第十五話 アイラの戦い
見慣れぬ道をひた走る。
既に辺りは暗くなり始めており、夜行性の魔物が段々と活発化を始めていた。
しかし足を止めるわけにはいかない。
精霊が警戒を解かない限り、アイラもまた、警戒を解くわけにはいかないからだ。
『奴もしつこいのう……アイラ、まだ走れるか?』
「とーぜんっ!」
アイラは暫く使っていなかった加護を再び発動させた。
周囲に風を起こし、走力を上げる。力を使いすぎるとどうなるかはついさっき経験したばかりだ。
さっきはおよそ三十分で肉体の限界が来た。故に現在力を使うのは『黒服』との距離がある程度縮まった時のみと決めている。
「でも、どうしてこっちの位置が分かるんだろう。というか、なんで私を追いかけてくるんだろう」
走りながら常に感じていた疑問だった。
何の変哲もない村娘に、黒服が固執する理由はなんだろう?
未だ目視は叶わないのに、こちらの位置を把握できているのは何故だろう?
分からない、という感情は状況によって多様に変化する。
そしてこの"分からない"は"恐怖"を助長する類のものだ。そういう感情を己の中に留めておく置くことは、いけないことだとアイラは知っている。
だからとうとう口に出した。
精霊は人間とは違う生物のため感情の共有は難しいかもしれないが、一人で考えるよりはずっとマシだったから。
『場所の把握は、恐らく走った痕跡を辿っているのだろう。暗くなれば足跡も見づらいと思ったが……』
上手くはいかんなと、精霊はどこか悔しそうにこぼした。
そういえば村の狩人たちが、動物の足跡等から獲物の居場所を探していたのを見たことがある。
つまりこの状況はそれと同じ、狩りだというわけだ。狩人が黒服で私は獲物。
全くどうしてこんなことになったのやら。
『追われる理由だが……恐らくは吾輩達の村が関係しているはずだ。村は何者かに滅ぼされたのだろう?その目的が村自体ではなく村人にあったなら……後はもう分かるな?』
「あいつはテンペスト村の住人になにか因縁があった、ってこと?」
『推測だがな』
だとすれば絶対に捕まるわけにはいかない。ウルと再会すると約束したし、なによりアイラはまだ何も出来ていないではないか。
決心したはずだ、村を滅ぼしたあの怪物を倒すのだと。
『……!? アイラ伏せろ!』
「えっ……うわっ!?」
転がりながらにうつ伏せた直後、アイラの隣に生えていた大樹が両断された。
『全くどうなっているのだ! 魔物の気配はなかったはずだというのに……!』
片手を付いて起き上がり、倒れた木の向こうを見る。
木の密集した暗がりの向こうに妖しく輝く瞳。
相手の、質量を感じさせる重い足音。
こちらを威嚇する低い唸り声。
そして、月明かりに照る鈍色の刃。
「
やがて巨体の全貌が月光の下に晒される。
片目が潰れているのは何処かで怪我を負ったのだろうか。現れたのは隻眼の巨狼だった。
「飛べる!?」
『無理だ! まだ飛べるだけの魔力が吾輩にはない!』
やはり、この精霊の消耗は相当なものだったに違いない。
どうする、逃げるか?
だが果たして逃げ切れるだろうか?
前回逃げた時は相当距離が離れていた状態での逃走だった。
今回は既に、相手は目の前に居る。
このまま逃走を開始すれば
──ならば、もう。
「戦うしか……ない!」
背中に背負った刀を引き抜く。
恐剣狼はこちらの出方を伺っているのか、まだ襲ってくる様子はない。
今ならまだ、全力で走れば逃げられるのではないか。
今ならまだ、向こうも見逃してくれるのではないか。
そんな後ろ向きな考えを振り払うように、アイラはゆったりと刀を構えた。
『お、おいアイラ──』
「こいつから逃げながら、黒服からも逃げるなんて絶対無理!」
精霊の言葉を遮り、アイラは叫ぶ。
「だから……生き残るにはこれしかないんだ!」
剣をいっそう強く握り締め、アイラはテラーウルフの隻眼を睨む。同時に彼女の気配を感じたのか、恐剣狼は頭を低くし臨戦態勢に入った。
人間を相手にしたことがないのか、はたまた怪我をしている目のことを警戒しているのか、相手は未だ私を襲うそぶりを見せない。
じわじわと、這うような速度で両者の距離が縮んでいく。
『グルル……』
「……」
怖気づくな。
相手は手負いだ。
死角を突けば必ず勝機はある。
「私はもう……逃げたりしない! 来るなら来い、化け物!」
祈るように、願うように、アイラは自分に言い聞かせる。
なにも殺さなくてもいい。
戦いながら、頃合いを見て逃げればいいのだ。
(考えろアイラ。勝つ方法ではなく、生き延びる方法を──!)
決意を固め、剣を強く握る。
そして、テラーウルフへと一歩大きく踏み出した。
さあ、あの時のリベンジと行こうじゃないか。
デュランダル・レコード ~ある記録者の言行録~ 鬼灯 守人/ホオズキカミト @kamito7s
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