2番目の美酒

おりこう猫

2番目の美酒

 ひどくのどが渇いた夜のことだった。知らないバーで、私は1杯のウイスキーを口に運ぼうとしていた。


 仕事終わりの帰途についていた私は、揺れる電車の中で、理不尽な上司の小言を忘れる方法を思案していた。悩むまでもない、酒である。


 いつもなら、自宅の近所の定食屋で、どこにでもある生ビールをあおる時間。働きづめの金曜日で、片道1時間の最寄り駅まで待つことすらも耐えられなかった私は、気まぐれの途中下車をすることにしたのだ。


 店を探すのも億劫になった私は、駅を出て真っ先に目についた看板を頼りに、雑居ビル地下のバーに飛び込んだ。思った以上の小汚さにいささか後悔を覚えたが、この渇きをどうにかできるのなら、大した問題ではないだろう。


 まだ夜も浅い時間だからか、客は私一人だけだった。いや、客がいないことを、決して小汚さに起因する問題だと思うまいとしていただけかもしれない。うっすら埃の被ったカウンターに向かうと、奥の方から店主が声を掛けてきた。


「ご注文は、なんでしょうか」


 少し慇懃無礼なイントネーションに苛立ちを覚えたが、気を取り直して注文する。


「ウイスキーは何を置いてるんだい」


「こちらの棚が、ウイスキーです」


 店主は、カウンター奥にある棚の一角を指さした。なるほど、品揃えは悪くない。とはいえ、あれこれと吟味できるほど詳しいわけでもないので、見知った名前のボトルを選ぶことにした。


「一番上、右から2番目のウイスキーを。ロックで飲みたい」


 すると、店主はすかさず答えた。


「申し訳ございません。そのご注文はお受けいたしかねます」


 店主のあまりに明確な拒絶に、思わず私は面食らった。しかし、銘柄に特別なこだわりもなく、とにかく酒が飲みたい私は、仕方ないと割り切った。


「わかったよ。じゃあ一番右のはどうかな」


「かしこまりました」


 店主は手慣れた様子でボトルを手繰り寄せ、氷を整え、あっという間に1杯用意した。少々品性に欠ける自覚はあるが、出てきた酒を、私は一息でぐいぐいと飲み干した。香りなんか楽しむ余裕もない。今晩はそんな夜だった。


 店主は、さも当然のことのように、チェイサーに一杯のミネラルウォーターを用意した。それすらも一息に飲んだ私は、続けて注文した。


「もう一杯頼むよ、それとつまみは何があるのかな」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 酒がめぐって、ふわふわと心地よくなってきた。今なら、日中の上司の常軌の逸した戯言も、いい子守歌になりそうだ。


 日常、アンドロイドの販売代理店に勤務する私は、重大な不具合でリコール対象になったり、違法改造の施された端末――通称、野良アンドロイド――を回収し、親会社のメーカーに返却する部署で働いている。


 一言に野良アンドロイドと言っても、いろいろな種類がある。プログラムのバグにより人間に危害を加えうる端末もあれば、周辺端末に悪影響を及ぼすマルウェアを宿した端末もあるのだ。そんな危険を未然に防ぐ仕事をしているわけだが、上司は親会社のご機嫌取りばかり。私たちのような末端は、ノルマ達成のための使い捨ての道具としか思っていない。つまらない人間に使われる私たちと、自由意思をもった人間の道具たる野良アンドロイド。これではどちらが人間で、アンドロイドなのか、わかったものではない。


 上司への愚痴、仕事への不満をぶつぶつこぼしながら、同じ酒を2杯、3杯と飲み干した。そこで、不意に店主に聞いてみた。


「なあ、なんで、あの右から2番目の酒はダメなんだ?」


「申し訳ございません。そのご質問はお受けいたしかねます」


 にべもなく返されたが、他に話題もない。少し食い下がってみるか。


「いいじゃんか。だれかがキープしてるボトルなのかい?」


「いいえ、当店はボトルキープは承っておりません」


「違うのか……じゃあ、あれだ。実は空なんだろ」


「いいえ、当店はご注文頂けるお酒しか揃えておりません」


「じゃあ、なんだっていうんだ……わかったよ。次も同じ酒をくれ。あと、おつまみが欲しい。何があるんだ?」


「かしこまりました、フードメニューはこちらです。おつまみは100種類ご用意しております」


 なんでそんなに充実してるんだ、と私は驚きつつ呆れかえった。差し出されたメニューを開いた。そこには見開きで、こう書いてあった。


「ナッツ

 チーズ

 チョコレート

 ドライフルーツ」


 私は思わず苦笑した。すぐさま上司に電話して、今月のノルマは達成できそうだと伝えた。


「さっきの注文はキャンセルで、右から10番目の酒をくれ」

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