第119話 ベルリン 二階建て『ダブルデッカー』バス
今回初めて知ったのだが、なんとベルリンにはロンドンのように公共バスにもダブルデッカーバス(ドイツ語では Doppeldeckerbus 『ドッペルデッカーブス』と言うが)があるということだった。
しかもこのバスの二階の一番前の席というのが結構空いていて、今回たっぷり時間があったあった私は暇な時はこのバスに乗り、終点まで行ってはまた戻り、と、二階建てバスの上から見る景色を堪能していた。
よくよく考えたら今回3度目どころか私にとっては4度目のべルリン訪問だったというのに、以前の3回の際はいずれも何かと慌ただしく、ベルリン一日周遊券(9Euroで24時間乗り放題)を購入してもそれを充分に活用して電車移動をする時間というのがなかった。
そして今回の訪問時には私自身は1ヶ月49Euroでドイツ国内公共機関乗り放題という格安チケットを購入していたので、このベルリン1日9Euroチケットは購入する必要さえなかったわけだが、それにしても20年以上もドイツに住んでいながら、ドイツの首都ベルリンのそんな公共交通機関事情は知らなかったというのは、おかしくないか?
きっとこれは新しい試みに違いない、多分コロナで観光事業が激減した際に、余った観光用のダブルデッカーバスの使い道に困り、それで古くなった公共バスを処分でして、観光用バスを使用したのではないだろうか、と考えていたら、40年以上前にベルリンに住んでいたデュッセルドルフの日本人の先輩の曰く、
「あのダブルデッカーバスはベルリンでは40年以上前どころかもっと前からあったわよ」とのこと。
「えっ!」とびっくりして、今度はドイツ人の主人に聞けば
「大昔からあるよ」と言うではないか。
……ということは私は過去4回のベルリン訪問時には一体何を見ていたのだろうか。
全く持って自分の間抜けさに呆れ返り、でもまぁ、ベルリンでバスに乗ったのが初めてだったので仕方ないかと思いつつ、それでもなんとなく気になって調べたら、なんとベルリンのこのダブルデッカーバスというのは1916年には既に使用されていたようで、元々は1905年、車の上に座席を乗せた状態の車が始まりだという。
1905年のバスは16人乗り
1916年のバスは24人乗り
で、この2つのバスはまだ屋根がついていなかった。
ところが1925年には屋根付きダブルデッカーバスが登場し、座席自体は24席と増えてはいないが、1939年には32席と大型化が進んでいく。
現在でも36席が一番大きいダブルデッカーバスのようだが、ドイツにはよく
Gelenkbus(ゲレンクブス)という、2台くらいのバスが繋がった連節バスが走っていて、しかしこれは1966年東ベルリンが始まりだったとのこと。
一方西ベルリンでは東西の壁もなくなって(ベルリンの壁崩壊は1989年11月10日)から3年も経った1992年にやっと運行が開始されたということで、この連節バスに関してはなぜ東ベルリンの方が西ベルリンよりも進んでいたのかは不明なのだが、東ベルリンでは市民が一斉に仕事場などへ移動しなければならない事情などがあったせいなのだろうか。あるいは市内にそれほど私用自動車などがなかったため、道が広々としていて長さが合計20m近くにもなる連節バスを走らせることが容易だったのという可能性もあるだろうか。
この連節バスは長いだけではなく、乗客も最大189人ほど乗せられるということで、たくさん乗客を乗せるためには優れているし、また調べると2020年にはベルリンにおいて電気自動車連節バスも始まったということなのだが、今回ダブルデッカーバスに気を取られていた私は残念ながらその新しいタイプの連節バスは見忘れている。
ところで参考までにベルリンのその公共のダブルデッカーバスで見られる観光地を明記すると
《バス100系》
動物園駅
カイザー ヴィルヘルム記念教会
リュツォ広場 - バウハウス アーカイブ
アデナウアー財団 - CDU 本部
戦勝記念塔
ベルビューパレス
世界文化の家
政府地区 - 連邦首相府
国会議事堂 - 連邦議会
ブランデンブルク門
ホテル アドロン
英国大使館 - ロシア大使館
マダムタッソー蝋人形館
ジャンダルメンマルクト (フランスドームとドイツドーム)
ベーベル広場 - フンボルト大学
国立歌劇場 - ドイツ歴史博物館
博物館島
赤い市庁舎
アレクサンダー広場
《バス200系》
動物園駅
カイザー ヴィルヘルム記念教会
北欧大使館
アデナウアー財団
大動物園
大使館地区
フィルハーモニー
ポツダム広場 - ソニーセンター
ブランデンブルク門 - 殺害されたユダヤ人の記念碑
ライプツィヒ通り - 連邦議会 - 連邦財務省
カイザー ヴィルヘルム記念教会
ブランデンブルク門
英国大使館 - ロシア大使館
ジャンダルメンマルクト (フランスドームとドイツドーム)
ベーベル広場 - フンボルト大学
国立歌劇場 - ドイツ歴史博物館
博物館島
赤い市庁舎
アレクサンダー広場
と、かなり重なる場所もあるが、こうやって見るとベルリンの主要観光地の大半の全てを公共バスで見学できることに気が付くだろう。
なのでベルリンへ行った際はこの公共バスで観光されることをお勧めする。
しかしながらこのダブルデッカーバスは、もともと1855年にパリで、そして1865年にロンドンから始まった二階建ての馬車が発祥ということだが、またよくよく調べればなんと日本でも1874年に、東京浅草雷門から新橋駅間に日本で初めて二階建て馬車があったのだとか。
明治7年にはダブルデッカー馬車が走っていたわけで、日本という国も相当進んでいたことがわかる。
ところで、日本には観光バス会社の水陸両用バスもあるが、この観光水陸両用バスの歴史も実は相当進んでいる。
このアンフィビウスバス(amphibious bus)と呼ばれる水陸両用バスはもともと、2008 年に設立されたフランスの 会社Iguana Yachts のよって水陸両用モーターボートが開発されたことに始まり、2010 年、南カリフォルニアに本拠を置くWaterCarという会社が両用車最速のギネス世界記録を樹立。そして2011 年にオランダのナイメーヘンにある DAT (Dutch Amphibious Transport)社 が世界初のユニークな水陸両用ツアーの最初のチケットを販売と、その後も色々な国でも開発され、現在では多くの国、オランダ、米国、フランス、ドイツ、スウェーデン、ポルトガル、ハンガリーなどでも水陸商用バスの体験ができるようになったそうだが、日本に特化して調べると、なんと日本では国土交通省は2007年6月12日、日本で初めてとなる水陸両用バスの営業を許可したと出てくる。
2007年7月7日から栃木県日光市の川治ダム内部見学とダム湖上クルージングを組み合わせたツアーまであり、108日間で409便を運行して合計1万1,136人の乗客が参加したというではないか。
そう考えれば、オランダのナイメーヘンにある DAT 社が会社案内に掲げている
「我が社は世界初のユニークな水陸両用ツアーの最初のチケットを販売」したのは2011年のことなので、日本の最初の水陸両用ツアーから4年も過ぎた話で、そう考えれば本当は
「世界初のユニークな水陸両用ツアーの最初のチケットを販売」したのは日本なのではないかと思う。
欧米の会社はろくすぽ調べもせずに「我が社が世界初」などと発表している可能性もあるので私達日本人はまず自国の歴史をよく調べてから、本当に世界初はどこだったのかを確認したほうが良いかもしれない。
それから2022年3月14日には群馬県長野原町の八ツ場あがつま湖において、水陸両用バスの″世界初の無人運航実験″も行われたそうで、日本という国は色々な面で進んでいる国の1つだと言うことは間違いないだろう。
ベルリンのダブルデッカーバスの話から大きく反れてしまったが、今回私がドイツのダブルデッカーバスの歴史を調べたサイトというのが
「Doppelstockbus.de」というこちらのサイトで
http://www.doppelstockbus.de/index.html
URLを貼っておく。
こちら検索するとその頃の車を写真付きで見ることも出来て楽しい。
お勧めだ。
ドイツ片田舎からのゆるい生活エッセイ 伽羅かおる @Caramia
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