2番目の僕

タカナシ

ホテルドッピオ 2番目の部屋

 ここホテルドッピオには不思議な噂がある。

 2階、2番目の部屋、202号室は珍百景に選ばれてもおかしくないような部屋だという。

 ただ不思議な部屋というだけなら、僕はわざわざやってきたりはしなかっただろう。

 

 この部屋に泊まると2番目の自分に会えるという噂話がなければ――。



 僕がチェックインを行うと、ホテルの受付は何百、何千と繰り返しているであろう営業スマイルを見せ、部屋の鍵を手渡す。


「お気をつけて、ごゆっくりとおくつろぎください」


 ごゆっくりくつろぐのは分かるが、気をつけるとはどういうことだ?

 僕は受付の顔を伺ったが、さも当然のように澄ました表情を浮かべており、ここのマニュアルが変わっているだけなのだろうと僕はいいように理解した。


 たった2階だが、僕はエレベーターを使って上がると、目的の部屋へと辿りついた。


 左右の部屋と確認しても当然だが、普通のドアに202のプレートが付いている。

 僕はホテルにしては、いまどき古臭い、シリンダー錠に鍵を差込み、開けた。


 ききぃ~と油の切れたような音を立てて、ドアが開くと、目の前に再び、202のプレートがついたドアが現れた。


「噂通りだけど、いざ目にすると驚くな」


 僕は薄笑いを浮かべながら、2枚目のドアの鍵も開けた。

 ようやく部屋へと入るとそこには奇妙な光景が広がっていた。


 まるで鏡に写したように全てが2つあるのだ。

 ベッドも2つ。鏡台も2つ。それだけならまだ分かるが、電気のスイッチも2つで片方つけただけでは、半分しか電灯が灯らない。

 バスタブも2つあるし、テレビも冷蔵庫も何もかも2つだ。


「まるで、トリックアートの世界だな」


 僕はその奇妙な光景に創作意欲が刺激されると、カバンからノートPCを取り出して、2つあるうちの1つのテーブルに置いた。


「これは良い作品が書けるかもしれないッ!」


 僕の指は軽快にキーボードを叩いていく。


「2作目はこけたけど、3作目は、これなら、絶対大丈夫だッ!!」


 僕は趣味で書いていた小説がひょんなことから賞をとり、1作目はあれよあれよと売れた。それこそ笑いが止まらないくらい売れた。


 しかし、魔の2作目、小説家としての真価が問われる2作目で大ごけしたのだ。

 それ以来、何を書こうとしても、筆は進まず、キーボードを叩いては、バックスペースを押し続ける日々が続いた。


 ネットではボロクソに叩かれ、筆は進まず、自己否定と自問自答を繰り返し、答えが出ないまま次の朝日を拝んでいた。


 答えは出ない。

 アイディアも出ない。

 かといって辞める覚悟も死ぬ勇気も無かった。


 誰にも助けは求められず、自分だけが自分を救えると思った。それでも何日経っても自分を救える自分は現れなかったし自分を殺せる自分も現れなかった。


 そんな折に目にしたのが、ここホテルドッピオの2番目の自分に会えるという噂話だった。

 半信半疑だったが、本当なら答えを出してくれるかもしれないし、仮にウソだったとしてもホテルの造りが奇妙ということもあり、創作意欲が沸くかもしれない。そんな思いで訪れたのだ。


 現に今、僕の創作意欲は高く、今までがウソのように指が軽やかに動く。

 けれど、それがまがい物だったということに、僕はすぐに気づくことになる。


 だいたい、2万文字を書いたところで、ピタッと手が止まる。


「本当にこの作品は面白いのか?」


 今まで書いた文字列を見直していく。


「……これは、面白いのか。いや、僕は面白いと思う。だけど、世間は果たして面白いと思うのか?」


 そう感じてしまった瞬間、1文字たりとも続きが書けなくなってしまった。

 今までは冒頭でこう思ってすぐに消していた。

 2万文字も書けたなら、少なくとも自分は面白いと思っていたはずなのだ。

 だけども――。


 ……ダメだ。


 僕の指は自然とバックスペースへと伸びる。

 そのとき、


「消しちゃうの?」


 ハッとしてキーボードから顔を上げると、そこには同じようにノートPCに向かう、僕が居た。


「……2番目の僕?」


 2番目の僕は悲しむような哀愁ある笑みを浮かべると立ち上がって、僕のPCを覗いた。


「ふむふむ。流石、1番目の僕だ。すごく面白い。これの何が不満なんだい?」


 そう聞かれて、僕は即答した。


「世間が面白いと思うかわからないんだ。僕はもう名前も売れてしまったし、下手なものは出せない」


「なるほどね」


 2番目の僕はPCから離れると、最初にいた席へと戻る。


「それで書いては消して、書いては消してを繰り返し、自問自答と自己否定の日々か。ね」


「……くだらない?」


 まさか、自分がそんなことを言うとは思ってもみなかった。


「そうだ。デビュー前の僕なら、そんな悩みを持つ人をと言っただろうね。デビュー出来た選ばれし者の贅沢な悩みだと言っただろうね」


「お、お前に僕の気持ちなんて――」


 わからない。そう言おうとしたが、目の前の僕も僕なのだ。分かるに決まっている。

 しかし、2番目の僕が紡いだ言葉は意外なモノだった。


「そうだね。分からないよ。1番目の僕はなんで、ここの噂が2番目の自分に会えるだと思う?」


「それは僕も気になっていた。普通はもう一人の自分とか、ドッペルゲンガーとかそういう言い方の方が多くて、2番目って言い方はいまいちしっくりこない」


「そうだね。でも2番目で合っているんだ。なぜなら、僕は1番目の僕の下位互換だからさ」


 そう言いながら、2番目の僕は自身が持っていたノートPCを僕へと渡す。

 その画面には僕と同じように小説が2万文字ほど書かれていたが……。


「つまらなくはないけど……」


 文体やクセは紛れも無く僕のものだったが、面白さという上下がつく部分に置いて、2番目の僕は僕より劣っていた。


「そう、小説の腕も、足の速さも、勉強の成績も、僕は1番目の僕に敵わないのさ。だから僕は今の1番目の僕の地位に憧れるし妬みもする」


 2番目の僕は僕が一度もしたことがないニヤリとした笑みを浮かべ、悪魔のようにすり寄ってくる。


「なぁ、僕。もし辛いなら僕が代わるよ。今まで僕は耐えてきた。キミより常に下で劣って、自己否定も自問自答も腐るほどしてきた僕なら、今の1番目の僕の境遇くらいなんともないさ。僕は拙くとも作品を見てもらえ、キミは安寧を得るんだ。悪い話じゃないだろ? 批判や批評、悪口や罵詈雑言から解放されるんだ」


「確かに、悪い話じゃないのかもしれない」


「なら――」


「でも、その申し出は断るよ。2番目の僕は、ずっと僕の中にいたんだろ? だから自己否定も自問自答もしてたんだろ?」


「ああ。そうだよ」


「そっか。ありがとう」


「なぜ、礼を言う?」


「僕の中に、キミみたいな強い僕がいることがわかったからだよ。僕は2作目のときみたいにツマラナイと言われることが怖かったんだ。でも、2番目の僕は、それをと言った。僕はキミでキミは僕だ。そんなキミがそう言ったんだ!」


 小説を世に出せない方がよっぽど怖いと口にはしなくても、そう思っていることが僕にはわかった。


キミには僕の知らない覚悟があった! 2番目とか下位互換とかどうでもいい! キミも僕もどっちも1番目なんだよ! キミが僕の中にいるのなら、どっちが小説を書くとかじゃあないッ! 共に小説を書こう! キミの心と僕の腕があれば、1作目に負けない作品が書けるはずだッ!!」 


 2番目の僕は僕の言葉を聞くと、ふっと笑みを浮かべ、消えて行った。



「う、う~ん」


 僕はいつの間にか、ノートPCの前で寝ていたようだった。

 

「夢? だったのか?」


 不思議な気分で、奇妙な部屋を見回す。

 こんな変な部屋だから、変な夢を見たのか?


 いや、それでも、気分はかつてないほど晴れ晴れしく、まるで生まれ変わったようだ。


 僕はチェックアウトの時間まで、小説を書いた。

 4万文字ほど書いたところで、ホテルから電話で部屋を出るよう催促を受けた。


 受付にてチェックアウトを済ませると、最後に受付が訪ねた。


「上手く代われました?」


 僕はなんのことかわからず、首をひねると、受付は営業スマイルではない、心からの笑みを浮かべ、


「当ホテルでくつろげたようで何よりです」


 深々と一礼した。


                                   (了)

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