二番手
鈴木 千明
神様は見ている
男は立ち尽くしていた。
目の前には、白い布を袈裟懸けにし、これまた白い髭を長くたくわえた老人が立っていた。
「神、様…?」
神様は右手の杖を、コツン、と苔の生えた石畳みに打ち付けた。
俺は山登りに来ていたのだが、いつの間にやら道を外れたらしい。彷徨い歩いているうちに、ここに辿り着いた。
「死んだのか、俺?」
陽が落ちかけ、体力も尽きた。頭を過る〝遭難〟の二文字を、否定する気力も無くなっていた。
「おぬしはまだ死んでおらぬ。儂なら助けてやることもできるぞ、若者よ。」
「本当ですか!?」
「ただな、呪いがかかるんじゃ。」
「の、呪い?」
「おぬしはこの先、何をやっても二番手になる。」
「どういうことですか?」
「そのままの意味じゃ。いかなることでも、結果が二番手になる。」
「それが呪い?むしろ良いことじゃないですか!」
「おお、そう言ってくれるか。では、おぬしを麓の近くまで送ってやろう。良い人生を、若者よ。」
神様が杖を一振りすると、男の意識は途絶えた。
男は苛立っていた。
くそ!なんでだよ!
あの不思議な体験をしてからすぐに、その〝呪い〟とやらは効果を発揮した。今まで平均的だった成績がみるみる上がり、次席で大学を卒業。大手企業に就職し、1年目にして業績は部署内で2番。成果主義の会社であったためか、2年目にして係長、3年目には課長、5年目に次長となった。
なんであいつが部長なんだ!
次の部長になるためには、次長の中で1番になる必要があった。しかし、自分は2番にしかなれない。だから、蹴落としてやることにした。1番だった奴の悪い噂を流した。営業をさりげなく妨害した。精神的な圧力をかけた。そして、奴は転げ落ちた。
なのに…!
乱暴に冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。タブを押し開け、一気に喉に流し込む。零れたビールが、シャツを汚す。
部長になったのは、3番手だった奴だ。俺より12も上の、出来損ないだ。
苛立ちを忘れようと、女に連絡を入れる。メッセージが読まれていないことに苛立ちが増し、またビールを煽った。
あのクソ女、何してんだよ!
2分も経って、ようやく返事が来る。
『今夜は友達と会ってるから…また今度ね!』
舌打ちをして電話をかける。4コール目でやっと出た。
『…なに?』
「なにじゃねぇよ、会いに来いって言ってんだろ。」
『今夜は他の用事があるから』
「用事ってなんだよ。」
『いま友達と会ってて』
「友達より彼氏の方が大事に決まってんだろ!」
『…はぁ?そんなの私が決めることでしょ?』
「いいから早く来いよ!」
『もう無理。前から思ってたけど、自己中すぎない?』
「なんだ?別れるって言うのか?お前みたいなクソ女、付き合ってやってるだけありがたく思えよ。」
『それはこっちの台詞。はっきり言うけど、あんたの方が遊びだから。』
「は?」
『私、本命の彼氏がいんのよね。でも忙しそうだから、あんたで暇つぶししてたの。ヤりたい時だけ呼びつけるような男に、本気になるわけないじゃん?ま、レストランとホテルは良いとこだったから、付き合ってやってたけど。セックスも全然上手くないし、キモい声で囁くのは鳥肌もんだったわ。』
電話口の向こうから、複数の女の笑い声が聞こえた。
『そういうことだから、じゃ。』
ブツン、と電話が切れる。
怒りで缶を握る手が震える。
「クソ女がっ!」
缶が潰れ、亀裂が走る。切り口に当たった指から血が滴り、溢れたビールと混ざって、スラックスに染みをつくる。
なんでこんなことに!…そうだ。あのジジィが悪いんだ!変な呪いかけやがって!俺は1番に成れるはずなんだ!なのに、なのになのに!!
男は歩き回っていた。
あの老人を探すためである。怒りに任せ、声を荒げながら、山中を進んでいた。それが仇となったのか、陽が落ちかけた頃には、体力が尽きていた。
どうして、こんなことに…!
グッタリと地面にへたり込む。すると後ろから、コツン、と聞き覚えのある音がした。
「また会ったな、若者よ。」
振り向くと、探していた老人が立っていた。
「助けが必要か?」
「この…っ、くそジジィ!」
男は老人に殴りかかった。だが、老人の身体は煙のように霧散する。殴りかかった勢いで、男は派手に転んだ。また、コツン、と後ろから音がした。起き上がると、老人が立っていた。落ち葉に覆われていたはずの地面は、苔の生えた石畳みに変わっていた。
「ほっほっほっ、元気じゃのぉ。」
「よくもこんな呪いかけやがったな!」
「良いと言っていたではないか。」
「ふざけるな!さっさと解け!」
「仕方ないのぉ…ほれ。」
老人が杖を一振りする。
「これで呪いは解けた。あぁ、麓に返すことはできないから、自力で降りるがよい。それではな。」
風が吹いたかと思うと、老人の姿は無く、辺りに落ち葉が舞っていた。
男は落胆していた。
あの後、ボロボロになりながらも、なんとか山を降りた。呪いが解けたことには、すぐに気がついた。仕事が全く上手くいかないのである。今までスムーズだった営業ができない。進んでいた提携の話が頓挫した。担当していた取引先が、他の奴を指名してきた。俺の成績はダントツで最下位になり、ついには会社をクビになった。
何も気力が起きず、ベッドに横たわったまま、時間が過ぎていく。
どうして、こんなことに…
「助けてください、神様…」
男は首を吊っていた。
木にだらしなくぶら下がる身体を見て、老人は愉快に笑う。
「まったく、おもしろいのぉ…」
コツン、と音が響くと、老人の姿は消えていた。
二番手 鈴木 千明 @Chiaki_Suzuki
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