Symphony No.2

冬野瞠

in E Minor

 十九世紀もいよいよ終わろうかという時分、私は苦悩の真っ只中にいた。簡素な部屋をうろうろしながら窓の外に目をやると、初夏の柔らかな新緑が透明な風に揺れている。窓を開け放てば、朗らかな自然の音楽がさらさらした陽光と共に流れ込んでくるはずだった。しかし、今の私はそれすらも煩わしく、カーテンを引いて景色に背を向けた。

 私の身分は音楽家である。作曲をし、ピアノ演奏をして生活してきた。しかし今、私の根幹の部分が揺らいでいる。どさりと倒れこむようにして椅子に座り、部屋の隅に布をかけられたまま放置されているピアノを眺める。それだけで、胸にちりちりと忌避の感情がくすぶった。自分には音楽しかないとあれほど確信していたのに、鍵盤に触れたいとも思わない。私はこのままぐずぐずと駄目になってしまうのだろうか。それは恐ろしいながら、ひどく現実感のある想像だった。

 私が首都から逃げるように離れ、こんな田舎の地で隠れるように過ごしている理由。ああ、思い出しただけで恥ずかしくて倒れそうだ! 私は数年前、音楽家としてかねてからの願望であった交響曲第一番を完成させた。構成に悩み、編成に悩み、オーケストレーションに悩み、悩みに悩み抜いたが、作曲は心躍る作業でもあり、頭をひねるのが楽しくもあった。そしてこのほどようやっと漕ぎ着けた初演――あれは悪夢としか言えないものだった。いや、悪夢の方が朝には醒めるぶん優しいと言える。私の交響曲第一番は酷評に遭った。批評家にき下ろされ、新聞では悪評の嵐が吹き荒れた。皆、何がそんなに気に入らないのか分からなかった。「新時代の到来に逆行したひどい自己陶酔の回顧主義」そう評した音楽家もいた。新時代! 音楽の潮流! そんなの知るもんか。私が書きたい音楽を書いただけだ。私は書きたい音楽しか作れなかった。だから、丹精をこめて作曲した曲が世間に拒絶されたとき、自分の存在が全否定されたように感じた。おお、恥ずかしい、居たたまれない! 糸杉の幼木のように、元来がんらい貧弱な私の精神力はそこでぽっきり折れてしまった。

 これからどうすればいいのだろう。音楽の道を歩むと決めて今まで来たけれど、自分がモーツァルトのような天才の器ではないのは分かりきっていた。音楽家が宮廷に仕えるのが普通だった時代に、個人事業の音楽家という道を切り拓いたベートーヴェンのような強いバイタリティもない。極度の上がり性で、人前では演奏できないからとヴァイオリニストから作曲家に転向したシベリウスとて私を笑うだろう――何せ私ときたら、自作の曲の悪評を耳にするだけで食事も喉を通らず、うまく睡眠も取れなくなるくらいなのだから! 粗末な寝床にうずくまる。何も考えたくない。何も――。

 家の扉をダンダンダンとけたたましく叩く音で覚醒する。どうやらいつの間にか寝入ってしまっていたらしい。鉛のごとく重たい体を引きずりながら、一体こんな辺鄙な場所を訪ねてくる輩はどこの誰だ、と思いながらドアをおもむろに開く。


「ああ、良かった。死んでるのかと思った」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて立っていた青年は、我が友人のサーシャだった。

 むっとして少々肩を怒らせて答える。


「勝手に殺さないでくれ。僕はそんなに簡単に死んだりしない」

「そうかい? 首都を離れるときはほぼ死人みたいな目だったじゃないか」

「……何か用? 冷やかしにこんなところまで来たんじゃないだろ」


 サーシャはああ、そうだったと今思い出したみたいに鞄をごそごそやる。


「君に手紙だよ。僕にも行き先を告げないで雲隠れするもんだから、探すのに骨が折れたんたぜ」

「手紙? そんなの要らないよ……読みたくない」


 意図せず語尾が震えた。体温が三度くらい下がったような気分になる。私宛の手紙なんか交響曲の批評に決まっていた。わざわざ直接届けに来るなんて、この友人は相当性格が悪いらしい。


「そう言うなよ。この前の初演を聞いた老夫婦がさ、どうしても君に伝えたいことがあるんだと。伝手つてを辿って僕が頼まれたんだ。感謝してくれよ」


 恩着せがましい友人に紙幣を握らせようとすると、そんなのいいから首都に帰ってきたとき一緒に飲みに行こうと言う。私が奢るならここで金銭を渡しても同じだと思うが。サーシャは苦笑いして違うんだよなあと頭を振る。


「僕が首都に戻るなんて、いつになるか分からないぞ」

「大丈夫、大丈夫。きっと君はそのうちまた曲を書き始めるよ。僕には分かる。何があっても君は作曲を辞めない。辞められない。そういう人間だからな」


 言いたいことを言って、友人は駿馬しゅんめのごとく去っていった。

 部屋に戻り、手の内にある封筒に目を落とす。どんな呪詛が封じられているのだろう。長らく見つめ、詰めていた息をふうと吐く。

 意を決して、ペーパーナイフで封を切る。中には上等な紙質の便箋が何枚も入っている。乱れる呼吸を抑え込みながら、紙の上で踊る文字たちに目を通す。



 交響曲第二番第四楽章の残響がやむと、ホールを揺るがすほどの万雷の拍手が起こった。私は信じられない気持ちで、オーケストラを立たせてから振り返る。指揮台の上から、二階席まで埋め尽くした聴衆が見えた。彼らはしきりに、惜しみない称賛を演奏者の面々に――おそらく私にも――送っていた。中には立ち上がっている者すら目に入る。

 降り続く拍手の雨の中、袖に入ったり腰を折ったり舞台に出たりを繰り返す私の心は、これまで生きてきた中で最高に高揚していた。ただただ嬉しく、同時に脱力するほどホッとした。作曲してきて良かったと、心からそう思った。

 十九世紀の終わりに受け取ったあの手紙には、私の曲に対しての罵詈雑言など一言たりとも書かれていなかった。文章は、私たち夫婦の中では交響曲第一番は傑作であり、世間の批判を真に受ける必要はないと切々と訴えていた。手紙を持つ指に力が入り、紙の端がくしゃりと折れてしまう。文字の一部がなぜかじわりと滲み、数瞬遅れてから自分が泣いているのに気づいた。自覚すると後から後から熱い涙がこみ上げる。封筒をいだくようにして、私は一頻ひとしきり声をあげて泣いた。敵ばかりではない。あの作品を愛してくれる人がいる。私は、冬の荒野で一人彷徨う放浪者ではない。

 しばらくして、私はまた五線譜にペンを向けるようになった。そうだ、私には己を表現する方法がこれしかないのだ、と開き直りに近い心境に至ったのである。作曲の再開はピアノの小品から始めた。それが出版され徐々に受け入れられていくと、吹き消えていた自信の灯火がまた、小さく己の中に灯るのが分かった。流行りの無調の音楽を書いてみたこともあったが、それが評価を得たとて、納得できない気持ちが残るばかりだった。世間に迎合した曲を書いても後悔するだけだと悟った。

 やがて世紀が変わり、社会が不可思議な熱に包まれる中、私はずっと己と向き合い作曲を続けた。作曲というのは本質的に、独りでしかできない営みである。我に返ると、自分がしていることに何の意味があるのだろうと疑問がよぎる瞬間もある。頭を抱えて悩んだり苦しんだりしながら、ある程度曲が形になるまでは人にも頼れず、作品まるまる全てが無駄になるかもしれないのに。それでも、立ち止まることがあっても、私はペンを放り出したりはしなかった。できなかった。突き動かされるようにして、二番目の交響曲に取り組み始めた。

 また次も駄目かもしれない、と思わないこともなかった。先達せんだつの偉人たちや、既に売れっ子になっている同世代の作曲家と比較すると、頭を掻き毟りたくなることもある。そんな心持ちのまま、私は机とピアノに向き合い続けた。もはや曲を書きたいから書いているのではない。書かなければならないから書くのだ。この体の内に溢れる音を形にできるのは私だけだ。世界に一人しかいない、他ならぬ、私だけなのだ。

 交響曲第一番の大きな失敗から約十年の月日を経て、交響曲第二番の初演が実現した。指揮を私自身が務めたその演奏会は、大成功を収めたと言っていいだろう。あの手紙をくれた夫婦も駆けつけていたらしく、後日面会する機会に恵まれた。二人とも健在で、演奏の成功を我が事のように喜んでくれていた。私は二人にひざまずいてとめどない感謝を述べた。サーシャは「僕の言うとおりだったろう?」と不敵に笑っていた。

 私は今も、孤独の中で作曲を続けている。作品を生み出すというのは時に――あるいは、常に――苦しみを伴う行為である。これから先、思い悩むこともあるだろう。長年ペンを執れなくなるほどの、大きな困難も待ち受けているかもしれない。

 けれど私は断言する。何があろうと、作品を書き続けるに違いないと。どれだけブランクを経ようとも、結局はペンを取り出してしまうだろうと。もはや作曲家という職業すら関係なく、書くことそのものが自分自身なのだと、挫折を経験した私には分かっている。そして私がこの世から消えても、この世界にそんな男がいたことを作品が証明してくれるだろう。

 第一番の挫折と、第二番の栄誉。

 そのどちらも胸に、私はペンを走らせ続ける。

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