第2話
由美は目的地に着くまで、一言も喋らなかった。それは喋らないでと言う私の言う事を聞いてくれたからなのか、それとも失恋したせいで元気が無いからなのかは分からない。やがて夕方になって、ようやく目的地に到着して車を降りた由美は、疲れた様子で言ってくる。
「帰りは私が運転するよ。生きてここまでこれたのが不思議なくらいだ」
「大げさねえ由美は。ねえ、それよりここ、覚えてない?」
「ん?ああ、ここは……」
どうやら気付いたみたい。やってきたのは大学時代、サークルの皆と一緒に出掛けた海だった。当時天文サークルに入っていた私達は皆でこの海に来て、昼間は遊んで夜は天体観測を行っていたのだ。今思えば、当時はよくそんなに昼も夜もはしゃげたものだ。今じゃとても、体力が持ちそうにない。
「懐かしいな。確かあの時はみんなでスイカ割をしたり、貝殻を探したりして遊んだっけ」
「そんな事もしてたわね。ねえ、ビーチまで歩いてみようか」
そうして私達は、さらさらとした砂に足跡をつけていった。海に目を向けると、真っ赤な夕日が沈んでいくのが見える。本当にあの時と、何も変わらない。
私が前を歩いて、その後ろから由美が続いてくる。
「ねえ由美。あの時私が、凄く落ち込んでいたこと、覚えてる?」
「ああ、そう言えばそうだったね」
当時私は、付き合っていた今の旦那と些細な事でケンカして、お互い喋ることも出来ずに、元気をなくしていた。それでも私も旦那もサークル活動には参加していて、この海まで来ていたっけ。ケンカして、顔を合わせ辛いのに一緒に遠出しなきゃいけないだなんて、あれはちょっとした拷問だった。だけど。
「あの時由美、私達がケンカしてるって気づいてくれて、言いたい事があるなら黙って無いで、ちゃんと言い合えって、叱ってくれたんだよね。溜め込むのは良くないって」
「ああ、うん。今思えば、随分と偉そうな事を言ったものだよ」
「良いのよ。その後もう一度大喧嘩しちゃったけど、ちゃんと本音をぶつけ合えたから、仲直りも出来たんだろうし」
もう恥も外聞もなく、お互いうちに溜めていたものを吐き出し続けた。些細な喧嘩などではなく、周りの注目を集める大喧嘩となった。サークルの皆が慌てる中、由美だけは満足そうに、私達の事を見ていたのを覚えている。今となっては、良い笑い話だ。
「あの時、由美が言っていたことは間違いじゃなかった。溜め込んでいたものを吐き出したからこそ、すっきりしたんだと思う。だからね由美」
私は足を止めて振り返り、由美と目を合わせる。
「由美だって、溜め込んだりしなくていいんだよ。辛いって思っているなら、ちゃんと全部吐き出してよ」
「夕子……」
そっと目を伏せる由美。私はそんな由美を、真っすぐに見つめる。
「私は別に、溜め込んでいるものなんてないよ」
「嘘ね。由美って案外、嘘下手よね。そんなのバレバレよ」
由美はいつも真っすぐで。だから分かり易いんだ。
「もしかして、私に打ち明けるのは恥ずかしいって思ってる?人にはさんざん、偉そうな事を言ってたのに?」
「そんなことは無い。無いんだけど……」
恥ずかしそうに、視線を逸らす由美。こんな由美の姿なんて見るのは初めてだから何だか新鮮。私はそんな由美の肩に、ポンと手を置く。
「私、思うの。きっと強い人じゃないと、本当に大事な時に弱音を吐けないんじゃないかって。だって弱音を吐くのって、どうしても恥ずかしいって思っちゃうじゃない。だから辛いとか怖いとか言った後ろ向きな自分をさらけ出すって、凄く勇気がいるもの。でもそれを乗り越えてちゃんと弱音を吐かないと、前には進めないんじゃないかな?」
「……昔の私なら、それができてたのかも。だけど夕子、きっと私は、社会に出て弱くなってしまったんだと思う。仕事でミスをする度に、嫌な事がある度に、どんどん自分がちっぽけに思えていく。昔は、私なら……私達なら何でもできるって、思っていたのにね」
「夕子……」
私達なら何でもできる。それは由美が、よく私に言ってくれた言葉だった。何をするにも引っ込み思案だった私に、自分が付いているから大丈夫、私達なら何でもできるって、言ってくれてたんだっけ。
そこには何の根拠もなかったけれど、凄く心強くて。本当に私達なら、何でもできそうな気がしていたっけ。
確かに今はもう、そんな風に考えることは出来ない。昔とは違うのだから。だけど、だけどね由美。
「あのころには戻れないけど、思い出すことは出来るでしょ。あの頃出来てたことが、今は出来ないなんてことは無いんだよ。難しい事じゃないよ、思っている事を、私に話す。ただそれだけの事じゃない」
弱音の一つも、吐いたことが無かった由美。だけど由美はいつだって、私に本音でぶつかってきてくれた。
それで良いんだよ。楽しい事だけじゃなくて、辛い事も言って良い。あの頃みたいに、本音で話してくれていいんだよ。由美だって本当はそうしたくて、会いに来たんじゃないの?
「夕子……」
「それとも、私じゃ力不足かな?」
「ううん、そんなわけないじゃないか。夕子、聞いてくれるかな、私の愚痴を……」
私は笑顔で答える。
それから由美は、内に溜めていたもの全てを吐き出すように、全てを打ち明けてくれた。どんどん気持ちがすれ違っていくのが怖かった事。本当は別れたくなかったのに、一方的に別れ話を突き付けられた事に腹が立ったこと。最後には海に向かって、「バカヤロー」何て叫ぶという、なんだか昔の青春ドラマみたいなこともしていた。
きっと由美は、ずっと気持ちを受け止めてくれる相手を探していたのだと思う。その相手として私を選んでくれたのなら、とても嬉しい。
声を大にして叫んで、涙を流して。
ようやく落ち着いた由美の顔は、涙で化粧が崩れていたけど、何だかつきものが落ちたみたいにすっきりした様子だった。
「……ありがとう夕子。何だか、すっきりした気分だよ」
「私は大したことなんてしてないよ。黙って話を聞いてただけ。けど、これからどうしようか。どこかで化粧を直さなきゃいけないけど……」
考えた末私達は、近くの旅館で一泊する事にした。急な外泊で、旦那に電話で伝えたら驚いてたけど、仕方ないかって言って了承してくれた。何かあった事は察してくれたみたいだったけど、何も聞かなかった事はありがたかった。
その晩私達は、嬉しかった事や嫌だったこと、他愛のない話を一晩中続けた。
不思議な気分だった。数時間前までは切なさを感じさせていた由美だったけど、いつの間にかそんなものはすっかりなくなっていて。まるで大学時代に戻ったみたいで、とても心地の良い時間だった。
朝になって、宿を出た私達は車に乗って、昨日待ち合わせした駅まで帰った。その際由美は、私が運転すると言って断固譲らなかった。
「せっかく気持ちをスッキリさせたんだ。それなのにすぐ死んでしまったのではかなわない」
なんて事を言われてしまった。私の運転って、そんなに下手かなあ?
レンタカーを返して、楽しかった時間もこれでお終い。昨夜は遅くまで話していたし、車の中でもたくさんお喋りしたと言うのに、まだ話したい事は沢山あって、サヨナラするのが名残惜しい。
「別にそう寂しがることは無いさ。電話もメールも出来るし、その気になればいつだって会う事ができるんだから」
キリッとした笑顔で、そんな事を言う由美。よく忙しくて中々会えないとか言うけど、本当に会おうと思えば、案外簡単に会う事ができるんだ。さすがに昔みたいに毎日会うことは出来なくても、たまに会えるのなら、それで十分だろう。
「夕子、今回は本当にありがとう。会いに来て良かったよ」
「私も、由美に会えて良かった。またいつか、こんな風に会いましょう」
「ああ、そう遠くないうちに。今度は何か、良い報告ができるよう頑張ってみるよ」
そう言い残して、改札口を通過していく由美。
夕子と別れた元カレも、バカよね。私がもし男だったら、絶対に捕まえて離さなかっただろう。
最後に一度だけ振り向いて、手を振ってくれた由美の表情には、昨日感じた憂いは無くなっていた。私はちゃんと、由美の力になる事ができたのかな?できたのだって、思っておこう。
私も手を振って、ホームへと姿を消す由美を見送った。
見送りを済ませて駅から出る私。由美と一緒に過ごした一日は、昔に戻ったみたいで、とても楽しかったなあ。
さあ、次に会うのは、いつになるだろう?また由美から連絡があるかな?それとも、私が弱音を吐いて、会いたいって電話するのが先かも。由美の事だからきっと、夕子が辛いならいつだって駆けつける、とか言いそう。
きっと次に会う時も、由美は「また会いに来たよ」って言って。変わらない笑顔を向けてくれることだろう。
その言葉を聞くたびに、私達は何度だって、あの頃に戻る事ができるのだ。
そう、何度だって。きっと……
「また会いに来たよ」 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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