第654話 弓月の刻、魔族の村に入る
「テントを張られる場合は中央にある広場を使って下さい。そちらであれば住民の邪魔にはなりませんので」
「わかりました」
「他に質問はありますか?」
「えっと、調理は駄目と言っていましたが、お湯を沸かして干し肉を食べるくらい大丈夫ですか?」
「魔物が寄ってくるような匂いが強いものでないのなら大丈夫です。ただし、広場の水場は共同で使用している為、汚したりしないようにお願いします」
「わかりました。気をつけます」
もしかしたら追い返されるかもしれない。
そんな気持ちで魔族の村へと近づいた僕たちでしたが、意外な事にあっさりと村の中へと入る事ができました。
もちろん、身分証の提示は求められましたけどね。
ですが、逆に言えば村に入る条件はたったそれだけでした。
「入れちゃいましたね」
「うん。もっと警戒されるかと思ったけど、そんな事もなかったね」
言ってしまえば拍子抜けって感じですね。
「でも、その理由はわかる」
「どうしてですか?」
「何もないから」
村の中心には小さな広場があるというので、そこを向かいながら村の様子を眺めているのですが、シアさんの言う通り、何もない場所だなという印象を持ちました。
「宿屋もなければギルドもなさそうだね」
「食事処もなさそうだなー」
「それどころか畑もありませんよ」
そうなんです。
この村に入ってから僕たちが見かけたものといえば、人が暮らすお家だけだったのです。
「そういう事。盗まれるものがなければ警戒する必要はない」
やはり魔族の人は魔素があれば十分に生きていけるって事ですかね?
それなら畑や家畜が居ない事の説明がつきます。
「確かにそうかもしれませんね。ですが、世の中には悪い人は沢山いますよ」
ですが、犯罪というのは何も盗むだけではありません。
むしろ盗みよりも気をつけなければいけない事が他にもあります。
僕たちも旅する中で色んな方に出会いましたが、残念な事にいい出会いばかりではなく、手の差し伸ばしようがないほどに酷い方もいました。
ですが、僕たちが会ったのはその中でもマシと呼べる人達なのかもしれません。
もっと酷い人なんかは、自分の快楽の為に殺人を犯す人も居るみたいですし。
もし、そんな人が普通の人を演じて村に忍び込んだら大変な事になりますよね。
「それは間違いではない。だけど、それを見分けるのは難しい。それに、人よりも魔物の方が危険。魔族領では特に」
可能性だけで考えたら人間が悪さするよりも魔物がやってきて村を荒らす可能性の方がよっぽど高いのは確かですね。
情報では同じ魔物でも魔族領に生息している魔物の方が凶暴みたいですしね。
「後は私達が冒険者だからではないでしょうか?」
「それもあるかもね。いざって時は私達に戦って貰えるかもって頭はあるかもしれないね」
「そうだなー。Bランクならそれなりに信用はあるだろうからなー」
ここに住んでいる方がどれだけ冒険者について詳しいかはわかりませんが、Bランク以上の冒険者は貴族の護衛についた経験がなければなれません。
なので、CランクとBランクでは信用度が格段に違ったりもします。
「という事は僕たちがCランクだったらまた違った対応だったのかもしれませんね」
「その可能性はある」
「ま、考えるだけ無駄だろうけどね」
「そうですね」
とりあえず休む場所がある事を今は喜ぶべきですね。
「で、どこで休めばいいのでしょうか?」
「空いてる所でいいんじゃない?」
「それじゃ、あの辺りなら大丈夫ですかね?」
「一応空いているのか確認した方がいいと思うの」
「後でいちゃもんつけられても嫌だしなー」
そして、村の入口から歩いて数分。
僕たちは村の広場と思われる場所にやってきたのですが、予想外の光景に戸惑う事になりました。
なんと、村の広場はテントだらけになっていたのです。
それでも、どうにか僕達五人が寝泊まりテントを張れるスペースを見つける事は出来ました。
「それじゃ、お隣さんに聞いてみましょうか」
「それがいい。スノー、任せた」
「私なの? まぁ、いいけど……すみませーん」
スノーさんの物怖じしない性格って凄いですよね。
僕も頑張れば出来ると思いますが、緊張して言葉に詰まってしまったり、緊張している事を態度に出てしまったりすると思います。
それに比べスノーさんはそういった感じが全くしないのですよね。
「私も平気」
「でも、面倒だからやりたくないですよね?」
「うん」
「それじゃ自慢にならないと思うの」
的確な突っ込みかもしれませんね。
でも、シアさんが一番肝が座っているのは間違いないと思います。
というよりも、シアさんが焦ったり緊張したりする事ってあるのでしょうか?
僕に関わる事でなら焦ったり取り乱したりした事があるとは聞きましたが、それ以外では今の所記憶にはないのですよね。
「あると思う」
「例えばどんな時ですか?」
「釣りで大物が掛かった時は緊張する」
それはまた違うような気がしますけど、緊張って意味では同じなのでしょうか?
「すみませーん」
そんな会話をしている傍でスノーさんは一人、何度目かわからない呼びかけをテントに向かってかけていました。
「おかしいな。中に人が居るのはわかってるんだけど」
しかし、テントの中からは一向に返事が返ってくる様子はありませんでした。
「もしかして寝てるんじゃないですか?」
「まだお昼過ぎたばかりなのに?」
「だからこそじゃないかー? 今の時間はお昼寝に一番いい時間だぞー」
サンドラちゃんの言う通りですね。
僕たちもたまにお仕事が暇な日はチヨリさんと三人でお昼を食べた後にお昼寝をしたりしていました。
その時間がちょうど今くらいなので、寝ててもおかしくないですよね。
「いや、普通はお昼の時間が休憩だと思うよ」
「うん。お昼を食べたらその後は警邏。そんな暇はない」
「シアさんはよく仕事をサボってお昼寝してるってラディから何度も愚痴を聞かされましたけどね」
「それは多分きのせい」
シアさんは真面目に仕事してるんだと感心しそうになりましたが、やっぱりシアさんはシアさんだったみたいですね。
もちろん、お昼寝するのが不真面目だと言ってませんよ?
お昼寝をする事によって英気が養われて仕事の効率が上がる事だってありますからね!
「ま、とりあえずこうしていても仕方ないしテントは張っちゃおうか」
「そうですね。もし駄目なようなら後で謝って移動すればいいと思うの」
「さいあく、家に帰ればいい」
「せっかくなので、冒険者ぽい雰囲気を味わいたい所ですけどね」
「冒険者ぽいっというか冒険者だけどなー」
そうなんですどね。
ですが、どうしても周りからは冒険者ぽくないと言われてしまうのですよね。
でも、これを見てもそういえますかね?
「では、いつもどおりいきますね?」
「了解」
「任せてください」
「いつでもいいぞー」
「では、行きます!」
「「「せーの!!!」」」
掛け声と共に、僕たちはテントを張ります。
「シアさんお願いします」
「任せる」
シアさんが分身を作り、張ったテントの形が崩れないようにフレームを組み立てて行きます。
「できた」
「はい! では後はこうして……」
あとはテントが風で飛ばされないように杭を打ち込めば……。
「完成ですね!」
あっという間にテントが完成しました!
まだテントを取り出してから一分も経っていませんよ?
この作業をみたらどこからみても大ベテランの冒険者にしか見えない筈です。
「まぁ、胸を張って威張れる事ではないけどね」
「それは言わない約束ですよ」
でも、これで今夜の寝床は一応確保はできましたね。
問題はご近所さんと上手くやれるかどうかですが……まぁ、一晩だけですし、きっと何事もなく終わりますよね。
攻撃魔法は苦手ですが、補助魔法で頑張ります! 緋泉ちるは @tiruha-hiizumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。攻撃魔法は苦手ですが、補助魔法で頑張ります!の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます