07|『3・11』2022年に思うこと。
東日本大震災から、今年で11年が経ちました。
毎年、この時期になると、テレビ、ネットニュース、新聞などの各メディアで『3・11』の事をとりあげ、私も、なるべく多くの情報を見たり、読んだりして『3・11』を心に深くとどめるよう勉強しています。
けれど――今年は、少し、精神的にまいっているようで…あまり熱心になれないでいます。それは『ロシア、ウクライナ問題』が勃発し、ウクライナの悲惨な現状…そして冷酷なプーチンへの憤りで、私の心が悲鳴をあげてしまっているからです。
私は、いつも、人間の傲慢さに腹を立てているひとです。
いま、ここで書いている小説にも、人間の傲慢さを描写しているシーンがあります。
**************************************
そもそも――人間は、なんのために存在するのだろう。
自然界の法則に従わないものを、宇宙意思は、何故この世界に存在させるのだろうか?
神に逆らい、自分たちが神ででもあるかのように、我がもの顔でふるまい、自然界のルールを逸脱し、冒涜し、破壊し、自らの首をしめている。
人間がこの世界から消えても、きっと、この世界は困らない。
むしろ、いなくなってよかったと思うかもしれない。
人間とは、そういう《悲しい》存在だ。
いま、ヒトは、宇宙意思によって、試されているのかもしれない。
『 謙虚たれ! 』――と。
(サクラ・イン・アナザーワールド、第一章、21話より抜粋)
**************************************
いま――私の思いは、まさに、そんな感じです。
人間に、絶望しているんです。
以前から、私は思っていました。
どうして私は『東日本大震災』にこだわっているのだろう?と。
災害でいえば、少し遠い過去には『阪神淡路大震災』があり、近い過去には『熊本地震』があり、『台風19号』でも、被災し、いまだ困難な生活をしいられている人々は多くいます。
もちろん「どうでもいい」と思っているわけではないけれど…人間って、やっぱり、自分の関心の外にあるものは、目に入りません。
このまえ、なにかの記事で読んだのですが、
『 人間には、現実のすべてが見えているわけではない。
多くの人間は見たいと欲する現実しか見ていない。 』
これは、ユリウス・カエサルの言葉らしいですが…たしかに、うなずけました。
で。
私の関心のうちにあるものは、いつも、傲慢な人間が作り出してしまった《人災》にあるのだな…と、思ったんですね。
東日本大震災は、自然災害と人災がワンセットです。
地震や津波は、悲惨ではあるけれど、それは人間の力ではどうしようもないことで、謙虚に受けとめることしかできません。
けれど、その直後に起きた原発事故は、明らかに人災です。
人間が作り出した《原子力発電所》が爆発して起きた事故です。
そこに、私は、強い関心を持っています。
原発は、いまの日本には必要なエネルギーですから、ただ否定すればいいというものでもなく、こうして、日々の暮らしの中で電気を使ってぬくぬくと暮らしていられるのも、原発があるおかげだし、生活の一部になっている以上、私にとっても他人事ではない。
そこで、私が疑問を抱くのは、原発事故が起きたことに対して、東電のせいにしたり、国のせいにしたり…自分ではない誰かのせいにして涼しい顔をしてる人たちです。それこそ傲慢だと、私は思う。(※被災者はもちろん別ですが…)
震災そのものに関心を失うひとがいても「しょうがないのかなぁ…」と思えるけれど、原発事故に関心を失うって…私にはあり得ない。そんな無責任なことってないですよね?
もはや、福島第一原発の廃炉問題は、福島県だけの問題ではない。完全に更地にもどすまでには、あと40~50年もかかるそうです。
国で背負うべき《負の遺産》なんです。国が背負うということは、国民ひとりひとりが背負う問題でもあります。けして、他人事ではない。若い世代の人たちは、とくに、これから、この《廃炉》という現実と向き合っていかなければならなくなります。
これから汚染された廃材を、全国の地域で受け入れていくことになるんです。ある日とつぜん、政府の命令により、自分が住んでる家のそばに置かれることになるかもしれないんですよ。無関心でいられますか?
そのときになって、はじめて、福島第一原発のことを考え、被災した人たちのこと、『3・11』で起きたことについて、関心をよせることになるのでしょうか。
けっきょく――《自分ごと》にならなければ、なにも想像しない、なにも考えない。人間とは、ほんとうに身勝手な生き物です。
プーチンは《愛》と《想像力》が極端に欠落した人間です。しかし、このカクヨムで小説を書くひとたちには《想像力》があります。
どうか、その想像力を発揮し、この時期だけでも『3・11』のこと、原発事故のこと、廃炉問題のこと、その未来を想像してみてください。そして、できれば現地に足を運んでみてください。
私も《コロナ》が終息したら、いつか、被災地をたずねてみたいです。《かたりべ》の人たちの話をきき、資料館をめぐり、帰宅困難区域だった場所へも(可能なら)行ってみたいです。
最後に、いまだ仮設住宅で暮らす被災者の方、心を被災されてる方が、少しでもシアワセに近づけますように祈っています。
『3・11』忘れないです。
絶対に。
(2022年3月12日)
『3・11』を忘れないで! 押羽たまこ @ipvfuo9303
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。『3・11』を忘れないで!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
今日も今日とて/矢向 亜紀
★69 エッセイ・ノンフィクション 連載中 103話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます