泣けないあたしと笑わない僕
くにたりん
第一話 泣けないあたし/ 笑わない僕
あたしは東京生まれ東京育ち。
都会でしか暮らしたことがないから、田舎の自然にはちょっと憧れる。でも、狩の経験はゼロだから、ずっとそこで暮らす、っていう選択肢はないかな。
確かに魅力的ではあるけど、毎日、頭のおかしいカラスどもと喧嘩するのはゴメンだわ。あいつら、ホントにしつこいんだもん。
時々、ベランダからこっちを睨んでくるの。生意気じゃない? 部屋には入ってこれないから、無視してるけどね。
いわゆる、あたしは箱入り娘。大自然の田舎暮らしになったら、スローライフどころか、サバイバルになっちゃう。
ここに居たい理由は、他にもあるわ。今、一緒に暮らしている彼氏の存在よ。ユズルっていうの。
二人っきりの生活を始めてからかな。彼、ちょっと変わった。元からシャイではあったけど、以前はもう少し笑っていたもの。恥ずかしそうにね。それが愛しくって。
ユズルと暮らし始める前は、彼のご両親に育てられたんだ。生まれた時から、許嫁として、この家にもらわれてきたってわけ。
無口で人付き合いのない、とっても大人しいユズルに比べて、彼のご両親はすごく社交的で愛情表現も過剰なくらいだったわね。とにかく、とても優しくて。大好きな人たちだった。
あたしに食事をさせてくれたのはお父様の方。お母様は料理が苦手だったみたい。冷凍庫のマウスを見て、最初は悲鳴を上げてたっけ。
ユズルの指は細くて長くて、本当に美しいの。お父様の手にそっくりだわ。ユズルの手から食事をもらう時、思わず見とれちゃうもの。
いつからかしら、ご両親の姿を見かけなくなったのは。
二人の優しい顔は、今でもよく覚えてる。
部屋の片隅にある小さな黒い木のタンスを開くと、ユズルと一緒に映った写真があるのね。あたしが不満なのは、そこから二人が出てきてくれないってこと。
毎朝、ユズルが神妙な顔をして目を閉じると、写真に両手を合わせるの。そんな彼の後ろ姿を見るのは好きじゃない。なんだかとても寂しそうなんですもの。
そういう時は嫁の出番じゃない?
だから、あたしはそっと静かに、ユズルの肩に止まるの。
ご両親がいる頃、あたしは基本的にはゲージの中にいたんだけど、ユズルは自分が寝る時以外は、いつも野放しにしてくれてる。
おかげさまで、あたしはユズルの元へ自由に羽ばたけるわ。互いに頬を寄せて、愛を確かめ合うためにね。
写真に手を合わせた後、いつもユズルはあたしを腕に乗せて、額や体を指先で丁寧に撫でてくれるのよ。
その時だけ、ユズルはあたしを撫でながら、苦しそうに笑うの。自分の旦那に、そんな顔を見せられたら、嫁としては泣きたくなるわよね?
まあ、でも。
あたしはユズルのように涙を流せない。
だから、心で一緒に泣くの。
ちなみに、あたしはヨーロッパコノハズクの女の子。名前の響きからして、祖先は遠い国の王宮にいたのかしらね。あくまで想像の範囲なんだけど。違うのかしら。
話が脱線しちゃった。
今はそんなこと、正直どうでもいいわ。
目下、あたしの小さな頭を悩ませている問題があるの。
ユズルが動かないこと。
今朝、いつものように、お父様とお母様の写真を二人で眺めていたら、急にユズルが苦しそうに顔を歪めたの。胸に手を当てて、呼吸も荒くなってきた。
物凄く辛そうなくせに、必死になってポケットから何か四角いものを取り出してたわ。
あたしは近代的なものには弱いから、彼が何をしていたのか検討もつかないけど、なんだか一生懸命に指先で叩いていたわね。
しばらくして、その表面が光ったっけ。
彼はちょっぴり安心したみたいで、口元を綻ばせてた。それを見て、あたしもホッと胸を撫で下ろしたわ。
でも、ユズルが痛みを堪えるような、苦しげな表情は変わらなかった。っていうか、むしろひどくなってる。
嫁なのに、ユズルに何もしてあげられない。
あたしは顔も可愛いし、スタイルも悪くないんだけど、頭が良い方ってわけじゃないのよ。残念なお話だけどね。
それでも、自分に出来ることを精一杯考えたわ。
出てきた答えは一つだった。
彼の側にいること。
本当にそれしか思い浮かばなかったの。
床に倒れこんだ彼の元へ、あたしは急いで駆け寄ったわ。震える体に寄り添って、あたしの羽でユズルを温めればいいんじゃないか、って素敵なアイデアも浮かんだ。
大丈夫? って声を掛けてみたの。
あたしはずっとどこまでも、ユズルの側にいるからね、って。
いつも悲しそうに黙り込み、笑わなくなったユズル。でも、あたしは知っている。あなたがとても優しい人だってこと。
時々、お部屋の向こうで泣いていたことも知っている。何があったのか、あなたは話してくれないけど、あたしはあなたの力になりたい。
悲しいけれど、彼にあたしたち種族の言葉は理解できないのよね。それでも、声をかけずにいられなかった。
言葉にできないほど、ユズルのことを愛しています。だから、早く目を覚まして。ここでずっと待っているから。ってね。
どうすれば、この想いを伝えられるのか、どうすればユズルを救ってあげられるのか。
あたしはやっぱり分からなくて、ただ、側にいるしかできなかった。
**********************
エリザ。
いい名前だろ?
気に入ってくれていたんだろうか。
僕がつけた名前だ。
言っておくが、最初に君を見つけたのは、この僕だ。
だけど、僕は人と会話するのも億劫で、甲斐性なしのダメな男。もう二十歳だぜ。年齢だけなら立派な成人男性なんだけどね。
そんな僕は言葉の通じない君とでさえ、どう向き合えばいいのか分からなくて、結局、ヒナから育てたのは父さんと母さんだった。
僕はただ、遠巻きに君を見るくらいだったけど、時折、君は僕の元に来てくれたよね。
特に父さんが溺愛していたっけ。
それが懐かしくて、また泣けてくるよ。
父さんと母さんが旅先の事故に巻き込まれ、帰らぬ人となった。正直、君を他所にやろうか本気で悩んだんだ。
でも、そうはしなかった。
出来なかった、と言ったほうが正しいな。
君は両親の形見のような気がしてね。それに、君は知らないと思うけど、僕もエリザのことが可愛かったんだ。
いつだって、君は僕が泣きそうになったり、寂しく感じていると、すぐに僕の側に飛んできてくれた。
エリザには僕の心が見えていたのかな?
こんな時に、何を考えているんだ。もしかして、これが死ぬ前の走馬灯ってやつか?
この発作は、これが初めてじゃない。とは言っても、別に何か薬を飲んでいたわけでもない。
いつもなら、長くても数分で症状が治まるからだ。変な話だが、少し状況に慣れていたのかもしれない。
でも、今回は様子がおかしい。
長いんだ。
両親の位牌に線香を上げ、写真に手を合わせていた矢先のことだった。
手遅れになる前に、救急車を呼ばなければ。
体の異変を感じ取り、そう思ったのは確かだ。
体を起こしていられず、前のめりに倒れたまま、僕は必死になって、パンツの後ろポケットからスマホを引き抜く。
連絡を送った相手は、同じ大学にいる唯一の親友だった。幾度も電話を掛ける余力がないなら、僕は最後に彼を選んだ。
彼ならば、エリザのことを頼めると思ったからだ。
肺から喉までを真綿で締め上げられるようだ。刃物とは違う痛み、いや息苦しさが、僕を世界から引き剥がそうとしている。
圧迫される胸の痛みと戦いながら、僕はじっと親友からの返事を待っていた。たったの数秒が永遠のように長く感じる。
その時、エリザがおぼつかない足でこちらへやってきた。うっぷしていた顔を少し横にずらしてやると、冷や汗が流れる僕の頬に、可愛らしい頭を寄せてくる。
その柔らかな羽と温かさが、どれだけ僕の心を鎮め、慰めてくれたか分からない。
理不尽に不機嫌な時もあったはずだ。なんでもない時に、急に泣き出したこともあった。
どんな時でも、エリザは僕に寄り添ってくれた。
僕は女の子と付き合った経験がないから、叶うならばエリザのように優しくて、茶目っ気のある彼女が欲しかったな。
こんな話を誰かに聞かれたら、変な人だと思われるかもしれないけど、もし、エリザが人間の女の子だったら、って思ってしまう。おかしいかな。
でも、僕らは良いカップルになれそうじゃないか?
そんな夢みたいなことばかり考えているからかな。段々、君の言葉が、声が、耳に入ってくるんだ。不思議とね。
冷静に考えれば、僕が君に言って欲しい言葉を、勝手に脳内変換しているんだろうけど。だとしても、正直、僕は嬉しい。苦しいのに、少しだけ顔がにやけてくる。
最後にこれだけは伝えておきたい。
互いに言葉が交わせなくても、間違いなく、君は僕の生きる切り札だった。
両親が急に死んでしまった時、僕は心の底から後悔したよ。なぜ、もっと優しくできなかったのか。なぜ、もっと笑いあって一緒に出かけたり、話をしなかったのか、って。
そんな当たり前のことすら出来なかった自分を激しく呪った。
失ってからでは取り戻せない事実に、落胆という言葉では片付けられない、深くて暗い沼に引きづられそうになった。
僕の業が消えたわけではないけれど、エリザの存在に僕は救われた。この気持ちをどうすれば、君に伝えられるだろう。
薄れていく意識の中で、一瞬だけ、エリザが女の子に見えたのは、神からのプレゼントか?
もはや、それが夢か幻かなんて、どっちでもいい。
最後に僕の目に映ったエリザの姿は、黒目がちで大きな瞳が印象的な女の子だった。そんな不安そうな顔をしないでくれ。
先に逝く僕のことを許して欲しい。
もし、この世に神がいるのなら、どうか彼女が望む幸せをお与えください。
泣けないあたしと笑わない僕 くにたりん @fruitbat702
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