覚えたか次鋒の剣
梧桐 彰
覚えたか次鋒の剣
剣道は個人競技だ。
けど、あたしたち高校生にとっては団体戦の方がメインだって考える人も多い。個人戦もいいけれど、一番大切なのは団体戦だって。団体戦の入賞こそが名誉なんだって。学校の歴史を作るために、部活のレベルをあげるために、そして……
友達との思い出を作るために。
大切と思っているだけでは結果は出ない。目の前で旗が上がった。全員が敵方の白。あたしたちのエースが、四天王寺神泉女子剣道部の佐山千草が、負けた。
今でている高総体の団体戦は五対五で、選手は順に、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将と呼ばれる。勝者数法を採用しているこの大会では、先鋒が先鋒同士、次鋒が次鋒同士と、五回試合をすることになっている。つまり今は、一回目の試合が終わったってことになる。
団体戦の不思議なところは、一対一の繰り返しなのに、その順番が全体の勝敗に影響することだ。特に一番強いのをどこに配置するかは考えどころ。大将にするのが基本だけれど、先鋒に持ってくる場合もある。それ以外の勝てるところで勝つ作戦もある。
うちは一番強い千草を先鋒にしていた。そこには運動神経のいい怖いもの知らずを置く。チームに勢いをつけて、良い流れをつくるためだ。声がでかくて体がでかくて、足を使って攻めまくれるやつがいい。千草は先鋒のために生まれてきた女だった。なんのポイントも取らずに帰ってくることは、これまで一度もなかった。
その千草が負けた。三本勝負のうち、二本を連続で取られての完敗だった。相手も先鋒に一番強いやつを持ってきていた。どんな世界にも、上には上がある。
出鼻を大きくくじかれたところで、次鋒のあたしの試合が始まる。
次鋒は寂しいポジションだ。一般的には、五人の中で一番弱い選手が起用される。次につなげるための、とりあえず負けない剣を使う人の居場所だ。
けれど、今回は負けない剣ではだめだ。千草が負けた。ここから巻き返さないと、剣道の名門四天王寺神泉高等学校の総体は地区で終わる。
千草が帰ってきた。両目をしっかりと開けたまま、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
一度だけ、千草に部活を辞めたいって言った時があった。なかなか練習試合で勝てなかったころだ。その日、あたしたちは夕焼けで真っ赤になったアスファルトを二人で歩いていた。
「別に辞めたっていいじゃない」
スカートをひるがえして千草がこっちを向く。何でそんなことで悩んでんのって顔だ。一言くらいは驚いて止められるって思ってたから、かなりびっくりした。
「なんで千草やってるの、剣道」
今度はあたしから聞いた。
「子供の頃から、なんとなくよ」
「なんとなくで、あんなに練習できないでしょ」
「負けるとさ、私泣いちゃうのよね」
「なにそれ?」
「泣くの嫌なのよ」
「変なの」
言われて、うーん、と千草は真っ赤な空を見あげ、付けたすようにぼそっと続けた。
「まあ変かもね。とにかく、やりたくないならやらなきゃいいでしょ。ほかにもたくさんあるわよ。楽しいこと」
勝気な千草が泣くところなんて、全然想像ができなかった。それを聞いて、こいつが泣くところ一度くらい見れるかなと思って、結局その時は辞めるのを辞めた。
千草から視線を切って相手を見た。横から声。
「弓子。切り替えて」
「当然」
中堅が、あたしの耳だけに届くようつぶやいた。こっちも一言だけ返した。
千草の袴がすれ違うと同時に、気持ちがぐぐっとわきあがってきた。あたしの心臓を焦がしていた。相手を噛み殺す気で床を踏んだ。
三年。千草とここまでやってきた。嫌々じゃない。渋々じゃない。空気を読んでしょうがなく付きあったんじゃない。あたしたちの間に、そんな
キャアアアーイ!
相手より先に大声を張り上げた。
盤石の自信を従えて一足一刀の間合いへ乗りこんだ。気力も姿勢も竹刀も完全にそろっている。あたしの構えは左諸手上段。剣道では珍しく右足で踏みきる形だ。相手の動きに応じて、肉を切らせて骨を断つ戦法だ。
腹の底から何度も気合を上げる。相手も返してきた。お互いの喉を引き裂くような声が体育館に響きわたる。相手は足を前後に動かして中段に構えている。低めの身長をさらに膝を曲げてぐっと落とし、ゆらゆらと竹刀を動かして突きを狙っている。
何も怖くなかった。確実に勝てるのがわかった。色を失った世界の中で、相手はまるで水の中を動いているよう。あたしの
相手が仕掛けてくるのを感じながら右足と左手で飛ぶ。確かな手ごたえが響いた。斜め後ろに下がりながら残心を取った。一本だ。文句のない一本だ。
どっと汗が吹きだした。視界の端に千草の見開いた両目があった。どうしたの別人みたいっていう、あいつの声まで聞こえてくるように感じた。
ねえ、千草。
あたし、やっぱりあんたの泣く顔、見たくなかったよ。
相手の目の色が変わった。千草以外の四天なんかに負けるわけないっていう、瞳の中のどす黒い火が見えた。その奥の腹の中まで見えるような気がした。ぜんぜん怖くなかった。上っ面の怒りに身をまかせている、小さな子供を見てるみたいだ。
もう一度上段。遠間から右手を狙った。充実した気勢に乗って、吸いこまれるように瞬速が小手に飛んでいく。悠々と打ちとれた。秒殺の圧勝だ。
さーっと、相手の血が引いていくのがわかった。拍手に重なって、ひそひそと声が聞こえてきた。
「だれあいつ」
「四天って佐山だけじゃないの」
あたしの心臓がそうだって叫んでいる。竹刀を持つ左手が雄弁に語っている。四天の剣は先鋒だけじゃない。
涙が両目からあふれた。千草の涙とは違う涙が。剣士なら冷静さを欠かないようにと習ったことはある。それでも今だけは、今だけはこの想いを止めたくない。
終わらせてたまるか。
勝つのはあたしたちだ。
見たか四天の剣。
覚えたか次鋒の剣。
【了】
■剣道用語
一足一刀の間合い:剣道における基本の間合い。一歩踏み込めば相手を打突でき、一歩さがれば相手の打突をはずすことができる距離。
覚えたか次鋒の剣 梧桐 彰 @neo_logic
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