福来朗

吉晴

第1話

ことん、と柔らかい音がした。プラスチックの様に軽い音でも、金属の様に硬い音でもない。木の机に木の何かがぶつかる、優しい音。ぬくもりに満ちた音。後ろの席を振り返ると、青いペンケースに付けられたキーホルダーが目に入り、これの音か、と納得する。そのキーホルダーは木彫りのフクロウで、小学生が持つにはリアル過ぎて可愛げに欠ける。後ろの席の男子児童が視線を感じたのか、ランドセルに教科書をしまう手を止めてこちらを見た。何か言わなければならないことは分かっていたが私は唇を微かに動かすことしかできない。転勤族で親しい友達ができる前にいつも引っ越す私は、自分が内向的であることを自覚している。だからと言ってそれを克服した所で友達ができてもどうせまたすぐに引っ越すのだからと諦めていた。この田舎の小学校にも先日越してきたばかりだけれど、またすぐに引っ越すのだろう。

「何?」

男の子の問いに戸惑い、椅子の背中を無駄に2回ほど握ったり離したりしたけれど、彼はその間もじっと私を見ていた。それが余計に居心地が悪くて、私は椅子の背中を持つ自分の不器用な手に目を落とした。

「あなたの?」

少し掠れた小さい声が情けなくて顔が赤くなる。その上主語が欠落していて、何の事を言っているのか伝わらない事に、後になって気づく。だから誰かに話しかけるのは嫌なんだ。自分の苦手が白日に晒される。

「これ?」

彼は手に持っていた教科書を入れ終えると、ペンケースを持ち上げる。窓の外から差す昼下がりの陽を、その木彫りは穏やかに反射する。子どもながらにその辺に売っている様な安物ではないなと、思った。

「そうだけど。」

彼は質問に答えた。彼が答えたということは、次は私が何かを言わねばならない。

「素敵だね。」

辛うじて口をついて出たのはそんな陳腐な言葉だった。本当は、机にぶつかる音が優しいことも、今にも動き出しそうな生き生きとした表情も、午後のまどろみの様な穏やかな光沢も、いくら見ていても飽きないと褒めたかった。私はこの時初めて、自分の口下手を後悔した。

「じいちゃんが作ってくれたんだ。」

嬉しそうな声がして、私は彼の顔を見上げた。誇らしげで凛々しくて、かっこいいと素直に思った。恋バナに盛り上がる女の子達が「カッコいい」とよく言うけれど、たぶんその「カッコよさ」とは違う。田舎ながらの豊かな自然と、このキーホルダーの様な思いのこもった物に囲まれて育った大らかさと豊かさが滲み出るその表情は、自分には無いものでひどく眩しいのだ。

「またじいちゃんの自慢かよ。もう木彫りなんて儲からないぞ!」

隣の席の男の子が囃す。

「うるさい!じいちゃんの腕は日本一だ!バカにするな!」

堂々と言い返す姿は自信に溢れている。

「じいちゃんの時代とは違うんだよ!現実見ろって!」

口先ばかりが生意気なのは、この年頃の傾向でらそれが私は苦手だった。だが後ろの席の彼はそれに嫌そうな顔をすることもなく、穏やかに微笑んだ。

「知らないのか?『本当に価値があるもの』は残るんだ。」








あれから十余年の月日が流れた。私はあれからも何度も親の都合で引越しをして、大学入学を機に一人暮らしを始め、そのまま就職した。住民票はしばらく移動していないが、仕事柄全国を飛び回っている。度重なる引越しで訪れた街が多いということが、こんな仕事では少しだけ役に立つ。名刺を持ってスカウトのために全国を飛び回っているなんて、あの頃の私は想像もしていなかった。

地図に示されたアトリエまであと少しだと、パンフレットを詰め込んだリュックを背負いなおして、朧げに記憶のある小学校を眺めながら坂道を登る。細い山道は、私が住んでいた頃より荒れている。人口が減っているのだから仕方ない。小さな看板の前で立ち止まる。ここで間違い無いようだ。芸術品としての評価も高い彼の表現の豊かさは、上司も高く評価していた。ただ、彼はどこの大手企業のスカウトも断っているらしい。そこは私の腕の見せ所となる。あの日の後悔は、無駄にはしていない。

「ごめんください。」

もうあの頃のような掠れた小さい声ではない。たとえ耳が遠い家主にも聞こえるはっきりとした声だ。

「はい。」

どこかからか男の声がした。何かを置く音がして、足音がする。

「こんにちは。先日お電話致しました森中家具の者です。」

奥に向かってそう声をかける。磨りガラスに人影が映り、カラカラと引き戸が開いた。

「いらっしゃい。」

見上げる背丈になってしまった同じ年の彼は、想像通り昔のままだった。だが彼の方はほんの数ヶ月クラスメイトだった私のことなど覚えているはずはない。期待するほど私も幼くはない。たくさんの本当に価値のある物に囲まれて育った彼の感性は、以前にも増して研ぎ澄まされていることだろう。

「やっぱり君か。」

「え?」

「どこの話も断っているのは知っているだろう?僕は、『本当に価値のあるもの』しか作らない。その価値を分かって大切にしてくれる人のためにしか、作らない。」

その言葉に門前払いされるかと思いきや、彼はくるりと背中を向けた。

「中で話を聞こうか。やる気満々みたいだし。」

自信に満ちた背中を、私は微笑んで見つめる。私は落とすのは得意だ。それは口先の問題じゃない。玄関に足を踏み入れると、そこに飾ってあったのは一体のフクロウの木彫りだった。あの日見たキーホルダーのような小さいものではなく、実物大のそれは、今にも羽ばたきそうで思わず息を飲む。午後のまどろみの様な色をした羽に、恐る恐る手を伸ばす。触れるギリギリまで、動くのではないかとどきどきした。手にしっとりと馴染む柔らかさが、彼の穏やかさの表れの様に思う。今日はこのフクロウを褒めようと決めた。私は彼を、絶対に落とす。

「私だって。」

よく通る私の声に、彼は振り返る。

「私だって、『本当に価値があるもの』を作る人にしか、声をかけないんです。」

そして笑ってみせる。彼も私を見て笑った。誇らしげで凛々しくて、かっこいいと素直に思った。十余年の時を経ても、やはり彼は、かっこいいのだ。

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福来朗 吉晴 @tatoebanashi

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