フクロウの女

洗井落雲

1.

「おれはフクロウの女に憑りつかれているんです」

 と――。

 男が言った。ひどくやつれた男だった。

 その男が診察に訪れたのは、私がその日、最後の診察を終えて、診療所を締める準備をしていた時だった。

 私は心療内科医で、その私の所に診察を受けに来たという事は、つまりその男はそういう病を負っている、という事だ。

「なるほど」

 だから私は、その男の話を、話半分で聞いていた。

 患者の妄想に付き合ってはいけない。そうすることで、患者の妄想に現実感と確信を与えてしまうからだ。だから、私は話を流すことにしている。

「……妄想だ。付き合ってはいけない、と思っているでしょう」

「いいえ。そんなことは」

 私は患者を刺激しないように、穏やかにそう告げた。内心を指摘されたことに、別段の驚きはなかった。最近の患者は、医者がそのように応対するのだ、という知識を持っていることが多い。

「それはそれで――まぁ、構いません。何もおれは、あんたを咎めようというわけじゃない」

 男は自虐的な笑みを浮かべた。

「信じろという方が、無理な話でしょう……ただ、そうですね。おれは、聞いてもらいたいんです。自分の妄想をね。信じるか信じないかは、どうでもいい」

「そうですね。話してみれば、すっきりすることもあるでしょう」

 私は頷いた。男は、ひひ、と、ひきつった笑い声を浮かべる。

「じゃあ、聞いてもらいたいんですが」

 男はゆっくりと……だが、私に口をはさむ余地を与えぬように、吐き出した。

「想像してもらいたいんですがね。目の丸い女です。真ん丸で、小さい。目じりはキッと吊り上がっていてね。そう、猫みたいな目です。唇は小さくて、でもぷくりと膨らんでいる。髪は短くて、あまりきれいに手入れはされていない。でも、なぜか、そいつには似合って見えた。……ほう、ってのが口癖でね。おれが何か言うと、ほう、ほう、って嬉し気に、唸るんですよ。赤い唇を、にぃっ、って笑いながら。首をかしげて。――先生はフクロウを見たことがあるかい? ちょうど、あんな感じだ。だからおれは、そいつをフクロウとか、フクロウの女って呼んでるんだ。何でかっていえば、おれはそいつの名前を知らないからなんだ。

 そいつがおれの前に現れたのは、まったく、何でかわからない。気づいたらそこにいたんだ。それから四六時中、そいつはずっと、おれについて回るんだ。出先だろうが、家だろうが――風呂だろうがトイレだろうが、ソープの個室内にもね。何でソープに行ったんだろうって思うかもしれないが、要するに、そいつが実在するんなら、スタッフに止められるだろうと思ったんだ。それでソープって思いついちまうのはおれが馬鹿だからなんだろうが、とにかく、其処しかなかった。まぁ、結果は言ったとおり、そいつは中までついてきてて、おれがサービスを受けてるのをほう、ほうって言いながら見てたんだがね。

 そいつは別に、何かをするってわけじゃない。ただ、俺のそばにいるだけだ。それだけ――でも先生、それだけがどんだけストレスになるかってのは、先生は、そういう医者だからわかるだろう? 人間は一人では生きていけないって漫画とかドラマでよく言うけど、でも一人の時間ってのは絶対に必要だ。じゃなきゃ気が休まらない。絶対に。絶対に――必要なんだよ。誰にも見られてない、ひとりだけの時間。でもそれが、おれにはないんだ。

 日に日に消耗していくのを自覚したよ。疲れるんだ。何とも言えない、なんだろうね。このげっっっっそりするような感覚。これが多分、心が疲れるってことなんだろう。体力は回復してる……してるんだろう、多分。でも実感がない。だからずっと、疲れてるんだ。おれは。そんな様子も、フクロウは興味深げに、観ているんだ。ほう、ほうって言いながらね。

 一度フクロウを、犯したことがる。レイプしたんだ。多分疲れてたんだろう。あるいはきっと、自棄なったに違いない。少しやせ気味の、きゃしゃな体が目に入ったよ。白くて、あばらが浮いてて、不健康そうだったけど、でもやたらエロかったのを覚えている。手に平に収まるくらいの胸だったかね。抱き心地は……恐ろしい事に、極上だったよ。あそこの締りもいい。そう、おれは確かに、フクロウを犯したんだ。感触がある。生々しい、生の感触が。でも――フクロウは居ない。いないんだろう? 訳が分からなくなって、頭を殴りつけるおれを、精液だらけの体で、ほう、ほう、って見てるんだ。そいつは。

 殺したこともあったよ。最初は衝動的に首を絞めた。喉笛がつぶれる感覚も、首の骨が折れる感覚も、しっかり覚えてる。ぱきっ、って、あっけなく折れるんだ。それをよく覚えてる……フクロウは死んだけど、ほう、ほう、って楽し気に、唸るんだ。死んだ、殺した……そうだ、それは確かに、事実だ。でも、気づくとそいつは、おれのそばに、また、立ってるんだよ。

 それで結局、どうしたんだ、って思ってるだろう? この話のオチは何なんだ、ってな。ないよ。フクロウは変わらずおれのそばにいるし、おれは変わらず、狂ったままだ。例えばホラー映画とかだったら、おれはアンタに呪いを移して、自分が助かるために何らかの行動を起こすんだろう。でも、それもしない。しても意味がないんだ。フクロウは、どうしたって消えないからな。

 じゃあ何でこんな話をしたんだ、って思うだろう? 最初も言った通り、聞いてもらいたかっただけなのさ。それから、共感してほしかった……仲間が欲しかったんだよ。人間は一人では生きていけないし、相手の境遇を想像するのにも限界がある。だから、どうしたって、同じものを見た同士ってのは、素敵なものなのさ。相手の苦しみが分かる。つらさが分かる。きっと友達になれる。

 おれはさ、思うんだ。フクロウの女は、絵なんだよ。おれの頭に書かれた、絵なんだ。あるいは写真なのかもしれない。おれの心に焼き付いた、絵なんだ。なぁ、想像してみてくれよ。目の丸い女。真ん丸で、小さい、目じりはキッと吊り上がっている、猫みたいな目の女。唇は小さくて、でもぷくりと膨らんでいる。髪は短くて、あまりきれいに手入れはされていない。でも、なぜか、そいつには似合って見えるんだ。少しやせ気味の、きゃしゃな体が……白くて、あばらが浮いてて、不健康そうな……手に平に収まるくらいの大きさの胸。ほう、ってのが口癖で、ほう、ほう、って嬉し気に、唸るんだ。赤い唇を、にぃっ、って、首をかしげて――フクロウみたいな、女を。

 先生、言葉って言うのは、プログラムだ。おれは専門的な事は分らないけれど、パソコンソフトがプログラムで作られてることくらいは知ってるよ。絵を表示するにも、そのプログラムがあって、絵が出てくる。そういう事なんだよ、先生。想像しただろう、フクロウみたいな女。おれの言葉どおりに……たぶん、それでインストールするんだ。人の頭に。それで表示される絵は、おれのみているそれとは違うかもしれない。でも、先生の頭の中に、プログラムが書き込まれたのは、事実だ。だから、きっと、先生とおれは、友達になれる。

 勘違いしないでほしいのは、おれには悪意とか、害意はないってことなんだ。ただ、ただ純粋に――一人は寂しいだろう? 誰にも理解されないってのはつらいんだ。だから、仲間が欲しい……って、言ったよな? 友達に、好きな食べ物を勧めるのと同じだよ。同じ感覚を共有したい。……まぁ、こいつはとんでもないゲテモノだけど、まずい食い物だって、一緒に食って、まずいまずいって言い合いたいだろ? これって間違ってるか? まぁ、間違ってるんだろうな。でも、おれはたえられなかったのさ。一人……一人で異常でいることが。おれ一人がフクロウの女にとりつかれているから異常なのかもしれないけれど、みんながフクロウの女に憑りつかれれば、それは憑りつかれていることが正常で、普通で……つまり、それが当たり前って事なんだ。それがおれには、たまらなくうれしいんだよ。

 聞いてくれてありがとう。おつかれさま」

 あっけにとられる私をしり目に、男は嬉しげに笑いながら、診察室から出ていった。

 そんな私を、真正面に立っていた女が見つめていた。

 フクロウのような女だった。

「ほう、ほう」

 女が唸った。

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フクロウの女 洗井落雲 @arai_raccoon

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