らしくあるために

くれそん

第1話

 廊下を早足で歩く。


「陛下、大丈夫ですか」


 政務の途中で倒れたと聞いて来てみれば、机で書き物をする姿が映る。思ったよりも元気そうじゃないか。心配して損した気分だ。


「おお、ユリウス。そんなに急いでどうした」


「陛下が倒れたと聞きましたもので……」


「はっはっは、ほれこの通りピンピンしているぞ」


 兄上は腕を動かして見せる。大丈夫かと思ったが、顔色は優れない。どうやら倒れたというのは嘘ではないらしい。


「もう少し休んでいたほうがいいのではないでしょうか?」


「最近は、野盗の頻発や国境情勢の不安などの懸案事項が多すぎる。ゆっくり休んでいる暇はないさ」


「しかし……」


「それより、噂で聞いたぞ。メイドの一人にだいぶ入れ込んでいるそうじゃないか。もう身重なんじゃないかという話も聞くぞ」


「それは……」


「私のことは気にするな。ユリウスもすべきことが多かろう。例えば、婦長に小言を言ったりとかな。こんなところにいるよりは、件のメイドのもとにでも行ってしまえ」


 ひとしきり愉快そうに笑った後、視線を机に戻した。これ以上話すことはない。そういうことだろう。これ以上言葉を重ねることもできず、部屋を後にする。兄上は勝手だ。庶子である我が身を拾い上げてくれたことには感謝しているが、からかい癖が過ぎる。


「それでこちらにいらっしゃったのですか?」


「そう言うな。苦労も多かろうと婦長に申し付けておこうと思ったのだ」


「あら、お優しいことで」


 クスリと笑う。二人とも愉快そうにして。そんなに面白いことでもないだろう。我が子の心配をするのは親として当然のことだろう。いや、兄上にはそんなことは言えないか。


「最近体調がすぐれないだけですよ。皆さんの噂好きも困りものですね」


「そうだとしても、大事をとったほうがいいのではないか?」


「ふふ、仕事は好きですから。それとも、こんなかよわい女から生きる意味まで取り上げるんですか?」


「そこまでのことか?」


「そこまでですよ」


 刹那、真剣な顔をして見せた後に、相好を崩した。


「ユリウス様が心配して訪ねてきてくれるのは嬉しいですけどね」


「部屋に籠ることが増えたと聞けば、心配にもなるさ」


「あらあら。そこまで思ってくださるとは」


 感激って顔をした後、いたずらっぽく微笑む。実に顔芸が達者だ。


「そろそろお戻りになられたほうがいいのではないですか? 陛下のおっしゃるようにユリウス様もご多忙でしょう? 内政全般を取り仕切っておられるのですから」


「そんなことは……」


 言葉を遮って扉が乱暴に開かれる。もう来たのか。


「ユリウス殿探しましたよ。さあ早くお戻りに」


「待て……くっ……メアリーまた来る」


「楽しみにしております。ガリウス様もお気をつけて」


「メアリーさんも体に障らぬほどに……」


「あらまあ」


 こんな堅物のガリウスまで知っているのか。噂とやらがどこまで広がっているか考えたくもない。


 執務室で体を伸ばす。ガリウスの奴が監視してるから席を立つこともできなかった。誰だこんなに仕事を増やしているのは……兄上か。だが、本当に情勢不安が過ぎる。野盗どもが軍の巡回路を外して襲ってくるし、国境の小競り合いもそれに呼応するかのような動きなのが気になる。そう言っても、呼応しているように見えるくらい野盗どもが暴れまわっているからなのだが。こいつらを潰さぬことには、租税もままならぬ村が出てきかねない。


 ガリウスがうたた寝したすきに、執務室を出てきた。奴も疲れがたまっておろう。寝かせといてやる。仕事は……メアリーのもとを出てからな。


 メアリーの部屋の前で立ち止まる。こんな時間だ、もう寝てしまっているだろうか。いつもより扉に一歩近づく。何か聞こえる。


 一方はメアリーだが、もう一方は聞かない声だ。男のようにも女のようにも聞こえる。耳を澄ます。


「今度は王都から南方だそうで」


「北に行けということか」


「いえ、そろそろ統制できない部隊も出てくるかと思いまして」


「なるほど。使えぬ連中を囮にして正規軍に奇襲を仕掛けろということか」


「多少とも……」


 まさか……思わず扉を押し開けてしまった。


「あら、ユリウス様。今日はノックはなしですか?」


 どこをどう見ても、通信できるものはない。いつもの部屋だ。しかし、あの声は気のせいだということか。そんなはずは……。いや、しかし。


「ガリウスが離してくれなくてな」


「ガリウス様が羨ましいですわ」


 ふふっと笑うメアリーはあまりにも普段通りで、先ほどまでの冷淡な声が嘘のようだ。聞いたこともないメアリーの声が頭をちらつくばかりで、その日はすぐに部屋を後にした。


「ガリウス、頼みがある」


「なんでしょう? ユリウス殿が頼みとは珍しい」


「アレを呼び戻してくれ」


「なるほど。わかりました」


 まさか、間諜を王宮に放つことになるとは。身元の確かさと貴族の派閥を考慮して配置していたが、完璧とはいかないということか。婦長と執事長にも話を通しておこう。面倒なことになるぞ。


 彼らに仕事を託してからもう半年になる。その間怪しい動きをしていた者はいない。本命のメアリーはどこも変わった様子がない。だんだんとあの夜のことは幻であった気がする。この間にも野盗どもは正確に弱みを突いてくる。こちらの動向を把握していることは確かだが、メアリーが指示を出しているとはとても思えない。どうなっている。


「ユリウス様は最近ますます難しい顔をなさいますね」


「野盗どもが我が物顔で暴れているのでな。将軍たちも頭を悩ませているよ」


「そうですね。領地も近いですから父様も悩まされています」


 そろそろ臨月も近い。領地で静養することになるから心配なのだろう。そう思いたい。現状疑う要素はあの夜の声だけだ。彼女の家は私も知っている。それほど大きくはないが、評判も悪くなく兄上への忠誠心も篤い。養女ではあるが、かなり幼いころにあそこに入ったはずだ。これで他国の間諜だったら……。


「しばらく戻ることになるのか」


「ええ、母様たちもそのほうが安心でしょう。それに、ユリウス様に恥ずかしい姿を見せたくないですから」


 頬を染めてうつむく。どうしようもなくかわいらしい。これを演技でやっているならお手上げだ。だが、不安が顔を見せる。


「しばらく体を労わらなければだめだぞ」


「ええ、この時期にダメになることも多いそうですからね」


 それから数日後、メアリーは王宮を去った。兄上にからかい半分励まし半分で寝室に呼びつけられること以外は変わったこともない。いや、ガリウスがまじめに仕事をやる気になったんだなとうるさかったか。巡回路を不規則にしてみたりしたが、相変わらず野盗どもの動きは正確だ。憎らしいくらいに。


 およそ二月後、メアリーが戻ってきた。おなかはすっかり引っ込んで、戻った日には仕事をこなしていた。たいしたものだ。


「ふふ、見てください。目元なんてそっくりですよ」


「口元は君に似ているな」


 ああ、可愛い。男にこんなことを言うのはあれだが、かわいらしすぎる。目に入れても痛くないとはこのことか。ああ、兄上はこんな風に子供を抱けないのか。苦労がしのばれる。


「結局、野盗は捕まらないのかと父様が嘆いていました」


「ああ、そのことか。奴らはしばらく放っておくことにした」


「なぜです?」


「ここまで翻弄されたんだ。無理しても仕方ないだろうというのが陛下の見立てだ」


「そうですか……」


「ああ、だが……」


 思わず口を滑らしてしまう。しばらく巡回路は定期のものに戻し、野盗を追い回すのではなく、奪われないように堅牢にするのを優先すること。しかし、最後に少々小細工をすることも。


「それで捕まればいいんですけどね……」


「まあ無理だろう」


 あまりにも当然のようにしゃべってしまった。メアリーが聞き上手といってもこんなことをあまりのも軽々しく話すなんてなかったのに。疲れが溜まっていたことは認めなければないだろう。


 翌日、見事に野盗集団を撃滅したという知らせが王都に届いた。ただの盗賊集団の割には練度が高く、装備の質もよかったことから隣国の兵士である可能性が高いと結論づけられた。


「まだ疑ってらしたのね」


「いや、心から信じていたさ」


「お戯れを」


 本当だ。私はこの作戦についてはほぼ関わっていない。あまりにも時間が経ちすぎて忘れていたが、私自身にも最も優秀な間諜をつけ余計な言動をとったときの采配をガリウスに任せただけだ。あまりにも自然な言葉が、彼女の行動をあぶりだした。疑いの目が行動を慎重にさせ、信頼の目が成功するなんてこれほど皮肉が効いたものもないだろう。


「ねぇ、ユリウス様が玉座を欲していることも知っていますよ。私達に協力すれば、国王の座もおもうがまま」


「しかし……」


「考えてもみてよ。庶子であるのは誰もが知っている。国王には子もいる。この機会がなければ決して玉座には就けない」


 今考えるとあり得ないのだが、彼女の言葉を受けて自室に戻ってしまった。それこそが兄上への裏切りだと気が付いたのは、自室についたときだった。


 翌日、メアリーは何食わぬ顔で働いていた。逃げ出すそぶりも見せない。


「私が捕まっていないってことは、協力してくれるってこと?」


「ああ、私のすべきことが分かった……」


「それじゃ……」


 彼女の首に刃を当てる。玉座は確かに欲しい。しかし、戦乱を自国に招くのは話にならない。庶子であろうと王族であれと生きてきた。兄上への裏切りはまだしも、民の生活すべてを壊して手に入れるものが玉座一つでは割に合わない。


「そんな気がしてた」


「なんで逃げなかった」


「この先も同じことを繰り返さないといけないと気が付いたから。ダメね。誰かを愛してしまったのがすべての失敗よ。できれば痛くないようにね」


「ああ、もちろんだ」


 思いっきり刃を引いた。飛び出す血を眺めながら。これまでのことを

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らしくあるために くれそん @kurezoul

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