切り札はジョーカー
高梯子 旧弥
第1話フクロウ
今年こそは落ちるわけにはいかない。そう意気込んで勉強を取り組んでいたのはいつまでだっただろうか。別に今はもう勉強をしていないわけではない。けれど受からなければいけないという理由は変わった気がする。現役の頃は単純に良い大学に行きたいだけだった。しかし浪人してしまった今は違う。現役の頃に行きたかった大学も『浪人したなら』という理由でさらに上の大学を志望しなくてはならなくなった。「そんなの関係なくない?」と思われるかもしれないが違う。こういうのは浪人した当事者よりもその周辺のほうが気にするものだ。例えば親とか。
浪人生に休日はない。毎日のように足を運ぶ予備校。友人と一緒に通っている奴らも休憩時間はどこにでもいる若者のようにはしゃぐが、勉強中の集中力は凄まじいものだった。殺気すら覚える気迫。それだけ今年に懸けているのだろう。
それは僕も同じである。僕は一人で通っているため、彼らのようにはしゃいだりはできないけど、休憩時間くらいは休むようにしている。予備校での休憩時間が一番精神的にも休まる快適な時間だった。
現役の頃の最初の山場といってもいいのが夏だった。当時の僕ももちろん夏休みに入ったからといって遊んでいたわけではない。長期休みの間にいかに『学校の勉強』ではなく『受験勉強』をできるかが鍵であった。加えて夏には受験の指標となる模試も行われるので頑張りも一入(ひとしお)だ。
今年はもうその時期も終わり、模試の結果に少し喜んだりしたのは良い思い出だ。もう十二月になり、すぐに年が明け、センター試験がやってくる。そう思うと胃が痛む。
それよりも胃が痛くなることがある。それは家に帰ることだった。
「ただいま」
家に帰ると母親がご飯を作っていた。僕は「ご飯ができたら呼んで」と言って、部屋へと足を進めた。
部屋に入るなりもう一度「ただいま」と言った。それは飼っているフクロウに向けたものだった。このフクロウは別れる前に両親が欲しがっていたわけでもない僕に買ってくれた。一人っ子で寂しいだろうということらしい。名前は両親が決めて福(ふく)という。『フクロウ』の名前の由来の一つから取ったみたいだ。
家で母親と二人きりだったら本当に気が滅入ってしまうけど、福がいるからまだ平気だった。特段、福は大きな反応をしてくれるわけではないけれど、その可愛らしい見た目とどこか風格のある様が同居している感じが好きだ。そんな福を眺めていたら母親から声がかかった。せっかく福で癒されていたのにこの後何か言われるのではないかと思うと足取りが重くなる。今日は何もなければいいなと思いながら部屋を出た。
夕飯の準備を終え、食卓に母はいた。僕も椅子に腰をかけて食事を始めた。
最初のうちはお互い無言で食事を進めていたが、食べ終わる頃を見計らってか、母が口を開いた。
「勉強のほうはどうなの? 夏の模試での結果から上がってるの?」
「ん、まあそれなりには」
「それなりって。そんな感じで大丈夫なの? 今年はもう逃せないわよ」
「わかってるって」
「本当? 全然勉強の話してくれないから心配だわ」
またかとうんざりする。僕くらいの年齢だと反抗期じゃないにしろ、もうとっくに親離れが済んでいる人が多いのにそれを理解しないで僕からのコミュニケーションを要求されると少しイライラしてくる。しかもその内容が誰がどう考えても浪人生に一番気を遣わなくてはならない勉強の話である。それにいちいち真面目に取り合っていたらこちらの気がおかしくなってしまう。
僕は早く自分の部屋へと戻るためご飯を口の中に押し込むようにして食べ「勉強する」とだけ言って部屋へと急いだ。
部屋に着くなり大きな溜息が出てしまう。毎日、というとさすがに大袈裟だけど、なかなかの頻度でああいう風に詰問されると正直つらい。しかし苛立ってしまう原因は自分にもあった。最近の模試の成績は落ちていたのだ。確かに模試がすべてではないけれど、センター試験が迫っているなかでの成績低迷は僕を焦らせているのは確かだ。なので、母親に訊かれたときも曖昧にするしかなかった。
このままではまずいのはわかっている。去年より志望校のレベルを上げているが、去年と同様に下げるべきか。しかしそれで納得してもらえるとは思えない。『学歴社会』なんて言葉を鵜呑みにするような学のない母親なのだ。今から志望校下げると言ったら「この一年無駄だった」とか発狂しかねない。
ならば腹を括(くく)って予定通りの学校を受験するしかない。成績が芳しくないといっても一応は合格する見込みはあるラインだ。二浪はできないから最悪滑り止めの大学に行けばいい。そう思い込むようにした。
カレンダーを見てセンター試験まであと約一ヵ月なのを再確認し、自分に気合を入れて勉強を始めた。
ついに訪れたセンター試験。今までやれることはやった。あとは全力で臨むのみ。国立を受けるためにはセンターで一定以上の点を取らなければ足切りされてしまう。それだけは何としても避けたい。
遅刻で受けられないなんてことがないように余裕をもって会場入りした。現役の子たちは大体が制服で来ているが、僕たち浪人組は私服で行くしかない。ここに私服で来ることが浪人の証みたいで嫌だった。
しかし試験の時間が近づいてくるとそんなことを考えている余裕がなくなった。周りの人も物音すら立てずにじっとしている。一年前も受けたはずなのにこの緊張感には全然慣れることはできなかった。
二日間のセンター試験のすべての科目を受け終えた僕は放心状態になった。試験中のことを何も覚えていないのである。だから手ごたえがあったのかどうかわからない。正直、自己採点するのがこわい。けれどやらなければ自分のためにもならないし、足切りになるのかもわからない。今日はもう気が進まないので明日予備校で自己採点することにした。
自己採点の結果はぎりぎり足切りを免れるだろう点数だった。予備校の講師にも例年よりも足切りラインが高くなってもこの点数だったら大丈夫だろうと言ってもらえた。それ自体は安心したけれど、思っていたよりは点数がだいぶ低かったので内心では焦っていた。
このままでは国立も落ちる可能性のほうが高い、そんな考えが頭を占領した。
家に帰ったら早速自己採点の結果を訊いてきた。ここで誤魔化すこともできずに素直に言うと、少し落胆したような表情をした。
僕は部屋に行き、一息ついた。勉強をしなければと思いつつもなかなか身体が動かない。国立前期試験まで時間はわずかしかない。それまでにどこまで追い上げられるかが重要なのに、頭ではわかっているのにそれでも動かない。
これではだめだと思い、一回気持ちをリセットしようと福のほうを見た。福はいつもと変わらずそこにいてくれるだけで気分が楽になる。フクロウの名前の由来の一つに『不苦労』からきたというものがあるが、残念ながら飼い主である僕は苦労してしまっている。福をゲン担ぎのために飼っているわけではないけれど、こういう行き詰まったときには縋(すが)りたくなるものだ。
その時ふと思い出したことがある。そういえばフクロウの名前の由来の一つに……。
とうとう国立前期試験日。この一年やれるだけのことはやった。前日にはあれも食べたし大丈夫。そう自分に言い聞かせて試験に臨んだ。
試験を終えての感想は思ったより手ごたえがあったような気がする。これで試験もすべて終わったという達成感も相まってか、いつもより足取り軽く家路を歩けた。もうすぐ家に着くといったときに異変に気付いた。パトカーが数台止まっていたのである。おそるおそる近づくと警官の一人が近づいてきて、
「家(いえ)沼(ぬま)聡(さとし)くんかな?」と訊かれ僕が頷くと、
「家沼眞名(まな)さん殺害の容疑で逮捕する」そう言われて警察も仕事が早いものだと驚いた。
パトカーに乗せられ、警察署の取調室に連れられ根掘り葉掘り訊かれた。
僕はすべて正直に話した。人間の脳を食べれば頭が良くなると思ったこと。福を見てフクロウは母親を食べて成長すると考えられていたから母親の脳を食べれば受験も大丈夫だと思ったこと。それを聞いた警官たちは険しい顔をしていた。
僕は未成年だから少年院に入れられるのか。それとも精神鑑定に出されて責任能力を問われるのかどうなるのかはわからない。
そんな自分のことより母親も僕もいなくなってしまってこれから福はどうなってしまうのかのほうが気になった。
福は僕に受験を乗り越えるためのヒントをくれた切り札のような存在だと思ったけど、現状を見るとどちらかといったらジョーカーだったのかもしれない。そう考えると可笑しくなってつい笑みが零れた。
切り札はジョーカー 高梯子 旧弥 @y-n_k-k-y-m
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます