能ある梟
長廻 勉
能ある梟
「梟は親を食うぜ。」
既に時刻は明日を間近に迎えようとしている。
裸電球にごま塩を振ったような赤ら顔で、組長は灰色の不精髭を撫でた。
「親父、突然どうしたんすか?」
ヘラヘラとした面長の優男は、苦笑しながら組長の空いた盃に酌をした。
「つまり下の奴には気をつけろって事だよ。昔から梟ってのは親を喰うって言われててな、それになぞらえて下克上で伸し上がる野心家のことを梟雄って言ってたんだよ。」
「ほぉほぉ。」
何処まで自分の話に関心を持っているか知れたものではないが、それでも態度だけは愛嬌のある様子で頷く優男。
「かくいう俺も、今の組を先代からまともな方法で受け継いじゃいねぇから言えた義理じゃねぇけどよ。そういう奴は、親の前じゃ愛嬌振りまいて、賢いお頭とスケベ心を隠しやがんだよ。俺がそうだったみたいにな。」
下衆な笑いを浮かべる組長につられて、優男も一緒になって笑う。
「うわっこっわ!……て言うか、今の話なら俺が親父を裏切ることになりません?」
「なんでだよ?」
「だってほら、親父だって俺の愛嬌に惚れて傍に……。」
優男が言葉を言い切るより前に、大きな衝撃が机の上に広がり、暴力的な音が店内中に広がった。
「馬鹿野郎!!テメェみたいなのに寝首かかれるほど落ちぶれちゃいねぇよ!!」
組長が机の上に頑固な握り拳を乗せて、沸騰した薬缶の様に湯気を立てている。
優男は慌てて組長を宥め、喧騒の止んだ店内を見渡した。
店内の客も従業員も、こぞって好奇の視線をこちらに向けている。
「オラ!見せもんじゃねぇぞ!!」
優男の顔には似つかわしくない攻撃的な言葉は、ラジカセのスイッチの様に再び店内を喧騒に溢れさせた。
優男は再び組長の方へ向き直って、表情をまたいつものヘラヘラした物へと変えた。
「でも、分かりませんよ。能ある鷹はなんとやらですし。」
「組に一番金を納めておいて今さら隠す爪もねぇだろ、お前は。ったく、同じ猛禽類でも鷹と梟を一緒くたにしてんじゃねぇっての……。」
既に興奮が収まった組長は、呆れ顔で時間を気にする素振りを見せた。
そして、盃に満たされた中身を一気に飲み干すと席を立つ。
「そろそろ帰るわ、これで会計しとけ。」
組長は懐から財布を取り出すと、紙幣を2枚ほどテーブルの上に放る。
「タクシー呼びましょうか?」
「良いよ、今日の帰りはすぐそこだ。」
「てことは、またあの女のとこですか。」
「うるせぇよ。」
口ぶりこそ憎まれ口を叩いている組長だったが、その表情はにやけている。
そして、そのまま優男に背中を向けると店から出ていた。
優男はヘラヘラした表情のまま、その背中が見えなくなるまで見送った。
優男は店を出ると、適当なところでタクシーを掴まえた。
停まったのは、最近はあまり見なくなった武骨に角張った黒いクラウン。
乗車すると案の定、蓄積された煙草の臭いが車内に広がっていた。
優男はそれには構うことなく、そのままタクシーへと乗車する。
「どちらまで?」
「〇〇駅の北口。」
「かしこまりました。二九六、ご乗車、〇〇駅。」
タクシーはゆっくりと夜の中を駈け出した。
優男は一度後部窓を確認する素振りを見せると、おもむろに携帯を取り出した。
「もしもし、おぉ、俺だよ。それじゃ、手筈通りに。おぉ、そうだ、親父の方は確実に殺れ。女の方は後始末をキチンするならお前らの好きにしろ、じゃあな。」
優男は通話を切ると、スーツの胸ポケットから煙草を取り出し火を付けた。
小さな灯の先から紫煙が揺らめく。
「お客様、乗車中の喫煙はご遠慮……。」
「るせぇよ!ここは充分煙草くせーだろうが。」
運転手の言葉を遮り、我が物顔で紫煙を楽しむ優男。
胸いっぱいに広がる恍惚感から来るにやけ面は、次第に愉悦の笑みへと変わる。
そして堪え切れなくなった喜色の感情が一挙に笑い声となって破裂する。
組へ入ったのは大学卒業後、すぐだった。
その時兄貴分だった人間は、二年で自分の部下になった。
そして、さらに三年後。
三十にもならぬうちに、組への上納金の額が一番となった。
組長も最近では若頭ではなく、もっぱら自分と行動を共にしたがる。
若いうちから金を運んでくる組員が可愛くて仕方がないのだろう。
組長だって引退後は、組を自分に任せたいはずだ。
しかし、あの腕っぷしと馬鹿正直なだけが取り柄の若頭がそれを認めるはずもない。
さらに厄介なのが、その馬鹿な人柄故か、若頭は妙に組の馬鹿どもから慕われている。
自分が組を継ぐともなれば、組が分裂しかねない。
だから、組長を殺す。
そして優男は、その下手人を迅速に見つけ出して始末する。
こうすれば、いやがおうにでも優男の発言力は大きくなるのだ。
下手人は飼っていたチンピラ達にやらせることにした。
あの馬鹿どもなら、少し甘い事を言えばどんなことでも喜んで引き受ける。
チンピラ達から組長を始末した報告を受けた後、今度はチンピラ達の寝倉に組の部下を向かわせる。
こうすれば、真相を知る人間は優男一人になるわけだ。
組長の座が中指の先にまで届こうとしている状況に優男は陶酔し、しばらく周りが見えていなかった。
ふと辺りを見渡すと、いつの間にか周囲はタクシーのヘッドライト以外どこを見ても闇一色に染まっていた。
優男は、直観でここが森の中だろうと察した。
どうやら、タクシーの運転手が道を間違えたらしい。
「テメェ、ふざけんなよ!?どこに目ぇ付けて運転してんだ、コラぁ!?」
優男は、怒鳴りながら運転席を押すように勢いよく蹴った。
しかし、運転手は少し体が揺れたのみで動じることは無い。
そして、優男と運転手の視線がバックミラー越しで勝ち合った。
「いや、この道であってますよ。なんせ、ここは近道なんでね……。」
静かに小さく声を出す運転手。
しかし、その途端にタクシーはタイヤから悲鳴を上げて急停車する。
思わず運転席につんのめった優男は、素早く状態を起こして馬鹿な運転手にヤキを入れようと顔を怒らせた。
が、怒りはそこで急速になえていく。
「地獄への直行便、コイツはそのパスポートだ。」
優男の目に、運転手の帽子を脱いだ若頭の冷たい視線が刺さる。
そして、その手に握られていた鈍く光る物体は、その中心にある深淵によって優男の精神の息の根を止めていた。
若頭は拳銃を優男に向けたまま、携帯を取り出す。
「ネズミを捉えました。えぇ、分かりました。」
そして、若頭は優男に携帯を渡す。
「組長からだ、早くとれよ。」
震える手で若頭の携帯を受け取った優男は、おそるおそる携帯を耳に当てる。
「もし、もしもしゅ」
「おぉ、お前か。いや、惜しかったな。良い線行ってた思うが、これじゃ梟にゃおよばねぇ。」
携帯の向こうからは優男の心情を裏返したかのような、女の嬌声と組長の笑い声が聞こえてくる。
「最後に良い事を教えといてやるよ。梟にゃ鷹みたいな隠す爪は無い。けどな、森の賢人って言われるくらいに賢い頭、そしてそれを隠すための愛嬌があるのさ。だが、梟と鷹の一番の違いは……。」
「梟はな、鳥のくせに夜目が利くんだよ。」
若頭の冷たい視線が、優男の心を氷漬けにした。
全て、見透かされていたのだ。
その上で自分は泳がされていた。
今、この時になって、組長が何故自分と一緒に行動を共にしていたのか分かった。
目の前の現実がどんどんと遠ざかって行く感覚。
「テメェ!こら、聞こえてねぇのか!!さっさと、若頭に代われってんだ!」
組長の怒鳴り声で、優男は意識を現実に引き戻した。
そして、未だ震える手で若頭に携帯を渡す。
携帯から漏れ出る組長の声で、二人の会話の内容が推察できた。
「よぉ、今回も良くやってくれたな。お前は俺の切り札だよ。」
「いえ、自分は特に。」
「結局、お前みたいな実直で不器用な奴が一番可愛いって事だな。」
「恐縮です。」
「じゃあ、後は手筈通りに頼むぜ。」
そこで会話は終了した。
若頭はしばらく携帯の画面を眺めていたが、不意に崩した表情で優男を見た。
「俺ぁ、昔から夜目が利くみたいでな。なんか企んでいる奴はピンと来るんだよ。」
「すいません!ホント、すいません!出来、出来、その組長を殺すなんてそん。」
優男の取乱す様子を若頭は苦笑しながら宥める。
「なんも言ってねぇだろ。組長の言うとおり、俺は夜目は利いても不器用でいけねぇ。だから、今まで可愛い実直な部下を演じて、自分の野心を殺してきた。」
そして、若頭は真剣な眼差しで優男を見た。
「お前は器用な奴だ、商才だって並じゃない。そこで提案なんだが……。」
「お前、俺の切り札になれ。」
若頭の言葉は、優男はそれまで感じていた恐怖を徐々に薄めていく。
代わりに後頭部から徐々に熱っぽさが広がっていった。
「夜目が利いて愛嬌のある俺と、賢いお前。二人そろえば、一人前の梟だろ?」
若頭の目が危なく笑った。
「あ、あの、断った場合はどうなりますか?」
「そりゃ、俺は組長の愛い部下に戻るだけだ。言っている意味、分かるよな?」
優男は黙って頷いた。
若頭はそれを了承の合図と受け取ったのか、後部座席の自動ドアを開けると優男に降りるように促した。
優男は促されるまま外に出る。
するとタクシーの後ろには、いつの間にか艶っぽい黒ボディの最新型クラウンが停まっていた。
「乗れ、話は車の中でだ。」
若頭に続いて最新型クラウンに乗り込む優男。
そして、梟は深い森の闇へと消えていった。
能ある梟 長廻 勉 @nagasako
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