第十四話 再び、森を駆ける

「また少し調査に行ってくる。明るいうちにもう一度村を調べてみようと思うんだ。だから、少しの間だけ留守を頼みたいんだが……」

「うん。いいよ?」


 今昼の訓練を終え、現在訓練後のストレッチを行っている真っ最中だ。

 逆さまに見えるジークに、寝っ転がった体勢のままでアイラは一つ頷く。


「……悪いな。暗くなる前には戻る」

「……? 了解! 気を付けてね」


(なんだろう。いつもと少し様子が違うような……気のせいかな……?)


 それだけ言い残し、ジークはアイラに背中を向け……もう一度こちらを振り向いた。


「ああ、そうだ。これを渡しておこう」


 振り向きざまにひょいと何かを投げ渡される。

 顔の上に何かが降ってくるというのは、いくら速度が遅いといっても中々に恐ろしい光景だった。

 咄嗟に伸ばしていた両手を動かし、なんとか顔面に着地する前にそれを掴む。


 アイラが掴んだのは、淡く輝く小さな白い石ころだった。


「その石ころには俺の魔力が込めてある。薄く光ってるだろ?」


「う、うん。キラキラしててとても綺麗……」


 真っ白な石が淡く光を放つ様は神秘的とも思えた。

 石ころに見入っているアイラに構わず、ジークは説明を続けた。


「それは警報機のようなものだ。俺が戦闘態勢に入れば高まった魔力に呼応してその石の輝きも強くなる。そうしたらここを絶対に動くな。結界の内側であれば戦闘に巻き込まれることはない。そして──」


 ジークは自分の右手で手刀を形作り、自分の首に添えて、こう言った。


「俺が死ねば、その石の光は消える。まあ、俺が死ぬことは有り得ないから気にしなくていいんだが……念のためにな」


 死ぬことは有り得ない。

 断言されることで、アイラにあった一抹の不安は少しずつ膨れて行く。


「ね、念のためって……大丈夫なんだよね……?」

「悪い。不安にさせるつもりじゃなかったんだ。ただ村の様子を見てくるだけだ、調べるだけ調べたらすぐに戻るよ」

「う、うん。分かった」


 彼はいつも、アイラに余計な心配をかけないよう振舞ってくれていた。具体的に言えば、彼女が体験した惨劇を想起させるような言動は極力避けていてくれたのだ。その配慮は、村を、家族を失ったばかりの彼女にはとても有難いものだった。

 けれど、今のジークはそれが上手く出来ていなかったように思える。

 何処かぎこちない、けれどそれがなにかが分からない。そんな違和感がアイラにはあった。


「考えすぎかな……?」


 ジークに貰った石をまじまじと見つめる。

 これ自体は本当にただの石ころのようで、ジークの魔力に呼応して点滅を繰り返していた。

 まるでそれが、彼の鼓動を示すかのように。





「ふっ……はっ!」


 弾く。弾く。弾く。弾く。


 襲い来る丸太を木刀で弾き返していく。

 設置した丸太は二つ。

 それを風の加護で気配を感じ取りながら必死に木刀で打ち返す。

 ジークが昨日の朝やっていた訓練を真似たものだ。

 彼は四倍の八つの丸太でこれをやっていたのだが、アイラにはまだ……というか一生かかっても出来る自信がなかった。

 なので丸太の太さも当然アイラ仕様になっており、一つ一つの大きさはちょっと太めの枝程度である。


 それから既に三十分。


 『加護』を動き回りながら、これほど長時間使ったことなんてない。

 極度の集中の中、少しずつアイラの身体に疲労が溜まってくる。


「はぁ……はぁ……うわっ!?」


 背後から迫る丸太への対応が遅れ、咄嗟に屈んでそれを避ける。

 加護とエルフの聴力のおかげで周囲に移動する丸太の位置は把握できているものの、とうとう身体の反応が追い付かなくなってきていた。


「くっ……なにくそっ!」


 貯まった疲労の影響で痙攣をし始めた両足を平手で叩き、活を入れる。

 血豆の出来た手で木刀を強く握り締め、左から迫る丸太へ振り下ろす。


 ──だが。


「ぐっ……あっ!?」


 丸太に弾き飛ばされ、木刀がくるくると宙に舞う。


 気合でどうにかなるのは相応に肉体を鍛えた者だけだ。

 まだ基礎も碌に出来ていないアイラの肉体は、とうとう限界を迎えてしまったようだ。

 などと冷静に考えている暇はない。未だ丸太は動き続けているのだ。


「おオっと」


 そう一歩踏み出した瞬間。

 間延びした声と共に、ひんやりした柔らかいものに抱き留められた。


「よいショ」


 直後上がった間の抜けた声に合わせて、水が弾ける音と共に、暴れまわっていた丸太が一斉にその動きを止めた。


「ふう、アブなかった。大丈夫?」


 頭上からかかる声に相槌で答える。

 上手く身体が動かせないのはやはり力を酷使した影響だろう。ジークが言っていたように、加護を使用するにあたって魔力などの消費は一切ない。

 だが乱用すれば、それだけ精神力は擦り減るのだ。

 故に『加護所有者ギフト・ホルダー』は自分の限界を知る必要があるとジークは言っていた。


 今回アイラは、それを知らずに倒れるまで使用してしまった。

 疲弊した意識のせいで彼女の視界は酷く歪み、四肢に上手く力が入らないでいる。


「無理ハしちゃダメってアイツも言ってたでショ? ほら、手を出シて」


 言われるがままに右手を持ち上げる。

 視界の端に見えたアイラの右手は、血豆が潰れて血が滴っていた。

 それを白く細い指が優しく包む。


『癒しよ』


 淡い緑の燐光がアイラの全身を包み、肌から内に浸透するように消えていく。

 焦点の合わない視界でそれを見送り、ふと気づいて仰ぎ見る。

 顔を上げた先には怒り心頭のウルの顔があった。


「全ク。ワタシが居なかっタらどうするつもりだったノ?」

「ごめん、ありがとうウル……って、どうしてウルがここに!?」


 確かウルはジークと一緒に外へ出かけて行ったはずだ。それが何故この場所に居るのか。


「えっとネ。アイツが『アイラはきっと俺が居ない間も何かしら身体を動かしてるはずだから、いつものように治癒役として見ていてくれ。あいつの性格だと、俺が居ないところで無茶をしかねん』って言ってワタシだけ帰したノ」


 今のは声真似をしたつもりだったのだろうか……完成度についてはコメントを控えよう。


 彼の予測は見事に当たっていた。

 色々見透かされていた羞恥と、結局自分一人ではまともに鍛錬も出来ない悔しさがアイラに募る。

 もう傷跡の一つもない手を見て、改めてウルに、そして彼女を送ってくれたジークへと感謝を述べた。


「ウん、どういたしマしテ。じゃあ今度ハこっちの番ネ。どうシてあんな無茶をしたノ?」


 ウルは先ほどとは打って変わって心配そうな顔を見せる。

 世間で言う"お姉ちゃん"とはもしかするとウルのような人のような存在なのかもしれないと、アイラは明後日の方向に思考を巡らせていた。


「ごめんなさい。心配させるつもりはなかったの。ただ、ちょっと夢中になっちゃってて、気付いたら身体がいう事聞かなくなってて……」


 アイラ自身、まさか倒れてしまうとは思ってもいなかった。

 出来るようになっているという確かな実感が、高揚感と共に慢心を生んでいたのかもしれない。

 今思えば、彼女にとってこれはジークもウルもいない状況での初めての訓練だった。

 監督役と治癒役が不在の中で、無計画に始めてしまえばそりゃあ倒れてしまうのが道理というものだ。


「アイツはともかく、普通ノ人間は壊れヤすいんだから、気を付けてネ?」


(アイツはともかく?)


 暫く共に過ごしていて、ジークがただ者ではないことは身に染みて理解している。アイラはそれを、彼が行うような鍛錬をして強くなった人は皆こうなるのだと思っていた。

 でも今のウルの言い方だと、ジークはそもそも普通の人と違うという見方にも取れる。

 精霊を三体も使役し、本人も超人的な身体能力を持つ。更にあの左右で色の違う瞳。異常に白い肌。それらはどの種族の外見にも一致しない特徴だ。

 魔法に秀でたエルフでも、大精霊を使役したなんて聞いたこともない話だし、身体能力に秀でたビースト系の種族でさえも、その身体能力は超人的と呼ぶほどではないと思う。

 彼の異様に高いそれらの秘密は、一体何と繋がるのだろうか。


「そレとアナタ! アイラが無茶してるノにどうして止めないノヨ!」


 その思考を、突然上がったウルの大声に掻き消される。


『吾輩が? アイラは自らが望む事をしておった。それを何故吾輩が止めねばならんのだ?』

「全くこれだかラ精霊ハ!」

『そうは言っても若いの。貴様も同じ精霊じゃろう?』

「ワタシの話しハ今はいいノ!」


 ウルには精霊の姿が見えているのだろう。憤慨する精霊はアイラの頭上をキッと睨み、頻りに声を荒げる。対して虚空から、呆れたような声音が反論する。

 投げ交わされる声は、回数を重ねる毎に段々と高く大きくなっていった。

 あたふたと経過を見守るしか出来なかったアイラだが、このままでは喧嘩になってしまうと、息を大きく吸い込み、勇気を振り絞って静止の声を上げようとした──その時だった。


 明らかにウルと、同時に精霊にも異変が起きたのだ。


「ぐう……っ!? え……ちょっと嘘でショ!?」

『あやつは何者だ!? 吾輩に感知されずになぜ森の中に侵入しておるのだ!?』


 嫌な予感がした。また何か大切な物を失ってしまうと、不安が全身を駆け巡る。

 そんなアイラを他所に、ウルが今まで聞いたこともない擦れた声でぽつりと呟いた。


「アイツが……死んだ……?」

「死んだって……? え、そんな、ウル……?」


 アイラは思い出したかのようにポケットへと手を突っ込み、彼に貰った件の石を取り出す。

 しかし、石は彼女の期待を裏切った。

 それが再び発光することはなかったのだ。


「分かラなイ! デモ、アイツからの魔力ガ断たれテ……!?」


 直後、再びウルが驚きの形相を浮かべる。そして早口で言葉を続けた。


「いけナい! 結界が維持デきナイ!」


 ウルが叫んだ直後、景色が一瞬揺らいだ。

 その揺ぎはまるで波紋のように広がっていき、そして消えていく。

 恐らくこれがジークの言っていた『結界』なのだろう。


「ワタシ、ちョっとアイツのトこに行ってクル! アイラはすぐにコこを離レて! 結界ガ解かれて、こコはもう安全じゃナくなったノ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! まだ頭の整理が──」

『アイラよ。こやつの言うとおりだ。何やら得体の知れない人間が、一直線にここへ向かっておる。それに、結界が解けたのだ。魔物共も臭いを嗅ぎつけて、直にここへやって来るぞ』


 落ち着いた精霊の声が、混乱した私を諭す。

 何故だか分からないが、この声を聞くとどこか懐かしい気持ちになり、私の心が優しさに包まれたような感覚になるのだ。

 おかげで早まっていた動悸が、少しずつ落ち着いてきた。


「分かった。ジークとも約束したしね……でも、その前に。ジークになにがあったのかだけ教えて。あなたは見えていたんでしょう?」


 あの人が死んだ? とても信じられない。

 だってジークはあんなに強かった。

 それに彼は言ったではないか。

 自分が死ぬことは有り得ない、と。


『意地汚くていい、かっこ悪くていい。まずは生きることを考えるんだ』


 彼がアイラに教えてくれたことだ。

 だからきっと……彼は生きている。


『分からない。黒ずくめの人間があの男に振れた瞬間、男が消滅した。恐らくは魔法の類だが、吾輩はあんな魔法は知らん。故に、あやつの生死は測りかねる』


 消滅……それが転移させるものなのか、はたまた彼の肉体を消滅させるものなのか、それ次第で彼の安否は大きく変わる。

 アイラは少しでも可能性を得たくて、ウルへと向き直った。


「ウルは何か分からないの?」

「契約は切レてないケれど、魔力の供給が切れてるノ。だから位置は分かるケド……アイツが生きてるのか死んでルのかハ……」


 ウルの声は少し震えていた。

 本当ならウルはすぐにでもジークの生死を確かめたいはずだ。

 だがアイラのために彼女はまだここに居てくれている。

 契約は切れていないのなら、まだ彼が死んだと決まったわけではない。

 彼女の優しさにいつまでも甘えていてはいけないと、私は頬を強く叩き、気合を入れ直した。


「よしっ! それじゃあ逃げる準備をしなきゃだね! 精霊さん、私は何処へ逃げればいいの?」


 まるでそう問われるのを予想していたように、精霊は即座に答えた。


『東に向かって真っすぐ走れ。ただし森からは出るなよ? 吾輩が一緒に居る間ならば、この森の中が一番安全だ』


 確かに彼女はこの森の精霊だ。

 ジークを上回るかもしれないという黒服の人物。

 それから逃げるためには、彼女の言う通り位置の把握できるこの森の中が居る方が安心できる。

 決して逃げ切れはしないが、同じように追い付かれることもないのだから。


「ありがとうウル。私はもう大丈夫だから、ジークのところへ行ってあげて?」

「本当はワタシも一緒に行きたイけど、アイツの魔力ガないと今のワタシは魔法ヲ使えないノ。そういう契約だッたカラ……」


 申し訳なさそうにウルは俯く。

 恐らくこれはジークが取った安全策の一つなのだろう。もし彼の従える精霊が暴走した時、魔力の供給を断てば戦闘不能になるように。 

 契約者の安否が不明。しかしそれを探るための魔法が使えない。

 今回に限っては完全に裏目に出てしまっていた。


 アイラは堪らず彼女の手を取った。

 ウルのひんやりとした手は先よりも冷たくなっており、それを温めるようにアイラは握る手に力を込めた。


「私は、あのジークから逃げ切ったんだよ? だから大丈夫。絶対に魔物に襲われても逃げ切るし、もし黒服と会うことがあっても、必ず逃げてみせるから。ね、精霊さん?」

『おう! 全て吾輩に任せておけ!』


 姿は見えないが、精霊が胸を拳で叩いてふんぞり返っている様子が目に浮かぶ。


「……ありガトう。アイラ、絶対また会おうネ!」

「うん、約束だよ!」


 私の言葉を聞くと、ウルは霧のように霧散し、目の前から姿を消した。


(さて、頑張って走らないと──!)


 意識を新たに、アイラは拠点から駆け出して行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る