするの? ハルカの秘密をちょこちょこ言ってまた『これが真実だ~』って大声で叫ぶの? バカみたい」


「別に真実の示し方は言葉だけじゃないよ」


 ボクはハルカちゃんに向かって歩き出す。


 彼女は一瞬体をビクリと震わせたが、敢えて仁王立ちで待ち構えた。

 ここで逃げたらビビってることになるからね。


 とは言え、カッコつけたけど、こっちも大声上げたせいでヨロヨロだ。

 傷も大分痛んで、ほんの数メートルの道のりが随分長い。


「ちょっと、いつまで掛かるの?」


 長過ぎてハルカちゃんが口を挟んできた。


「もう諦めたら? ミハルちゃんは確かに力を付けて、まあまあ頑張ったけど、ここまでだよ」


「そんなこと、無い……」


「真実なんて大層なもの、ミハルちゃんに扱えるわけ無いでしょ。弱くて愚かな貴方は何?」


 萎えそうな足を奮い立たせて、踏み出した。


「ボクは。確かに、弱くて、愚かだ。何度も間違え、恐怖にこうべたれあしだけど……」


 やっと目の前に来たマナちゃんの身体。

 その両肩に手を付いて支えにした。


「何が正しいかはいつもボクらが決めてきた。だからボクたちは強い……!」


「あっそ、面白いね」


 ハルカちゃんは呆れた半目でボクを見下ろす。

 覚悟を決めようとお腹に力を入れて、ドクドク痛んで少し喘いだ。


 視界が少し白んで、チカチカする。

 でも、やらなくちゃ。


 息を吸って、喋り始める。


「ハルカちゃん。君は傷付き飛び降りても、結局、面白さで誰かを傷付け、排除しようとするのを止めなかった。誰の言葉にも耳を貸さず、親友さえ利用した。それは間違ったことだ。もしかしたら、君を含めて全員救う手段があるのかもしれない。でも、今現実に君を何とかできるのはボクだけで、これ以外の手段は持っていない。だから、大事なモノを守る為に、ボクも君を排除し、その責任を負う覚悟を決めた。君はもう、みんなじゃ、ない」


「ふーん、で?」


 カスカスの声で必死に並べた口上にも彼女は素っ気ない。


 ボクはガクガク揺れる両目で、マナちゃんの顔を見据えた。




 そして、その青白い唇にキスをする。




 半目だった彼女の眼が驚愕に開かれた。

 その混乱に乗じて、たっぷり十秒間。

 それから、唇を離し、ボクは彼女の耳元に囁く。


「ハルカちゃん……物凄く重いピーナッツアレルギーだったよね?」


 ボクが口の中に移したに気付くと、彼女の顔面が朱に染まり――




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