フクロウの置物が笑う夜

@sakuranohana

第1話 不思議な夜

目の前のテーブルに置かれたフクロウの置物。

電話口から聞こえる、自分の名を呼び続ける声。

困惑した表情を浮かべる、喫茶店の店主の男。

遠退く意識の中で、懸命に考える。

一体、いつからが事実で、いつからが夢だったのか――。


話は昨日まで遡る。


昨日、自分は、上司から長時間、八つ当たりに近い形で怒鳴り散らされた。

上司の名は佐藤。

半年前に親会社から出向となり、私の上司となった。


何でも、親会社で、彼がセクハラで問題を起こしたがために、出世街道から外され、子会社である当社へと出向となったらしい。

親会社から追い出された者は、いつか親会社に戻れることを夢見て、親会社のイントラネットを、暇さえあれば毎日血眼で読み漁る。そして、子会社に勤務する我々を見下し、ストレス発散の対象としか扱わない。

佐藤もまた、例外ではなかったし、その傾向が、とりわけ強かっった。


佐藤は、これまでの営業業務と、全くの畑違いである現在のバック業務に全く興味を示さない。それどころか、親切心でこちらから業務の説明をしようとすると、プライドが傷つけられるのか、頑なにこれを拒む。


「全ての稟議書は、簡潔に一行のみでまとめられるはずだ。お前は何で20行も使って長々と書くんだ。頭が悪い証拠だな」

吐き捨てるように佐藤は言った。

今、自分が佐藤に提出した書類は、経理、法務等の観点から、全てのリスクを列挙した上で、スキームの適否を論じなければならない稟議書だ。

20行でも簡潔にまとまっている方だ。大体、一行だけの稟議書なんて、これまで見たことも、聞いたこともない。


――内容が理解できないなら、素直に聞いてくれればいいのに。



その後も佐藤の怒号は続いた。

ようやく解放され、会社を出た頃には午後11時を優に過ぎていた。


――こんな生活、いつまで続くんだろう。。

帰途、思わず大きなため息が出た。


何だか今日は、そのまま家に帰る気分にはなれなかった。


――改札に入る前に、駅の反対側に行ってみようか。


実はこれまで、会社と駅とを往復するだけで、この街を散歩したこと等なかった。


踏切を越えると、意外なことに、そこには大きな森が広がっていた。


――まあ、田舎町だしな。


森を目の前に立ち尽くしていると、森の中に、桜の花弁が1枚、舞っているのが見えた。


――そう言えば、お花見の季節だったな。この森の中にも、桜が綺麗に咲いているんだろうか。


桜の花弁に誘われるように、フラリと森の中へと入りこんだ。


夢中で歩き続け、気がつくと、大きな桜の木の下に立っていた。


今が盛りと咲き誇る桜。

その美しい勇姿に見惚れていると、突如、背後から声をかけられた。



「お客さん、まだお店空いてますよ」


驚いて振り返ると、初老の男が立っていた。

その男の後ろには、今迄全く気が付かなかったが、小さなログハウスが建っていた。


「私が一人でやっている、喫茶店なんです。もし良かったら、挽きたてのコーヒーをどうぞ」


そう言うと、その男は害の無さそうな笑顔をこちらに向けた。


――こんな人気の無い森の中に喫茶店?

しかも、最初に桜を見つけた時には、こんなログハウスは見あたらなかったような。


不思議に思ったが、男の招きに応じ、店の中へ入ることにした。


店内はランプの柔らかい明かりで照らされたていた。


自分の他に客はいない。

その代わり、フクロウの置物が、たくさん置かれていた。

大小様々だ。

共通点といえば、皆、表情が固い。

いや、そもそもフクロウに表情なんて無いか。


そんなことを思い巡らしていると、先程の店主の男が注文を取りに来た。


腕時計を見ると、午前0時を回っていた。


「随分遅くまでやっていらっしゃるんですね」

と店主の男に問いかけた。


「1人で気分次第でやっているもんですから」

そう言うと、店主の男は笑った。


注文を終えると、男はカウンターへと移動し、コーヒーを沸かし始めた。

挽いた豆の、香ばしい香りが部屋中に充満した。


「明日、いや今日はお休みですか?」手際よくコーヒーを淹れながら、男が聞いた。


「本当は休みなんです。でも、出社せねばなりません」

苦笑しながら男の問いに答えた。


「おや、お仕事がお忙しいんですね」

男は、コーヒーを注ぎながら再度問いかけた。


「忙しい訳というか――実は――」

今日の会社での出来事をポツリポツリと話した。

いつの間にか、男はこちらに顔を向けていた。


店内の空気が、少し変わったように思われた。


佐藤に対する愚痴なんて、今迄誰にも話したことはない。

いつもならば、初対面の人に仕事の愚痴を話すようなぞない。

しかし、今日は、精神的にあまりに疲れ果てていた。この半年間、毎日、休みもなく、理不尽な理由をつけられては、怒鳴られていたのだ。

もう、とうに限界を迎えていたのかもしれない。

気づけば、堰をきったように、佐藤のことを店主の男に話していた。

話終わる頃には、自分の頬に涙が伝っていた。三十路になって、まさか、人様の前で自分が泣くとは、思ってもみなかった。


「大変でしたね」

そう言うと、店主の男は、私の肩にソッと手を置いた。


「差し出がましいかもしれもせんが。もし宜しかったら、明日の夜、上司の方と一緒にコーヒーを飲みにいらして下さい。距離が近づくと、関係性も変わるかもしれませんよ」


男の申し出はありがたいが、気が進まない。

業務時間外にまで、佐藤のストレス発散に付き合わされるのは、ごめんだ。


自分が難色を示していると、それを見透かしたように、店主の男は言った。

「大丈夫。きっと上手くいきますよ」

そう言うと、男は力強く笑った。


何となく断りきれず、その夜は店を後にした。



――――


今日は公休日であるはずの土曜日。

佐藤と自分以外にオフィスに人はいない。


当然だ。この会社には、通常通り、業務が回っていれば、残業はほぼ発生しない。

ましてや、休日出勤なぞ、あり得ない。

親会社に比べれば、知名度は格段に落ちる会社だが、自分は、そんなホワイトカラーな雰囲気が気に入っていた。


「お前の資料じゃ、俺を納得させられない。資料作成能力の無いお前の責任だ。次の経営会議で、お前が説明しろ」


「え?」


「俺が、他の管理職に、お前の資料の不出来を謝罪してやる。その代わり、その出来損ないの資料で、お前が全部プレゼンしろ。いいな!」


「……」


結局、佐藤は、自分では他の管理職にからの質問に耐えられる程、我々の業務を理解していないのだ。

そこで、資料の形式に、理不尽な難癖をつけ、最終的には部下に、全ての責任を押し付ける。


佐藤はわざとらしく伸びをしながら、

「あーあ。俺は、いつもお前の尻拭いばかり。たまには御礼ぐらいしろよな」

と言った。


耳を疑うような佐藤の言葉に、カッと顔が熱くなる。

しかし、喉元まできた怒りを納め、自分でも意外な申し出をした。


「御礼、させて下さい。美味しいコーヒーが飲める喫茶店があるんです」


佐藤は、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐさま満更でもない顔をした。


「ノンアルコールで御礼なんて、非常識だな。まあいい。付き合ってやってもいいぞ」


仕事を終わらせた後、佐藤を連れて、昨夜訪れた喫茶店へ向かった。


喫茶店の店主の男は、昨夜のように、笑顔で、我々を迎えてくれた。


店主の男は、チラリと佐藤を見やると、

「胸元のタイピンは、お勤めされている会社のオリジナルのものですか?」と笑顔で聞いた。


佐藤の胸元には、青のラインの入った金色のネクタイピンが、ランプの灯りを受け、光り輝いていた。

言われてみれば、確かに、そのタイピンの色合いは、親会社のイメージカラーそのものであり、世間一般でも広く知られていた。


すると、佐藤は、これまで見たことがない程顔を輝かせて、

「よく分かりましたね!まさにその通りです」

と答えた。


「これは、私の営業成績が全国5位になった際に、会社から贈られた記念品なんです」

と誇らしげに付け加えた。


店主の男は、大げさに驚いてみせると、

「それはすごい!優秀な営業マンなんですね」

と、佐藤を誉め讃えた。


すると、これに気を良くした佐藤は饒舌に語りだした。


「そうなんですよ!でも、会社は、ちっとも俺の偉大さを分かっていない。たかがセクハラで子会社転籍なんて」


「セクハラですか?」


何故か、無数に置かれたフクロウの内の目が少し光ったように見えた。


「そんな大袈裟なものじゃないですよ。売り上げの悪い巨乳ちゃんがいたから、『胸しか取り柄が無いんだから、寝る間を惜しんで客と寝て契約とってこい!』って、言っただけ。そんなのセクハラの内に入らないでしょ」


その時、ピリリと自分の携帯が鳴り始めた。

表示されている電話番号は、確か、自分の会社の人事部の電話番号だった。

佐藤の手前、電話に出るのは気がひけたが、さっと後ろを向き、背中を丸めて小声で電話に出た。


「もしもし、秋吉です」


「あ、もしもし?ごめんね突然電話して。驚かないでね。佐藤さんが、さっき、交通事故で亡くなったんやて」


「は?どの佐藤さんですか?」


「秋吉さんの上司の佐藤さんよ」


「何言ってるんですか!佐藤さんなら今ここに一緒に……」


そう言って、慌てて身体を前に向けると、先程まで、確かに目の前にいた佐藤の姿ない。


その代わり、テーブルの上に、青と金のラインの入った、小さなフクロウの置物が、チョコンと置かれていた。


「佐藤さんはどこに行ったんですか!?」


慌てて、カウンターでコーヒー豆を挽いていた店主の男に向かって、叫ぶように問いかけた。

自分の顔は、きっと、真っ青だったに違いない。


店主は、落ち着き払った態度で、

「佐藤さん?一体誰のことですか?

お客さん、今夜も1人だけでいらしたでしょう?」

と、不思議そうに返した。


自分の顔がみるみる歪んでゆくのを感じた。

「もしもし、秋吉さん聞いてる?もしもし、もしもし……」

電話口の人事の声だけが、店内に響いていた。


ドア近くの一番大きなフクロウの置物が、ニヤリと笑ったように見えた。





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