旧校舎の噂話
小沢すやの
旧校舎の噂話
宵山中学校には、まことしやかに囁かれている噂話があった。
「またその話?」
「ふーん、みっちゃん面倒になったんでしょう」
「いい加減飽きたっての」
「ええー! 私は面白くて良いと思うのだけどなぁ」
現在の時刻は午下、生徒たちの楽しげなお喋りが転がる昼休憩中だ。立夏を迎えてすぐの廊下はどこかひんやりとしていて、壁にもたれた身体がじわじわと冷えていく感覚が心地良い。
人心地ついた美月は、窓の外を眩しく眺めた。校庭からしきりに響いてくるサッカーボールを追いかける快活な音に優しげな微笑みをひとつ浮かべた彼女は、その『噂』について思い返すことにした。
しかし、ふと違和感を覚えてさっと視線を走らせる。
「陽奈?」
いつのまにか陽奈が目の前から居なくなっていた。おそらく教室に戻ったのだろうと、美月はだいたいの検討をつける。陽奈は淑やかな振る舞いとは裏腹に、昔から退屈なことが大嫌いだった。彼女の自由奔放さに慣れきった美月には、もうため息さえ出ない。回想に戻ることにした。
「噂ねえ」
宵山中学校の噂。それは。
中学校の旧校舎、二年二組の窓際席の、前から二番目に何かがいる。
「もう! 聞いてるの!?」
突如耳元で発せられた声音にビクリと肩を震わせた美月は、声のしたほうへと急いで振り向いた。そこには不満そうな顔をした陽奈が、次は移動教室よと、美月の顔の前でふわふわ手を振っていた。
「どうかした?」
「あっ、う、うーん……」
「なにかあったの」
「……あのさ、陽菜は噂についてどう思う?」
「私? 私は早く夏本番になってほしいなあ! そうしたら肝試ししようってみんなで楽しめるでしょう?」
先ほどまでの不満顔が嘘のような屈託のない笑顔と、ゆったりとした身振り手振りで話す陽奈に、美月はその小さな手をぎゅっと握りしめた。陽奈の小さな手は陶器のように白く冷やかで、なんとも触り心地が良い。その手をそっと自分の頬に押しあてた美月は、彼女の両目をじっと見つめてこう言った。
「私はちっとも楽しくないよ。肝試しなんて子どもっぽいこと、もうやめよう」
「でも、二人だけってつまらないと思わない? どうせなら大勢いたほうが……」
「大勢って誰のこと」
その無作為な言葉に端正な顔を歪ませた美月は、柔い陽奈の手にいきなり容赦なく力を込めた。美月のまるい爪が、陽奈の白い手の甲に赤い線を刻む。ところが、当人はにこにこと笑ったまま、しかしはっきりと唇を開いた。
「なら、みっちゃんはどう思うの?」
「私は……!」
次の瞬間、薫風に乗ったチャイムの音が、二人の間を通り抜けていった。
何事もなかったかのように美月の手をひらり振りほどいた陽奈は、二年二組の教室へとステップを踏みながら入っていく。
「そうだ、知ってた? 次の移動教室は旧校舎なのよ!」
「え」
「みっちゃん早く! 遅れてしまうわ!」
ああ……嫌だ。美月は内心で酷薄に笑んだ。
今日は嫌な嘘ばかりついてしまった。いい加減飽きたって、嘘。子どもっぽいからやめてほしいっていうのも、嘘。
「……陽奈……」
だけど、私が一番嫌なのは。
「みっちゃん。ほら早く席について」
──今度こそきっと、誰か連れてくるから。
「うん。待ってるね」
そう微笑んだ彼女には、もうずっと心から願っていることがあった。東野美月は決して、二番目の仲間を求めてはいない。
旧校舎の噂話 小沢すやの @synbunbun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます