二番目のボタンはもらえなくても
無月兄
第1話
卒業、おめでとう。
最後に言った先生の言葉が、今でも耳に残っている。今日この日、私は三年間通った高校を卒業した。
辺りを見回すと、笑っている人、涙ぐんでいる人と様々だ。紺のブレザーに、赤と白のストライプのネクタイ。すっかり見慣れた制服も、今日が最後かと思うと名残惜しい。
だけど、感傷にばかり浸っているわけにはいかない。私にはまだやる事があるんだから。
未だ残っている多くの人を掻き分けながら、たった一人の姿を探す。だけどなかなか見つからない。廊下を探し、靴箱を通り、とうとう校庭まで出ても、私の探し人の姿はなかった。
もしかしたら、もう帰ってしまったのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
今日が最後なのに。明日からは、もう今までみたいに会えなくなるのに。焦りと不安で胸が締め付けられたその時だった。
「いた!」
私の目が、校庭の隅を一人で歩く彼の姿を捉え、気がつけば声を上げていた。そして次の瞬間には、そこに向かって駆け出していた。
「待って!」
彼の後ろ姿めがけ大声で呼び止めると、歩いている足が止まり、こちらを振り返った。すっと鼻筋の通った端正な顔立ち。何度も見ているはずの顔なのに、目が合った瞬間ドキッと心臓が大きく音を立てるのが分かった。
「寺島さん?」
「き、菊池君。話、いい?」
「ああ、いいよ」
ガチガチになりながら話す私を、不思議そうな顔で見る彼、菊池君。クラスは違っていたけど、三年間ずっと近くにいた私の友達。そう、友達だ。少なくとも、彼は私のことをそう思っているだろう。
だけど私は違う。仲の良い友達と言うポジションにありながら、本当はずっと、それ以上の関係になるのを望んでいた。恋人とか、彼氏彼女とか、そんな言葉で呼ばれるような関係に。
だけど今までそうならなかったのは、ひとえに私が臆病だから。好きですなんて言って、もし断られたらどうしよう。気まずくなって、友達でさえいられなくなったらどうしよう。そんな思いが募っていき、とうとう何も言えないまま卒業式である今日を迎えた。気まずくもない代わりに、甘い言葉の一つも交わすことの無い。そんな友達と言う関係は、自分がいかにヘタレであるか証明しているようでもあった。
だけど今日は違う。同じ学校に通うのも今日で最後だから、正真正銘のラストチャンスだから、ありったけの勇気を出そうって決めたんだ。
勢いよく頭を下げ、ほとんど叫ぶように言う。
「お願い。菊池君の制服のボタン、私にください!上から二番目のやつ!」
これが、私の一世一代の告白だ。ありったけの勇気を出すと意気込んでおきながら、この期に及んではっきり好きだと言わないあたり、私のヘタレは筋金入りだなと思う、どこか冷静な自分がいた。実際、ヘタレ全開の告白と言っていい。
そもそもこの言葉で、ちゃんと菊池君が告白と受け取るかも分からない。
制服の、上から二番目のボタン。所謂第二ボタンを欲しがると言うのは、ある意味卒業式の定番だ。好きな人から貰うと言う、あまりに有名な話。学ランのイメージがあるけど、ブレザーでだって多分通じるはず。
だけど有名すぎて、もしかしたらノリで言っているだけだと受け取られてしまうかもしれない。けれどそれも含めて、この告白は一種の賭けだった。
菊池君が、これが告白だと気づいてくれたらそれでよし。もし気づいてくれなかったら神様が諦めろと言っているのだろう。そんな、完全に運任せの告白だ。
だけどそれでも、やっぱり心の奥底では、菊池君が私の想いに気づいてくれることを願っていた。気づいたうえで、良いよと言う言葉が返ってくるのを期待していた。
頭を下げたまま、彼の顔を見る事もなく、じっと返事を待つ。
それがどれくらい続いただろう。ようやく私の耳に菊池君の声が届いた。
「――――ごめん」
申し訳なさそうに呟かれた、その短い言葉が。
「――――っ!」
声を上げそうになり、なけなしの理性でそれを堪える。何とか落ち着こうとするけど、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
(ごめんって、ダメって事だよね。どうして?やっぱり私とは付き合えないって事なの?)
震えながら、涙を堪えながら、強張った顔をわずかに挙げる。だけどその時私は気づいた。
今までロクに見ていなかった彼の制服には、既にひとつのボタンも残っていなかった。三つついていたはずのボタンは、既にその全てが外されていた。
「菊池君、そのボタンって……」
「さっき、部活の後輩の子がやってきてくださいって言われたんだ。うちの部の伝統みたいなもので、卒業生から貰ったボタンを記念に持っておくんだ。来年いい結果が出る様にって、ゲン担ぎのジンクスみたいなもの。だからゴメン。寺島さんにあげる分、もう残っていないんだ」
「はは……そうなんだ……」
てっきり、告白には応えられないからダメなのだと思っていた。だけどそうじゃないと知った今、嬉しさ半分虚しさ半分と言ったところだった。フラれたわけじゃ無いってのは喜ぶところなんだろうけど、せっかくの告白がこんなマヌケな結果ってアリなの?
こんな事なら、もっとはっきり好きって言えばよかった。今更ながら、そんな後悔が胸に溜まる。
だけどその時、菊池君がじっと私を見て言った。
「ねえ?寺島さんは、どうして俺のボタンが欲しいなんて言ったの?」
「えっ?」
「寺島さんは、俺が渡した子たちと違ってジンクスなんて知らないよね。なのにどうして、ボタンが欲しいなんて言ったの?それも、上から二番目の第二ボタンを?」
「それは……その……」
覗き込むような菊池君の顔を見て、言葉に詰まる。
(どうしよう。ここは改めて、好きですって言うべき?それとも、黙っていたままの方が良い?)
だけど私の迷いが終わらないうちに、再び菊池君が口を開いた。
「そうだ。ボタンはあげられなかったけど、これじゃダメかな?」
彼はそう言って、自ら着けていたネクタイに手を掛け、ゆっくりと緩め始めた。ネクタイを解く。ただそれだけの仕草なのに、何故かドキッとしてしまう。
少し前まで卒業式だったこともあって、ついさっきまではきちんと閉まられていた菊池君のネクタイ。それを緩める瞬間、まるでそれまで彼が感じていた緊張感からも解き放たれていくような気がした。その刹那がとても無防備に見えて、思わず目が釘付けになってしまう。
「寺島さん?」
「えっ、なに!?」
「いや、そこまでじっと見られると、なんだか恥ずかしいんだけど」
「あっ、そうだよね。ごめんごめん」
まさか、ネクタイを緩めるしぐさに見とれていましたなんてとても言えない。ネクタイに手を掛けた時に、チラリと見えた手首が素敵だったとも言えない。
それはそうと、完全にネクタイを解いた菊池君は、それをそっと私に差し出した。
「これが、ボタンの代わりって言うのはダメ?」
「えっ?」
菊池君をと、目の前に出されたネクタイとを交互に見る。私が欲しいと言ったのは、あくまで二番目のボタンだ。だけどそれが叶わなかったのを見て、何とかしようとする菊池君の気遣いが嬉しかった。
ううん。私が本当に欲しかったのは、二番目のボタンなんかじゃない。こんな風に優しくしてくれる、菊池君の想いだ。
「ありがとう。絶対、大事にするから」
お礼をお言って受け取ると、その拍子に互いに指先が触れ合う。たったそれだけの事なのに、何だか照れてしまって顔が赤くなる。
今までの私なら、ここのまま何も言えずに終わってしまっただろう。だけど――――
「ねえ菊池君。どうして私が第二ボタンを欲しかったか、分かる?」
「えっ?」
この気持ちに気付いてほしかった。欲しがった意味を、分かってほしかった。
いつの間にか、顔が真っ赤になっているのが分かる。声が震えているのが分かる。あれだけできなかった告白を再びしようとするのだから、怖いと思うのも当然だ。
だけどその度に、菊池君から貰ったネクタイを握りしめる。そうする事で、なんだか勇気が湧いてくるような気がした。
「第二ボタンを欲しがる理由なんて、一つしかないと思う。その……好きな人から貰いたい物だと」
いつの間にか菊池君も、私に負けないくらい顔を真っ赤にしていた。
「もし本当にそうなら、凄く嬉しい。それとも、おれの自惚れか勘違いだったか?」
その言葉に、彼の抱いた不安が見え隠れする。菊池君もまた、私と同じように怖いんだ。今まで築き上げてきた、友達と言う関係が壊れるのが。
そんな彼の不安を壊すため、私は告げる。
「…………好きだから。菊池君が好きだから、ボタンが欲しいって言ったの」
それはか細く、消えそうなくらいの小さな声で放たれた言葉。だけどヘタレな私にとって、精一杯の勇気だった。
その瞬間、菊池君がパッと笑顔になるのが見えた。そして、弾むような声が耳へと届く。
「俺もだよ。寺島さんの事、ずっと好きだった!」
それは、三年間ずっと友達だった私達が、恋人へと変わった瞬間だった。
結局、二番目のボタンは手に入らなかった。
代わりに手に入れたのは、彼のネクタイ。そして恋人と言う、私達の新しい関係だった。
二番目のボタンはもらえなくても 無月兄 @tukuyomimutuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます