アルマナイマ博物誌 海月レースで大穴を

東洋 夏

海月レースで大穴を

「海龍祭、万歳ナポレ!」

バンザ〜イナポレ、ナポーレ!」

 ノテノテ島の湾にはぎっしりとカヌーが浮かんでいる。

 トゥトゥは稲妻号の帆を閉じ、櫂による航行に切り替えた。

 サンゴ礁に囲まれた湾内にカヌーを止めると、サーフボードサイズの、立ち漕ぎ用の超小型カヌーが二艘寄ってくる。

 カヌーには男の子たちが乗っていて、お小遣いをくれれば砂浜まで運んでやろうと言うのだった。

 ふたりは恐らく兄弟だろう。

 外見年齢から考えると、彼らはもうすぐ親元を離れて、成人の儀に挑むために海へ出ていく時期だ。

 こうやって初めて会うセムタムにも臆せず声をかけ、師匠となるべき人物を定めておくのも、早く成人の儀をクリアするためのコツなのだと聞く。

 アムは弟と思しき少年に、お駄賃代わりの釣り針をひとつ渡した。

 セムタム族には貨幣がなく、物々交換で暮らしが成り立つ。

「鮫の歯の釣り針よ。ほら、亀喰い歯だから、かえしが綺麗でしょ。良く釣れるわ」

 アムが言うと、少年は真っ黒に日焼けした顔の中に、真っ白な歯の列を、にっかり笑って輝かせた。

「アエラニ、ええと、ドクター?」

「エポー。そうよ、私がドクター・アム」

 こちらの手を取り、きゃっきゃっと無邪気にはしゃぐ少年の様子に、アムは少々赤面する。

 余所の星からやってきて、セムタム族の成人の儀をクリアした変人。

 セムタム族の成人として唯一、星の外を知る者。

 ドクター・アムの名前は、そのようにセムタム族の間では有名だった。

 はねっかえりで有名な相棒のトゥトゥと共に(こっちは生粋のセムタム族だけれど)、少年少女の間では<冒険と自由>のシンボルマークのようなものになりつつある。

「ドクター、遅れないように行ってね。もう海月競技会キナ・オポラポラ始まっちゃうから」

「もう海月キナ見たの?」

「見たよ。僕は赤が二番目だと思う」

 少年は真剣な顔で言った。



 汎銀河共通語では海龍祭と訳語が当てられるララ・アファラ・モナは、芸術と工芸の奉りまつりであり、海の祀りまつり、恋の祭りでもある。

 三日間に渡って繰り広げられる海龍祭には、お決まりの儀式がある。

 その最初の催しに出遅れてはならじと、アムとトゥトゥは駆け足で会場に向かっていた。

 東の浜から響く鱗銅鑼の音は、あとわずかで参加締め切りの時間だと告げている。

 焦るあまり2メートルの巨体に見合った歩幅のトゥトゥはアムを置いていきそうになり、途中からやむなくアムを抱えて運ぶことにした。

 すべてのイベントに参加してこそ、今年一年の福がもらえるとセムタム族はかたく信じているのである。

 アムももちろん、こんな絶好の取材の機会を逃すつもりはなかった。

 東の浜に着くと既にセムタム族の男女が黒山を成していた。

 色とりどりのベルトで飾ったズミックをおしゃれに着こなし、ラグーンに設えられたいけすの中を見物して回っている。

 浜の一番高いところには大きな木の掲示板が立っており、その下に責任者らしき人々が座り込んでいた。

 アムとトゥトゥは参加票をもらって、さっそく他のセムタム族に倣い、いけすを見て回ることにする。

 海龍祭の始まりは海月競技会キナ・オポラポラ

 九の区画に分けられたいけすのなかには、傘の直径1mほどの巨大な海月キナが一匹づつ浮かんでいる。

 この海月キナと呼ばれる生き物は、地球由来の生物で言うならばクラゲとタコのあいのこという説明が一番わかりやすいだろう。

 見た目は半透明でクラゲにそっくりだが、動きはタコのように自律性があった。

 海月は凪いだ海水よりも流れがある場所を好み、穏やかなラグーンに離すと嫌がって、海に出ていこうとサンゴ礁の切れ目に向かって突進する。

 その性質を利用して、どの海月が速く海に出るかを競う。

 それが海月競技会キナ・オポラポラである。

 参加者は「二番目」にサンゴ礁を乗り越える海月を当てるのだ。

 何故二番目かというと、この祭りで称えられる<海龍の長>アラコファルはこの世に現れた二匹目の龍であるから、というのが理由のひとつ。

 もうひとつの理由は、「一番目」は神の数字であり、被創造物であるセムタム族は「二番目」が相応しいとするものである。

 そんなわけで、

「あのさ、ドク」

「え?」

「その……何で耳に挟んでるわけ」

 アムは右耳に挟んだペンをつまんで言った。

 赤のペンである。

「古代地球の賭け事師はね、耳にペンを挟むのが作法だったの。赤が正式な色」

「あ、そう」

「彼らはペンを挟むことで勝者を見抜く霊感を得ていた、とかなんとか」

 トゥトゥは鼻で笑った。

「ところで、海月のどこを見ればいいわけ?」

「傘の大きさだろ、色つや、足が欠けてねえか、動きが鈍すぎても激しすぎてもいけねえし」

「詳しいのね」

「好きだからな」

 アムはノートにペンを走らせる。

 いけすの水面には、区画ごとに色を塗ったブイが浮かんでいた。

 手前から順に、白・黒・赤・青・黄・緑・橙・桃・紫。

 ふと、湾で迎えに来た少年の言葉を思い出す。

 彼は赤の海月を「二番目」にすると言っていた。

 少年はまだ非成人だから参加はできないが、彼の見立ても参考になるに違いない。

 昔から、賭け事は欲のない者が勝つと言うではないか。

 しかし赤ブイのいけすを覗き込んで、アムはがっかりした。

 赤ブイの海月はどう見ても他の八匹に比べて貧弱だったし、傘の形もおかしい。

 触手だって短くて、やたらとひらひらしているばかりだった。

「赤はねえな」

 トゥトゥが小声で言う。

「最下位当てなら賭けるけどよ」

 アムは頷いた。

 締め切りの鱗銅鑼が三連鳴って、セムタムたちはいけすの周りから離れ、投票を始める。

 浜に建てられた大きな木板は、掛け率を表す掲示板になるようだ。

 もらった参加票の半券に(これも木製なのだが)自分の名前と、ブイの色を書いて提出する。

 掲示板に書かれた色を表す単語の横に、投票した半券が釘で打ち付けられた。

 ずらりと並んだ半券の数が多いほど有力な「二番手」と目されているということである。

 アムとトゥトゥは最後尾に並んでいたから、人気の差が次第についてくるのを見ていた。

 黒が一番人気。

 青が二番人気。

 白が三番人気である。

「これってスタート場所の有利不利とかあるの?」

「俺の見たところ、白に近いほうには海に向かってちょっとだけ流れがある。流れに乗れた方が速いだろ。だからそのそばが人気になってる」

「なるほどね」

 それにしても、赤ブイの海月は人気が無かった。

 トゥトゥの理屈で判断するならば、いけすの順番的には上位人気になるはずである。

 見てくれの悪さがいけないのだろう。

 順番が来て、トゥトゥがまず黒に一票入れた。

 最後の最後がアム。

 受け取り係の前歯が一本抜けたセムタムの老人が、半券を手にする前に、アムの耳を指して言った。

「それは何じゃね」

「幸運のお守り、赤ペンです」

「ははあ、ははあ」

 分かっているのか分かっていないのか、にこにことうなずいた老人は、ようやく手を差し出して言う。

「何色に賭けなさる」

 アムは掲示板を見上げた。

「赤」

 セムタムたちがどよめく。

 赤の文字の横に、たった一枚だけ半券が打ち付けられた。



 セムタム族が固唾をのんで見守る中、ジャーン、と鱗銅鑼が鳴ってスタートが切られた。

 見事なスタートである。

 各海月の触手に括りつけられたブイが水面を動くので、どこにどの海月がいるのかは一目瞭然だ。

 海月競技会キナ・オポラポラの名物男だというセムタムが、大きな声で流れるような実況を始める。

「さあ揃って横一線、見事なスタートです。海流は弱、白番手側に流れています。さあ、その白が速くも流れに乗りました。傘一つ分先に行きます。続いて黒、青、この辺は人気通りです。おおっと大外から紫の海月も速い。流れに向かって切り込んで行きます」

 紫行け行け、の声援が沸く。

 白ブイの海月が速いのは予想通りだが、一番海流から遠い紫ブイの海月が二番手ならば、大穴だ。

 海月競技会キナ・オポラポラの賞品は山分けだから、大穴が当たれば儲けものである。

「あっ、ここで緑と黒が接触です。ブイが……。黒のブイが脱落!」

 あちらこちらで悲鳴が上がった。

 ブイが触手から外れた海月はその時点で失格である。

 まさかの一番人気・黒ブイが早くも消えてしまった。

「先頭は白。白が矢のようにラグーンを目指していきます」

 白に賭けた人々が、誰かかわしていいのに、と呟いている。

「二番手には緑が強引に上がったか。青と並んで二番手。おお、紫も流れに乗ってきたぞ」

 さあ、ラストスパート。

 セムタムたちは拳を振りかざし、各々の賭けた色を叫ぶ。

 ラグーンの切れ目は、やっと海月一匹が通れるほどの幅しかない。

 最後は体格の勝負になるのだろうか。

 そこに、

「ああっ!」

 実況が叫んだ。

「赤が来ました。赤です。いつの間にか緑の前にいる」

 悲鳴の如き歓声が砂浜を揺らす。

「一番手は白、二番手は……」

 ラグーンの切れ目の前に陣取った、カヌーに乗ったゴール判定人が、赤の旗を振った。

 カヌーに乗ったもう一人は、さっと銛を海の下に刺し入れる。

 何を獲ったのだろう。

「ねえトゥトゥ、あの人」

「おいおいおいおい、そんな話してんじゃねえ。勝ったぜドク!」



 赤ブイは、どうやら新種だったらしい。

 他の海月が海面すれすれで争っている中、ブイの浮力を物ともせず沈降して、障害物のない海中を一直線に通ってきたのだろうという。

 少年の直感は正しかったわけだ。

「それで」

「赤ブイだろ。独り占めってのも豪華だよなあ」

 アムの前にはずらりと皿が並んでいる。

 その皿を取り巻くようにセムタムもまた、ずらりと並んでいた。

 賞品はまさかの、赤ブイ使った海月キナ尽くし料理である。

 アムはひらひらした触手を摘まんで、とっくりと見た。

「毒とか……」

「火ィ通ってるから安心しろ」

 銛で突いたのは二番目の海月だったのだ。

 アムは観念して、弾力のある触手を口に入れる。

 意外と美味しかった。


 ◇


 さてこの後から、赤く塗った木の棒を耳に挟むのは、海月競技会(キナ・オポラポラの幸運の作法になったそうな。

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