「獣化アソートType:13BlackOwl」

呑竜

「獣化アソートType:13BlackOwl」

 ──けんちゃんは逃げて! 日奈ひなちゃんはわたしがなんとかするから!


 緑子みどりこに言われた通りに逃げ出してからしばし──


 僕はまだ、廃工場にいた。

 敷地内にいくつか建っている建物の、一番端の二階。

 プレス機のような大型機械の脇にしゃがみ込み、息を殺していた。

 精一杯に体を丸め、手の甲を噛んで叫び出しそうになるのを堪えていた。


「ふー……っ、ふー……っ」


 腕時計もスマホも無いから正確な時間はわからないが、時刻はおそらく19時か20時ぐらい。

 スーパームーンの下、行動自体には支障ないが、隠れている人間を見つけ出すのは施設の大きさからいっても至難の業。


 黒服たちの人数は多くたってせいぜい10人程度だろうから、シラミ潰しにするのだって時間がかかる。

 どうせ脛に傷持つ奴らだろうから、時間をかけたり、必要以上に騒いだりということはしないはずだ。


「……僕は大丈夫。……僕は死なない」


 じわりと目に、涙が浮かんだ。

 あまりにの情けなさで、頭がクラリとした。


 生き残りにかけるのは悪い選択じゃない。 

 生存本能に従うなら、むしろこれがベスト。


「だけどこのままじゃ……」


 緑子はおそらく、僕にこう言いたかったはずなのだ。


 ──賢ちゃんは逃げて! 日奈ちゃんはわたしがなんとかするから! だから・ ・ ・ お願い・ ・ ・助け・ ・を呼ん ・ ・ ・で来て ・ ・ ・

 

「無茶言うなよ……」


 血が出るほどに強く、僕は手の甲を噛んだ。


「僕にそんなこと、出来るわけないじゃないか……」


 チビで痩せで、運動神経はゼロ。

 しかも逃げてる時に右の足首を捻ってしまった。

 今もズキズキうずくように痛み、とてもじゃないがスピードは出ないし、長距離も走れない。

 この廃工場から町中まで少なくとも4キロ以上はあるだろう道のりを、黒服たちに見つからずに踏破するなんてこと出来るわけがない。


「いったいどうしたらいいっていうんだよ……」


 ぶつぶつとつぶやいていると、遠くから悲鳴が聞こえて来た。


「……日奈!」


 間違いない、日奈の声だ。

 中学生に上がったばかりの妹が、ギャンギャンと泣きわめいている。


 ──ちょっと! 乱暴にしないでよ!


 大きな声で抗議しているのは緑子だ。

 気が強くていつだって泰然としている緑子が、いつになく余裕のない様子で叫んでいる。


 ──日奈ちゃんは中学生なのよ!? そんなに振り回さないで……ってきゃあ!?


 ……悲鳴だ。

 産まれて初めて聞いた、緑子の悲鳴。


 女だてらに空手なんかやってて、しかもけっこう強くて。

 一年生にしてインターハイ出場が決まってるようなあの緑子が、悲鳴を上げた。


 ──やめっ……そんな……っ!


 殴打音のような、くぐもった音が立て続けに聞こえた。

 そのつど緑子は悲鳴を上げていたのだが……不意に途絶えた。

 殴打音も聞こえなくなり、辺りには痛いほどの静寂が降りた。


「……緑子っ」 


 堪らず立ち上がった。

 右足首がズキリと痛んだが、そうせずにはいられなかった。


「……緑子っ」


 なんとかしなければならないと思った。

 今すぐ行って、なんとかしなければと。


 でも現実問題として、僕にはなす術がなかった。

 逃げて助けを呼ぶことも、駆け付けて救い出すことも。


「何かっ……」


 僕は無力だ。

 あまりにも愚かで、救いようがない。


「何かないかっ……?」


 転がるようにして、そこら中を探し回った。

 プレス機の下に、工具入れの中に、あるはずのない都合のいい武器や、あるいは外部への連絡手段を探して。


「頼むから何か……っ」


 やがて──


「何かあってくれ……っ」

「──うるせえよ、小僧」


 びっくりして、僕はその場に立ち尽くした。

 洗い場の洗濯槽の横に、男がひとり壁に背をもたせるようにして座り込んでいたのだ。


「な、な、な……っ?」

「男がぎゃんぎゃんわめくんじゃねえ」


 男はうるさげに顔をしかめた。


「あ、あんたはいったい……?」


 四十がらみの、白髪交じりの髪をオールバックにした男だった。  

 灰色のスーツを着て、黒い革靴を履いている。

 一見サラリーマン風だが、いかにも荒事に慣れていそうな、陰惨な雰囲気がある。


「あんた……怪我を……?」


 男は腹をハンカチで抑えているが、そのほとんどは赤色に染まっている。

 スーツや床にも染みがあり、その量は素人の僕ですら致死量だと思えるほどだ。


「しくじったのさ。欲をかきすぎた」


 男は自嘲気味に笑った。


「おまえらは学生か? 巻き込まれたのか」

「そうだよ。僕たちは肝試しに来ただけなのに……」


 揃いの黒服を着た男たちと、サラリーマン風の男たちの抗争に巻き込まれた。

 抗争自体は一方的に片付いたが、目撃者となってしまった僕たちは追われる身になってしまい……。


「妹が転んで怪我して、緑子がフォローしようとしてくれたんだけど……」

「揃って捕まって、てめえはこんなとこでのうのうとしてるってか? いい性格してんなあ」

「そんな言い方……っ」


 頭にカッと血が上ったが、だからといって何が出来るわけじゃない。

 僕はひ弱で、気弱で、ケンカだって一度もしたことがない。


「……悪かったな。ついつい、いつもの調子が出ちまった。素人さんに言うこっちゃなかったな」


 意外にも、男は謝ってくれた。


「今わの際になってヤキが回るってやつかな。ちっ……情けねえ」


 舌打ちすると、驚くほどに澄んだ瞳を僕に向けてきた。


「なあ小僧。獣化アソートって知ってるか?」

「じゅうか……あそーと……?」


 聞いたことがあるような……たしかニュースサイトで……。


「えっと……たしか人間を獣化する薬で……中東のテロ組織が創ったとか……。人間爆弾よりも効率の良いなんだとか聞いたような……」

「それだけ知ってりゃ十分だ」


 男は薄く笑うと、懐から何を取り出した。


 それは、一見するとチョコバーか何かのように見えた。

 茶色の包装紙に包まれていて、ど派手な書体で商品名が書かれている。


「『Beastinizer Type:13BlackOwl』出来立てホヤホヤの新作だ。人の中の『眠れる95%』を無理やり叩き起こして変容させる。素手で鋼板を叩き割ったり、翼で空を飛んだり、爪で人を削ぎ殺したり……。にも関わらず持ち運びは容易で、金探にも熱探にも引っ掛からない。これからの戦闘を激変させる神秘のチョコバー。様々な獣化タイプがあるから、通称獣化アソートお菓子の寄せ集め


 男はポイと、獣化アソートを投げて寄こした。


「え、え、え……っ?」

「気を付けろよ。それが最後の一本なんだ」


 思わず取り落としそうになった僕を、男はジロリとにらみつけてきた。


「そいつを鞄いっぱい捌こうとしたんだ。金は貰いつつ物は渡さず、自分たちだけがいい目を見ようとして失敗した」

「これを……僕に……?」


 そこまで言われてわからないほど鈍感じゃない。


「僕にも……獣化出来るの?」

「出来るさ。誰にだって」


 男はうなずいた。

 顔色は蒼白だったが、その目には不思議な力強さがあった。


「死ぬ気になりゃ、なんだって」 

「……」


 死ぬかもしれないのかよ。

 一瞬弱気になりかけたけど、すぐに考えを改めた。

 

 そうだ。

 これがあれば、僕にだって緑子が救えるんだ。

 日奈も救えて、3人で家に帰ることが出来るんだ。


 ──賢ちゃんってホントにじゃくよね。強弱の弱。

 ──もうちょっと覇気ある顔出来ない? 男なんだからさ。

 ──まあそういうところも嫌いじゃないけどね……って、そういう意味じゃないからね!? か、勘違いしないでよね!?


 脳裏を駆け巡るのは、緑子とのこれまでだ。

 家が隣の幼なじみで、いつだって一緒にいた。

 家族ぐるみの付き合いだったから、緑子が空手を習うようになってからも会う機会は減らなかった。


 ──何寒そうにしてんのよ。寒かったら動くっ。ほら足踏み、イチニーイチニーっ。

 ──これ……家庭科実習で作ったの。チョコだって。別に時期的なあの催しとかとは関係ないからね。勘違いしないでよね。

 ──……あーでも、お返しはちょっと欲しいかも。その……ホントになんでもいいんだけど……。ふたりでどっか遊びに行くとかでもさ……。


 迷いはすぐに消えた。

 怖さも薄れ、気にならなくなった。


「食べます」

 

 包装紙を破くと、ごってりしたアメリカンなチョコバーが顔を覗かせた。


「食べて、戦います」 


 目をつむって、一気に頬張った。

 にちゃにちゃと口内に張り付くような独特の食感が不快だが、味は驚くほどに深みがあり、美味かった。


「小僧──」


 男が何かを言っているが、僕にはもう聞こえなかった。


 胃の腑で生じた爆発的な熱は、即座に全身に伝わった。

『眠れる95%』──人間が使っていないとされる休眠細胞が、一斉に目覚めた。

 メキメキと音を立て、ミシミシと軋み、急速に僕を変容させていく。


 両脚がパンと張り詰め、つま先には鉤爪が。

 両腕がパンと張り詰め、腕の外側に翼が。

 全身を覆うように黒色の羽毛が。


 何より最大の変化は頭部だ。

 大きく膨れ上がり、耳は羽毛の下に隠れた。

 目はまん丸になり、角膜が大きく盛り上がった。

 口は嘴となり、鋭く尖った。


 内的な変化も凄まじいものだった。


 視界は大きく開け、暗がりでも昼間みたいに物が見える。

 聴覚は立体的に研ぎ澄まされ、遠くの出来事が手に取るようにわかる。


 ──おい、こいつ死んだんじゃないのか?

 ──だから言ったじゃねえか、やりすぎるなって。

 ──俺、死んでてもいいや。ちょっと楽しませてもらうぜ。


 殺す。

 そう言ったつもりだけど、口から出たのはまったく別の音だった。

 ホウと甲高いそれは、まさしくフクロウの鳴き声だった。


「小僧、やっちまえ」


 男はそれだけ言うと、大儀そうに目を閉じた。


 僕は答える代わりに床を蹴った。

 窓を突き破り、即座に羽ばたいた。


 飛んだ。

 重力の重みを振り切るように、上へ上へ。

 スーパームーンへと辿り着いてしまいそうなほどの勢いで。


ホウ見つけた


 眼下百メートルほどのところに、黒服たちの姿が見えた。

 服を剥かれた日奈と緑子がぐったりと倒れ伏し、そこへひとりずつがのしかかっているのがよく見えた。 


ホ、ホウ一瞬で殺す


 鳴き声を上げるなり、僕は猛スピードで降下を開始した。

 そしてそれが、僕と組織との長い長い戦いの始まりだった──


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「獣化アソートType:13BlackOwl」 呑竜 @donryu96

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