黙示録の殺人

らきむぼん

黙示録の殺人



彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。最早死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、最早過ぎ去ったからである。


ヨハネの黙示録 21:4



一 招待状


 遠くで鳴り響く始発電車の音が天童を浅い眠りから覚ました。カーテンを開きっぱなしの窓からはまだ朝日は差し込んでこないが、仄かに街は白んできている。

 まだぼおっとする意識の中に、「絶海の孤島」という言葉がイメージされた。そうだ、今日は長い旅の初日になるかもしれないのだ。

 天童は壊れかけのコーヒーメーカーでいつもより濃いコーヒーを淹れ、角砂糖を一個放り込んだ。少し迷って追加の砂糖をもう一つ入れると、スプーンで数回混ぜ合わせる。一息吐いたところで、部屋の角にある四二インチのテレビの電源を入れる。一瞬の間を置いて、画面が明るくなると、酷いノイズが走り、画面はまばらに乱れた。

「今日もか」

 ここ数日、テレビの調子がおかしい。いや、どちらかといえばテレビ本体ではなく、電波と言うべきか。テレビに拘わらず、通信機器の障害はもう数週間続いていた。しかも、全世界的に、である。

 天童はチャンネルをニュースに合わせた。乱れた画面の中で、キャスターとコメンテーターが最近の電波障害について話している。

「先月十七日に観測された、太陽の表面で起こる大規模な爆発現象『太陽フレア』は、依然として観測され続け、発生した電磁波による通信や送電への影響は過去最大のものとなっております。現時点では、断続的な通信障害に留まっていますが、この先更に大規模な太陽フレアが起きた場合、どういった影響が起きるのでしょうか」

「えぇ、そうですねぇ、研究機関によると、今回のような現象はこれまでも何回も起きていることではあるんですが、まあしかし観測史上最大規模の太陽フレアがここまで継続して起きているというのは前代未聞ですな。今はまだ軽微な障害ですが、いずれ電子機器に壊滅的な影響を及ぼすかもしれませんねぇ。一説によれば、我々の文明はそれによって一九世紀のレベルにまで退化するとも言われています」

 耳障りなノイズが混じった放送も最早慣れてしまった。だがそれ以上に退屈なのは、最近の話題がこの太陽フレア一色なことである。

 天童は小説家だ。数年前に実際の事件を元にしたミステリ小説でデビューした。世の中の娯楽というのは、今の時代ほとんどデジタルである。何かしらの機器があり、そこで初めて成立する。だが小説は違う。今こそ彼ら小説家は働き時なのかもしれない。だが、天童には仕事よりも気になっていることがあった。

 デスクの上の便箋を手に取り、そこに記されたメッセージを読む。


 私は知っている。

 お前たちの罪を知っている。

 お前たちの秘密を知っている。

 懺悔の機会はこれが最初で最後である。

 黙示録の館にて待つ。


 ひと月ほど前に届いたこの手紙の意味は天童には解らなかった。

 だが、いたずらではないと直感させる何かがあった。手紙には一緒に某県の沖にある極小さな孤島への道のりと、そこまでにかかるであろう交通費が同封されている。そして滞在は五日間とも記載があった。

「さて」

 窓からは朝日がようやく差し込んできた。世間は太陽の異変に執心しているが、眩しい朝日影はいつもどおりのそれだ。

 天童は、謎の人物の招待に応じた。



二 洋館


 足元の影は小さくまとまってしまい、辺りは太陽の光で鮮やかに照らされていた。晴天を見上げ、この透明な空気の層には電磁波が飛び交っているのか、と途方もない彼方の光源を想う。

 絶海の孤島、とはこういった島のことを言うのだろう。辺りは海で囲まれ、土地のほとんどが岩と草木で覆われている。中央部にある小高い丘と、そこに通じる道以外は、自然そのものであった。

 丘の上にそれはある。壁を黒一色に統一された、小さな二階建ての古い洋館。前庭を抜けると、正面に大きな扉がある。

 天童をここまで送ってくれた船長は、何を尋ねても詳しく事情を話してくれなかった。ここが誰の島で、この洋館が誰のものなのか。船を手配したものが誰なのかも、結局不明なまま。判ったことといえば、次に船が迎えに来るのが五日後だということ、船長が送った客はこれまでに四人で、五人目の天童が最後の客だということ。

 洋館の前まで来ると、正面の扉が開き、正装した短髪の若い男が現れた。

「ご招待頂いた天童です」

「お待ちしておりました。私はこの館の執事、霜月と申します。食事の御用意がありますので、どうぞこちらへ」

 執事だという男、霜月に先導され、玄関ホールに進む。ホールには絵画のレプリカが壁中に並んでいた。『ベルシャザルの酒宴』『十字架降下』『イサクの犠牲』『長老たちに脅かされるスザンナ』など、どれもキリスト教の宗教画だ。

「ルーベンスの『羊飼いの礼拝』ですね」

 天童は一枚の絵画を眺めながら霜月に声をかけた。

「え、ええ、そうですね。この館の主は、宗教画に造詣がありまして……」

「よく絵画の話をされるんですか? これだけの数があると管理されているのは主ではなくて執事のあなたですかね」

「ええ、まあ。長い付き合いになりますから」

「あなたもさぞお詳しいんでしょうな」

「いえ、ご主人様ほどでは……」

 エントランスホールを通り過ぎると、正面左に大きな扉がある。食堂の扉だ。霜月は両手で大きな扉を押し開けた。

 食堂には大きな長方形のアンティークテーブルが一つ置かれ、奥の短辺に椅子が一つ、そして長辺に合計五つの椅子が配置されていた。そして、長辺の椅子にはそれぞれ四人の客人らしき人物が着席している。

「どうやらあなたが最後の客のようですね」

 神経質そうな長髪の男が、向かって左側の二つの席の奥席から言った。

「そのようです」と天童は軽く会釈をして、男の隣に着席した。

 テーブルには食事が用意されていた。コース料理をいっぺんに持ってきたような状態で、テーブルは料理で溢れていたが、まだ誰も口にしてはいないようだ。部屋は静まり返っている。

「全員揃ったことだし、自己紹介でもしようか」

 沈黙を破ったのは正面左に座っている小太りの色白の男だった。年齢は不詳だが、若くはない。

「私は大仏、大きな仏と書いてオサラギ、だ。都内で料理人をやっている。少し前に趣味の悪い招待状を貰ってここにやってきたのだが、それはあんたらも一緒かね?」

 皆が「ええ」とか「ああ」とか肯定の返事をすると、わざとらしい溜息をひとつして大仏は着席した。

「じゃあ時計回りで」と次に話し始めたのは、正面中央に座る金髪の青年だ。細身で、少し軽薄そうな目をしている。

「仙川っていいます。一応画家をやってます。俺も大仏さんと同じで、招待状を貰ってきました。なんか面白そうだなって」

 次は正面右の女性。客人の中では女性は彼女一人だ。小柄で目元のホクロが印象的だ。薬指に指輪をしている。度の強い眼鏡をしているのか、目が少し小さく見えた。

「私は鬼頭と申します。田舎で医者をやっています。私も招待状が届いて、お金も入っていたのでとりあえず来てみないことには、と思いまして……」

 医者だとするとまだ新人の部類か、と天童は思った。少なくとも見かけはかなり若く見える女性だ。

「私は天童という者です。売れない作家をやっています。ここに来た経緯はみなさんと変わりません」

 天童は簡潔に自己紹介をした。一体何の集まりに参加しているのだろうと、頭をフル回転させているのだが、天童には未だこの会合の意味が判らなかった。

「作家さんですか、どんな作品を?」

 隣に座る長髪の青年が興味津津という顔をしている。あまり素性を明かしたくはないと考えていた天童だが、ここで数日過ごすのではあれば、と思わないこともない。

「ミステリです。不安にさせてしまうと思って言いませんでしたが、この状況はミステリの定番そのものです」

「ほう、ミステリ作家ですか。それはなかなか縁がありますね」

 隣の男はそんな意味不明な反応をして、続ける。

「私は神木、探偵です。ここに来た経緯は皆さんと同じですので、決して捜査に来たわけではありません。……が、ここまで手の込んだいたずらがあるのか疑問には思いますね。もちろんこれが金持ちの道楽で、私たちは何らかの事情で選ばれたただの客であればそれでいいのですが、あのメッセージは明らかな宣戦布告でしょうね」

 俄に客たちはざわめいた。探偵と自称する男は必要以上に饒舌だ。だが言っていることは正しい。やはり我々は何らかの罠にかけられているのではないだろうか、と天童は考えている。医者の鬼頭が口を開く。

「あ、あの、みなさんは、あのメッセージの『罪』に心当たりがあるのでしょうか?」

「ふん、まさか。あるとしたら美味い料理を作りすぎて、客を肥えさせてしまった罪くらいのものだ」

 大仏がつまらないジョークを言ったところで、食堂の扉が開く音がした。霜月が誰かを連れて入室する。

「皆様、お待たせ致しました。皆様を招待したこの館の主が参りました」

 皆が視線を霜月の隣に立つ人物に向けた。だが、誰も彼の顔を見ることができなかった。判るのはせいぜい体格からして男性であるということだけ。

 なぜなら、彼は顔の上半分を覆う白い仮面を装着していたからだ。



三 第一の喇叭


 仮面の男が席に着くと、画家の仙川は早速口火を切った。

「俺たちはなんでここに集められたんですか、一体何をするんですか?」

 性急なやつだ、と天童は思ったが、一方それは場の誰もが気になっていたことであり、是非ともはっきりさせておきたいことだった。

 仮面の男はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべる。

「まあまあ、仙川さん。それはこの後にでも、ゆっくりお話しましょう。まずは皆さん、食事をお楽しみください。大仏さんの料理ほどではありませんが、良い食材を使って作らせましたので」

 仮面の男がそう言うと、仙川は疑うこともなく目の前の料理を口にし始めた。それを見て安心したのか、大仏や神木も食事に手を付け始める。

 脇で控えていた霜月がワインを皆のグラスに注いで回る。

 俄に謎の会食が始まっていた。

「そういえば」と神木。「鬼頭さんは医者の先生とのことですが、仕事は大丈夫なんですか?」

「ええ、まあ。太陽フレアのせいで最初は急患が激増しましたが、今は比較的落ち着いています。何しろ、やりたくてもできない仕事も多いですから」

 鬼頭は落ち着いた様子で言った。それを見て大仏が「ふん」と鼻を鳴らす。

「太陽フレアだかガンマ線だかなんだか知らないが、大袈裟だと思わんかね。電子機器なんぞ大昔はそもそもなくてもなんとかなっていたんだろう。小惑星がぶつかるわけでもあるまいし、そんなことで人類は滅びんよ」

「まあそうは言いますけどね」と隣の仙川。

「俺たちってもうスマホとかタブレットがなけりゃ生きていけないと思うんですよ。みんなストレス感じてますよ最近は。ネットも遅いし」

 確かに、天童もネットの遅さや切断の多さには辟易している。

 その後は暫く当たり障りのない会話が続いた。天童はさり気なく客たちの間の関係性に何らかの共通点がないか探っていたのだが成果はない。

 判ったことといえば、大仏は高級中華料理の料理人で、父親は中国人だということ。数年前に妻を火災で亡くして以来、仕事一筋で店を大きくしてきたということ。

 仙川は有名な西洋画家の弟子で、イタリアへの移住が決まっているということ。大学時代に才能が開花し、何人か居た兄弟弟子が夢を諦めていく中、ただ一人西洋の巨匠から認められた新人画家であるということ。

 鬼頭は東京の日生歯科医院という歯科医院の三女で、家族は全員歯科医師だが医科に進んだのは彼女だけだということ。数年前に鬼頭製薬という薬品メーカーの社長と入籍したということ。

 神木は三年前に起きた女子大生連続殺人事件を解決した私立探偵で、それをきっかけに探偵事務所を設立したということだった。

 そして、ようやく仮面の男が口を開く。

「では、皆様もお互いに打ち解けられたと思いますし、そろそろ今回の会合の趣旨をお話しましょうか」

 霜月が仮面の男のグラスにワインを注ぎ足す。すぐに仮面の男はグラスの赤ワインを一口飲んだ。

「皆様をご招待したのは他でもない。これからあなたたちには一つの謎を解いていただく。真実に至るまでこの孤島から出ることは許されません。謎を解くためのヒントはあなた方の持つ罪と秘密の中にあります」

 天童は目を細め、客たちの表情を観察する。動揺する大仏、ぽかんと口を開けたままの仙川、真っ青になっている鬼頭、少し笑っているように見える神木。

「皆様に解いて頂く謎とは、さn――――ぐぁ……がはぁっ」

「なんだ!?」

「ワインだ! 何か飲んだのか!」

 それは突然のことだった。仮面の男は喉を押さえその場に倒れ、手脚を激しく震わせた。

 傍にいた神木がすぐに駆け寄ったが、彼はすぐに動かなくなった。天童は仮面の男の着ていたジャケットのポケットから、小さな赤色の喇叭が転がり落ちたのを見た。



四 羊飼いの礼拝


「死んでいますね」

 医者よりも先に、探偵の神木が所見を口にした。もっとも誰がどう見ても仮面の男は死んでいる。倒れた衝撃で仮面は割れ、最早仮面の男とは言えないのではあるが……。

「自殺か?」

 大仏が怯えた様子で遠目に死体を見る。答えたのはいつの間にか死体の横に駆けつけている鬼頭だった。

「いえ、彼は何か言おうとしていましたし、あのタイミングで自殺するのは少し不自然な気がします」

「同意です」と天童は言った。確かに彼は明らかに何かを始めようとしていた。謎解きという名の告発。不穏な空気が漂い始めた矢先のことだったのだ。何かがおかしい。

「或いは、こういうこともあり得るかもしれません。今彼が飲んでしまった毒――もちろん毒だと仮定してですが――は他の誰かが飲むはずだった」

 神木は興味深げに死体を観察している。毒をどこから摂取したのか特定しようとしているように見えた。

「返り討ち、ということですか」

 尋ねたのは天童だ。もう一つの可能性があることは承知している。

「若しくは、共犯者による仲間割れ、ですかね」

 神木はそう言って霜月の方を見やる。神木もまた天童と同じ推論をしている。黙って呆然としていた仙川が正気に戻って叫ぶ。

「そうか! 毒はワインに入っていたんですよ。だとしたらワインを注いだ執事が怪しい。仮面のやつと共謀してなにか企んでいたんだな。でも仲間割れしたのか間違えたのか、ターゲットが変わってしまったんだ!」

「そ、そんな! 私は何もしていません! 何も知らないんです! 本当だ!」

 激しく動揺する霜月を追い詰めるように大仏が襟を掴む。

「この会合は何だったんだ、全部話せ」

「し、知らない」

 霜月は消え入りそうな声で呟く。神木は立ち上がると、死体の傍から霜月の方へ近づいた。

「まあ大仏さん、その辺にしておきましょう。霜月さん、一つ聞きたい。あなた、仮面の彼が倒れた時、すぐ近くにいたのに駆け寄りすらしなかったですね」

「動揺したんだ、当たり前です、あんな姿見たら竦んでしまう。あなた方だって近寄ろうとはしなかったでしょう」

「まあそうですね、何せ、赤の他人なんですから」

 神木は断言した。仙川は理解が追いつかないというような表情で神木を見ている。

「どういうことですか」

 これには天童が答えた。彼もまた神木の意見に同意だった。

「霜月さんはこの仮面の男と最近知り合ったんですよ、もしかしたら今日かもしれない。この館の執事ですらない、おそらくね。昔から付き合いがあるように振る舞えと言われていたんでしょう、霜月さん」

「……そうです。私はこの館の執事ではない。普段は都内で働いているただの警備員だ。招待状が届いてこの館に昨日やってきたんです。そしてあの仮面の男に旧知の執事として振る舞えと……。報酬は五十万円を提示されました」

「きな臭くなってきたな」と大仏。「なぜそう思ったんだ、天童先生よ」

「エントランスの絵画ですよ。最初から執事さんは疑ってたんです。エントランスホールの絵は全てレンブラントの宗教画です。しかし私が『羊飼いの礼拝』という絵を指してルーベンスの絵ですねと問いかけたら肯定した。長年の付き合いなのにエントランスの絵がすべてレンブラントのものであることを知らない可能性が高い。そして主が宗教画に造詣が深いとも言った。嘘ではないが、この場合全てがレンブラント作品なのだから『レンブラントに造詣が深い』という方が自然でしょう」

「お見事です」と鬼頭。

「しかし、振り出しに戻ってしまったな」

 大仏は残念そうに椅子に腰掛けた。その通りだった。結局、仮面の男の正体や目的は判っていない。だが、探偵だけはそう思っていなかった。

「そうでもないですよ、いやむしろ我々は更に悪い状況に陥ったとも言えますが」

「どういうことですか」

「仮面の男ですが、苦悶の表情をしていて皆さんはまだ気付いていませんが、見たことがありませんか? 皆さんおそらく知っている人物でしょう」

「あっ」と仙川が声を漏らす。

「船長だ……私たちをここに連れてきた船長だぞ、こいつ」

「そうです、つまり、迎えの船はもう期待できない」



五 クローズドサークル


 洋館はエントランスホールがほぼ全ての部屋と隣接していた。吹き抜けのホール状になっており、正面が食堂、右手は絵画の展示室と事務室、左手は厨房と大広間、電力室、二階は全て客室となっている。

「作家先生、どうだい?」

 大仏は担当した区画を調査し終え、こちらに合流してきた。

「駄目ですね。通信機器の類はどの部屋にもない。事務室のものが唯一のそれです」

 客人たちは通信機器を探していた。仮面の男が船長であることが発覚した以上、島からの脱出は外部との連絡にかかっている。もちろん、真っ先に連絡すべき警察への連絡が同時に脱出方法となるだろう。

 だがしかし、状況はそれを許さなかった。

 事務室に移動すると、神木と鬼頭が全員のスマートホンを確認している。二人共苦い顔をしていた。

「その様子だと、携帯も駄目ですか?」

 鬼頭は頭を振った。

「ええ、太陽フレアの影響で通信は完全に遮断されているようです。神木さんのスマホにニュースアプリの配信が辛うじて残っていましたが、どうやら今朝、過去最大のフレアが観測されたようで、その数時間後にはもう電子機器は全て駄目になっていたようです」

「通信だけではなく、停電も起きています。おそらく暫くはスタンドアローンの設備が生き残っているでしょうけれど、この孤島ではせいぜい予備電力が関の山ですね。おそらく数日後には全ての電力供給が停止します」

 神木が絶望的なニュースをさらりと告げ、事務室の窓から外を眺める。

「船長は、自殺なんでしょうか」

 神木は唐突に言う。

「他殺という話になったのではなかったですか」

「いやね、よくよく考えてみるとおかしいんですよ。自殺でないなら、他殺です。さっきの仮定だと返り討ちか、仲間割れ。しかし、返り討ちだった場合、毒が入ったワインをすり替える必要がある。仲間割れなら霜月さんが直接行動できる唯一の機会を持っていましたが、彼もまた我々と同じく集められた存在だった。彼が嘘を吐いていなければね。どちらにせよ、いかにして毒を飲ませたかを特定しないと犯人は判りませんね」

「そもそも毒は遅効性だった可能性もありませんか?」

 天童は神木の推理に付き合うことにした。警察が呼べないのならば、身を守れるのは自分自身だけだ。

「症状からして即効性の毒だと思います」と鬼頭女医。

「となると、妙ですね。船長はあの時点で少なくとも一杯以上ワインを飲み干していた」

 玄関の扉が閉まる音とともに二つの足音が聞こえた。外を確認していた仙川と霜月が戻ってきたようだ。

「だめですっ、船とかボートとか、その手のものはありませんでした」

 仙川の報告にまたも絶望感が漂う。

「つまり、我々は古き良き本格ミステリの世界――クローズドサークルに閉じ込められたわけですか」

 天童は天を仰いだ。続けて神木が独白する。

「太陽フレアは文明だけじゃなく、殺人まで古典に戻すらしい」



六 第二の喇叭


 謎の招待者からの告発、殺人が起きたこと、そして電子機器が使えなくなり、助けも呼べない、為す術がなくなった客人たちは誰が言い始めるでもなく洋館の客室で一夜を明かした。洋館には六人分以上の客室は完備されており、中央の吹き抜けを挟んで右翼の客室には神木、天童、霜月、左翼の客室に大仏、仙川、鬼頭が入室した。幸い、まだシャワー室もトイレも使用することができた。しかし、漠然とした不安は各々感じており、誰一人として客室の鍵をかけ忘れるものはいなかった。

 翌日の朝、天童が起床し客室から階下に降りると事務室で仙川と大仏がスマホと通信設備をチェックしていた。

「おはようございます、調子はどうですか」

「おはようございます天童さん」

 仙川が金髪の頭をペコリと下げる。

「おう、作家先生、今朝も駄目だねこれは、電話もラジオも何もかも駄目だ。あんたのスマホは?」

「駄目です。相変わらずどこにも繋がりません」

 しばらく機器をいじっていると、背後から神木に呼びかけられた。

「おはようございます皆さん、面白いものを見つけましたよ」

 神木に連れられ、天童たちは事件現場である食堂に戻ってきた。

「もう死体は見たくないんだがな」と大仏は仏頂面で言う。

「胸ポケットにこれが」

 神木はテーブルに一つの封筒を置いた。それは見覚えのあるものだった。

「これは……招待状ですね」

 仙川が中身を確認する。それは天童たち客人が貰った招待状と同じものであった。しかし文面は多少異なっている。そこには、霜月と同じように前日に島に来ること、翌日に訪れる客人たちに対して自分が主のように振る舞い、別紙の脚本に従い進行を行うこと。そしてその報酬として二百万円が受け渡されることが記載されていた。

「つまり、この船長も……」

「照岡、という男らしい。宛先に書いてある。こいつも被害者だ。ちくしょう、どうなってやがるんだ!」

「それだけじゃないですよ」

 制するように神木は言う。

「これを見てください」

 彼はテーブルに小さな金属製の赤い喇叭の置物を置いた。

「これは、照岡のポケットから落ちたものですね」

 天童は、昨日見たことを説明した。神木が続ける。

「喇叭、と聞いて何か思いつきますか?」

「喇叭ですか……いえ、特別なことは何も」

「では、エントランスにあるキリスト教の宗教画と喇叭では?」

 天童が悩んでいると、意外にも仙川が声を上げた。

「黙示録の喇叭吹きだ」

「あ? なんだって?」大仏はぽかんとしている。

「ヨハネの黙示録の七つの喇叭の話ですよ。ハルマゲドンの前に七人の天使が喇叭を吹くんです。一つ鳴る度に災厄が起きる」

「なんで天使が喇叭吹いて災厄起こすんだね」

「知らないっすよ、キリストに聞いてくださいって」

「私は仏教だ」

「まあ名前も大仏ですからね」

 大仏が仙川の頭をポカンと殴るのを横目に、天童と神木は同じことを考えていた。

「見立て殺人……」

『きゃあああああああああああ!!』

 その時、エントランスホールから鬼頭の悲鳴が響き渡った。

「一足遅かったようだ」と冷静に神木は呟いた。

 四人がエントランスに出ると、二階の客室の前で鬼頭が腰を抜かしているのが見えた。急いで階段を上がると、鬼頭は呆然と客室の中を指差す。天童は神木と一緒に開け放たれた客室に踏み込んだ。

「霜月さん……」

 霜月は心臓にナイフを刺され絶命していた。そして、その体の上には大量の植物の葉がバラ撒かれていた。

 赤い喇叭の置物と共に。



七 落下


 全員が集まるには狭かった事務室は、一人の欠員を以て緩和された。望まざる結果だった。誰もが疲弊しているように天童には見えた。あの神木でさえ神妙な面持ちである。

「これではっきりしたな、照岡は殺されたんだ」

「そんなことはわかってますよ」

「だったらお前が守ればよかったんだ、喇叭の話だって知ってたんだろ」

「俺は絵を描くから、聖書のエピソードを知ってただけだ。それに思いつけるもんか」

「犯人なら思いつく」

「なんだと!」

 仙川が大仏に飛びかかる。

「やめてください!! もう聞きたくないです!」

 鬼頭が甲高い声を上げた。

「やめましょう、不毛です。今はここから出る方法を考えましょう」

 天童は口ではそう言いながら、別のことを考えていた。

 すなわち、誰が犯人なのか、である。

 昨夜、個々のアリバイはないに等しい。皆が施錠して各々客室に籠もっていたはずだ。それでも犯人は霜月を殺した。一体、誰が……。

「妙だ」

 神木が静かに言う。

「妙?」

「黙示録の喇叭吹きですよ」

「何が妙だって言うんです?」

「これを見てください」

 神木はそう言うと手帳を取り出してデスクに広げた。そこには聖書の黙示録の喇叭吹きの抜き出しが書かれていた。


第一の喇叭

 血の混じった雹と火が現れ地上に降ってきて、地と木の三分の一が焼け、すべての青草も焼ける。

第二の喇叭

 巨大な山のような塊が海に落ち、海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、すべての船の三分の一が壊される。

第三の喇叭

 苦ヨモギという巨大な隕石がすべての川の三分の一とその水源に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ。

第四の喇叭

 太陽・月・星の三分の一が壊され、その分だけ昼も夜も暗くなってしまう。

第五の喇叭

 一つの星が地上に落ち、底なしの穴を開けアドバン(怪物)を呼び出し、額に神の印がないものを襲い、五か月もの間サソリに刺されたような苦痛を与える。

第六の喇叭

 四人の天使が二億の騎兵隊を引き連れ人間の三分の一を殺す。

第七の喇叭

 悪魔と神の戦いにより世界の終末が訪れる。悪魔は敗れ、神に選ばれなかったすべての人が死ぬ。

 『ヨハネの黙示録』より


「照岡船長と霜月さんの殺害はこの黙示録の喇叭吹きに擬えられていると仮定します。そうすると妙なんです」

 神木がそう言うと、他の三人も手帳を覗き込んできた。

「解るように言ってくれ」

 大仏が疲れた顔で言う。

「霜月さんの死体の上に撒かれていた植物の葉ですが、あれはニガヨモギの葉です。多年草で日本でも入手できます。毛羽立ったやや白みのある葉です。これは第三の喇叭の預言を指していると思われます。ではその前に起きた照岡さんの殺害は?」

 神木の言わんとしていることが判ってきた。天童は答える。

「それは第二の喇叭ですね。少々苦しいですが、船乗りとリンクするのはそこしかない」

「そういうことです。つまり、この事件にはまだ最初の被害者がいるのではないでしょうか?」

「最初の被害者……第一の喇叭に相当する死……」

 その時、事務室のデスクが微かに揺れた。

「地震か?」と仙川が呟く。それと同時くらいか、小さな揺れは次第に連続的に事務室を揺らし始めた。

「なんだ?」

 ゴオオオオオオオオオ――――。

 轟音が響く。

「外に出ましょう、何かがおかしい」

 神木に先導され、一行は館の外に飛び出した。

 その瞬間、丘から見える彼方の海に、巨大な炎の塊が落下した。

「うわ!」

 轟音とともに衝撃が足元から伝わってくる。そして爆風が遥か遠くから巻き起こり思わず全員がその場に倒れ込んだ。

「なんだ! 隕石か!?」

「わからない!」

「おそらく、宇宙ステーションの残骸だ!」

 衝撃と爆風が収まってからも、全員が丘の上で呆然と空を見上げていた。太陽は依然としてそこにありのままの姿を見せている。天候は晴天、雲ひとつない。ただその下に広がる広大な海はあまりに異常な様相をしていた。

「誰だ、さっき宇宙ステーションって言ったのは」

 大仏が高く迫り上がった遠くの津波を見ながら言う。

「私です」と神木。

「本当なのか?」

「おそらく。航空便はもう暫く運航されていません。数週間前にアメリカの有人宇宙ステーションが制御不能になっていたはずです。それが落下したんでしょう」

「人が乗ってたのか」

「とっくの前に焼け死んだでしょう」

 神木は無感情にそう言うと、一人館へ戻っていった。

「もういや、もういやよこんなの」

 鬼頭は崩れ落ちるように慟哭した。

 世界が狂い始めた中で、殺人はまだ続くのだろうか。最後の喇叭が鳴るまで――



八 第三の喇叭


 翌日、鬼頭女医の死体が見つかったのは、電力室だった。

「次は彼女だったか」

 昨日の宇宙ステーションの落下事故はただでさえ疲労のピークに達していた面々の精神的な柱を完全に叩き折ってしまった。個人行動が危険なことは皆承知していたが、神木と鬼頭が一人で自室に帰ってしまったのを契機に、厨房にあった未開封の飲料水と保存食を各自持ち込んで、自室に籠もる流れとなってしまった。

 翌朝、天童と大仏が念の為点呼を取ろうとすると、鬼頭女医の客室の扉は施錠されておらず当人も部屋にいないことが判った。そして全員を集め捜索を開始すると、恐るべきことが次々と発覚したのだった。

 天童はふらつく意識を辛うじて保ちながら、死体の様子を見る。

「犯人は誰なんだ、こんな状況下で一体なぜ……」

 鬼頭は電力室の操作パネルに叩きつけられ死んでいた。そして、刃物で胸部から腹部にかけてズタズタに切り裂かれていた。そして、その傷口の上には赤い喇叭の置物が鎮座している。

 そして今回更に恐るべきことが起きた。食堂にあった照岡の死体の右腕と右脚が刃物で切り裂かれていたのだ。そして客室の霜月の死体は左腕と左脚が同じように切り裂かれていた。

「神木さん、これはつまり、そういうことでしょう」

 隣で何か考え事をしていた神木は、手帳を見て言った。

「第四の喇叭ですね。太陽・月・星の三分の一が壊され、その分だけ昼も夜も暗くなってしまう。太陽は『照』岡さん、月は霜『月』さん、そして鬼頭さんの旧姓は日生。日生は合わせて『星』だ。おまけに電力室にも細工がされている。予備電力は完全に停止した」

 他人事のように言う神木に、天童は苛立ちを覚えた。

「神木さん、あなたは昨夜客室の前で私を見張っていましたね」

「フッ、バレていましたか。流石ですね」

「『星』とは『天』を指す、つまり私の名前である『天』童を指すと」

「それならあなたを囮に犯人を捕まえることができました。もし違ってもあなたのアリバイは保証される」

「それで? これで犯人は大仏さん、仙川さんのどちらかです。そろそろ幕を下ろしましょう」

 天童は正面から神木の瞳を見た。その深淵を、真実がどこにあるかを。

「いいでしょう、この事件を終わらせましょう」

 どこまでも、どこまでもこの探偵は何を考えているかわからない。天童にはこの神木という男がどこに辿り着こうとしているのか、どんな因果でこの場に立っているのか解らなかった。

「もっとも、何もかも終わっても、我々はどこにも行けないでしょうが」

「それでも、探偵は真実を創るものでしょう」

 神木は、ただ笑った。



九 メギドの丘


 彼は丘に立ち、漆黒の洋館を眺めた。背後から太陽の光を受け闇そのものと化したそれは、まるで罪の象徴のようで、悪しき過去を封じたブラックボックスのようで、そしてもう二度と戻れない安寧のようであった。

「探偵さんよ、全部判ったのか」

 大仏はひと回り小さくなったような印象を受ける。短い間に、あまりに色々なことが起こり過ぎたのだ。

「もう、俺たち四人だけなんだ、判ったなら、もう終わらせてくださいよ」

 仙川も同様だ。疲労困憊した目は最早軽薄さを持ち合わせていない。

「神木さん、始めてくれ。館の外、丘の上で最後の審判ってわけだ。さながら、ここはメギドの丘だ」

 天童は他の二人よりも一歩前に出て、相対する神木の言葉を待った。

「この事件は、聖書に記された預言書であり予言書、ヨハネの黙示録の一節に擬えた見立て殺人です。黙示録の喇叭吹き、七つの災いこそが我々七人への裁きだった、というわけです。そして鍵となるのは、その見立てが第二の喇叭から始まっていることでした」

 神木はゆっくりとした口調で語る。彼は如何なる推理で、如何なる謎解きを行うのか。

 風が、丘の草木を撫でる。強く、強く、全てを吹流してしまうかのように。

「私はここから出て、この事件の後始末をしなければならないでしょう。そうです、この事件は私たちの過去にこそ全ての根源があるのです。だからこそ我々はこの島に呼ばれ、黙示録の館で悲劇を目の当たりにした。つまり犯人はこの中に最初からいた。この事件、黙示録の殺人の犯人は――――」

 その時、一際強い烈風が吹いた。その一瞬の後、激しく大地が揺れ動いた。視界は一点を保てず、空と大地が交互に移り変わる。

 ヴォォォォオオオオオオォォォォォォオオオォオォォォ――――。

 空気自体が悲鳴を上げた。大地が裂け、海が筒状に畝り上がり、空が割れた。空と大地が移り変わったのではない、空が大地で、大地が空と化したのだ。極彩色のオーロラが遥か先を雷鎚と共に踊る。硫黄のような臭いが立ち込め、たった今まで海だった灰色の霧が紅蓮の炎に呑み込まれた。

 空間がずれ、全てが飲み込まれた。意識さえも、罪と共に忘却を超越し、霧散し、海底の空に打ち上げられる。やがて、何もかもが落ち着きを取り戻し、それが死だと悟ったときには、全てが虚無へと帰していた。



十 虚無


 この時、太陽フレアに起因する電磁波により、全世界的な通信障害及び送電障害、そしてあらゆる電子機器の機能不全が起きていた。

 故に、人知れず軌道を逸れ接近していた小惑星はこの星の中心部を貫き、破壊し、地球を瞬く間に焼き尽くした。

 轟音と共に、彼らは喇叭の音のような星の断末魔を聞き、次の瞬間には地球と共に消滅した。

 神の国は未だ訪れない。





 了




あとがき


 読了感致します。

 今回ばかりは本当に怒られるんじゃないかとビクビクしているのですが、このミステリは真相が思いつかなくて投げやりになったものではない、とだけはお伝えしておきたいと思います(笑)

 さて、本格ミステリというのは定義の難しい言葉ではありますが、招待状や孤島、クローズドサークルや見立て殺人、こういったものは本格ミステリのガジェットとして広く共有認識とされていると思っています。

また真相の開示よりも前に読者がフェアに謎への答を提示できること、とされることもあります。現実離れしていたとしても、その内部においてゲーム性を保つ。そういったものが「本格ミステリ」ではないかと思います。

 今回の拙作は、紛うことなきアンチミステリです。自身がミステリでありながらミステリであることを否定する。本格の仮面を被った「何か」です。

 探偵や犯人は本来ミステリにおいて物語の最上位に位置しますが、この物語では誰もが等しく地球人類でしかありません。地球の終焉は物語の終焉です。探偵が推理を披露する途中であっても、地球の終わりは全ての終わりです。

 そんな物語が時々はあってもいいんじゃないかと私は思っています。

 最後に。この物語は論理的に真相の全てを明かすことは現状できません。しかし幾つかの予想は許されるでしょう。

 地球はもうないですが。


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黙示録の殺人 らきむぼん @x0raki

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